第108話 変化の予兆(7)
「それで、どうします?
この大根」
「どうしよう……」
目の前に置かれた大量の大根を前に勇太と春海が途方にくれていた。
「春海さん、いくら何でも貰いすぎでしょう」
「だって、白井さんはそんなに多くないからって言ってたもの!」
「それって田舎あるあるですよねー」
春海の言葉が聞こえたらしく、後ろで美奈が笑っている。
「……勇太、野菜好きでしょう。
あと五本くらい持って帰らない?」
「何冗談言ってんすか。
春海さんが1日一本食べれば済む話でしょうが」
「……みーなーちゃん?」
「私も一人暮らしなので一本で……」
「だよねぇ。
よし、こうなったら勇三さんに……!」
「勇三さんなら今週出張でいませんよ」
「あー、忘れてたー!
もう、肝心なときにいないんだから!」
悔しがる春海に呆れた眼差しを向けた勇太がスマホを取り出す。
「折角作ってもらったのを無駄には出来ないし、俺たちで食うしかないっすね」
「え? どうやって?」
「レシピを調べて、簡単そうな料理を作ってみたら良いじゃないですか。家庭科室が使えるんだし、たまにはここで晩めし食うのもありでしょう」
「そっか!
勇太、天才!」
「これくらいフツーでしょう」
「何だか楽しそうですね!
私も参加したいです」
「じゃあ、春海さんは戦力にならないから……美奈さんと俺で何品か作りましょうか」
「ちょっと、勇太!
私だって……!」
「春海さん、作れます?」
勇太の言葉を聞き捨てならぬとばかりに抗議した春海が上げていた手をゆっくり下ろした。
「…………買い出しは引き受けるから」
◇
あれこれとレシピを決めて足りない分を買い足すため、メモと財布を片手に車に乗り込んだ。
「うぅ、寒っ」
吹き付ける風で寒さをより強く感じるも、思いがけないイベントにここ数日の憂鬱な気分が軽くなり、久しぶりの高揚感に心が弾む。
──やっぱり辞めたくないなぁ
圭人とはあれっきり同棲の話は出ておらず、表面上は普段通りの関係が続いている。ただ、年末に春海の実家に挨拶に行く話だけは譲らなかった。
『同棲するかは置いといて、付き合っている以上一度くらい挨拶に行くのは当然だろう?』
そう言われて承諾したものの、押しきられるような形で実家を訪れることは不本意でしかない。
付き合っている相手の実家に進んで挨拶に行くのは恋人として誠実な行動なのだろうが、春海には外堀を埋められていくようにしか思えない。
──あたし、圭人の事本当に好きなのかな?
知らずのうちにハンドルを握る手に力が入っているのに気がつき、慌てて意識を切り替える。
ふと、目にした『HANA』の看板に妙案を閃くと笑みを浮かべ、駐車場に向かってハンドルを切った。
◇
「春海さん、ちゃんと火加減見てよ?
煮たってあくが出たら掬ってね」
「ちょっと待って!
煮たつってどういう意味!? ねぇ、何か泡? が少し出てきたんだけど、もうこれ取って良いの!? うわっ、ぽこぽこ溢れてきた! 勇太~!」
「あー、面倒くせー!
こっちは手が離せないって分かってるでしょう!」
「だって、お鍋がぁ!」
随分と賑やかな教室のドアが静かに開き、恐々と歩が顔を出す。
「あの……こんばんは。
何かお手伝いすることあります?」
「あら、歩さん!」
「歩、良いとこに来たな!
ちょっと春海さんと代わってやってくれ」
「は、はい」
肩に提げたバックを下ろし、火の前で慌てる春海の元へ近寄る。
「これ、何を作ってるんですか?」
「えっと、豚肉と大根のミルフィーユ鍋だったかな。下味は終わってるから、あとはあくを取って煮込むらしいんだけど」
「分かりました。
春海さん、火を少しだけ弱くして良いですか?」
「あ、うん。
このくらい?」
「はい。あくを取るお玉があります?」
「あ、あの皿の上に置いたかも」
てきぱきと動き始めた春海にほっとしたよう勇太がまな板の上で葉をみじん切りする作業を再開させる。
「お鍋は終わりました」
「おお、助かった!」
勇太に報告した歩が、サラダを作る美奈の手元を見ながら、使い終わったザルやボウルを回収し菜箸を渡す。
「これ、洗ってきますね」
「ありがとう」
「歩ー! お鍋もう開けて良い~?」
「大丈夫だと思います。大根が透き通ってますか?」
「あっつ!」
「春海さん!?」
「大丈夫! だけど、蓋が落ちちゃって……」
「片付けはやりますから水で冷やしてください!」
「え~別に痛くないから、」
「駄目です!」
再び賑やかになるコンロの前の会話を聞くとはなしに耳に入れていた美奈が口を開く。
「そういえば、春海さんと歩さんって結構仲が良いよね」
動かしていた手を止めた勇太が、春海と歩に一瞬視線を向ける。
「まあ、お互い真逆の性格なりに気が合うんでしょうね。歩といると春海さんのポンコツさが浮き彫りになってる感じですけど」
「勇太くん、そこは自然体でいられるって言ってあげてよ」
勇太の指摘にボウルの中の大根とドレッシングを混ぜていた美奈が思わずといったように笑った。
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