第105話 変化の予兆(4)
御無沙汰しています。
数話程度ですが、更新再開します。
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「はい、『HANA』です。
……あら、久しぶりね!」
ワントーン上がった花江の声につられるように思わず顔を上げるものの、ペンを持った花江の姿に馴染みの客からの用件かと視線を再び目の前の雑誌に落とした。
「えっと、……ちょっと待ってくれる?
今、確認してみるから」
保留にした受話器を片手に持った花江に手招きされて椅子から下りる。
「何? ディナーの予約?」
「ええ、今週の土曜日に二人でって……」
「土曜日? その日は加藤さんの予約が入ってるけど、二人なら一席くらい大丈夫なんじゃない?」
カレンダーを前に珍しく悩む素振りを見せている花江を不思議そうに歩が見つめる。
「電話、春海からなのよ。彼氏さんが遊びに来る事になったらしくて」
「え……春海さん?」
以前春海が話していた男性の都合がついたのだろう、無理を承知でディナーを頼んできた春海の申し訳無さそうな姿が何となく想像できた。
「予約が入ってるからって断っても構わないけど。
どうする? 歩」
断わるという選択肢を出してまで気を使ってくれる花江をありがたく感じるも、その一方であの時の春海の表情を思い出す。
照れながらも嬉しそうだった春海の表情を曇らせるくらいなら、自分が我慢すれば良いだけの話で何でもない振りをして笑顔を浮かべた。
「どうするって、席に余裕があるんだから全然大丈夫だよ。
折角彼氏さんが来てくれるんだから、サービスしなくちゃ。ね、花ちゃん」
「……そうね」
確認の意味をすり替えた歩に一瞬、物言いたげな視線を向けた花江が受話器を取る。
「もしもし?
……ええ、大丈夫よ。
ただ、もう一組のお客様が──」
会話を続ける花江の傍から離れると、元の椅子に座り雑誌を手に取る。全く頭に入らなくなった記事を目で追いながらひたすらページを捲っていた。
◇
日が落ちるのが早くなった空を眺めながら『OPEN』のプレートを提げると、落ち着かない気分を紛らわすように駐車場をぐるりと見回す。
春海は『相席でも構わない』と言っていたらしいが、一組目の予約から二時間ほど後に来店するらしく、ほぼ貸し切り状態になりそうだ。
久しぶりに会える嬉しさと、見たくない現実から逃げ出したいような複雑な気分を抱えながら、それでも春海に楽しんでもらおうと気持ちを切り替えて中に戻った。
駐車場に車のライトが入ってくるのが見え、どくんと心臓が跳ねる。意識しないようにしながらも車のドアを閉める音が二つ耳に届き、緊張が全身を張りつめていく。かさかさになった唇を動かすためにごくりと唾を飲み込むと、ドアベルの音にいつものタイミングで出迎える。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは~」
ひょっこりと顔を出した春海が笑顔を見せ、後ろを振り返り大きくドアを開けた。
「こんばんは」
コートに身を包んだ男性が物珍しそうな表情を浮かべて春海の隣に並んだ。
「いらっしゃいませ」
「どうも」
目の前に立った見覚えのある男性に真っ直ぐに視線を向けられ、いけない事とは分かりつつ思わず視線を落とす。
「圭人~」
「何だよ」
不満げな口調ながらも、春海に向ける表情は優しい。そんな二人のやり取りに真っ白になった頭が仕事中であることを思い出す。
「し、失礼しました!
あの、こちらへどうぞ」
予め用意していたテーブル席に案内すると、配膳のためカウンターに入った。「いらっしゃい」と明るく出迎えた花江に春海がくすぐったそうに笑っている。
「歩、コート」
「あっ!」
花江の指摘にはっとすると、コートを脱ごうとしている二人の元に戻る。
「あの、よろしければコート預かります!」
躓いてばかりの接客に早くも泣きたい気分になりながら、コートを預かるべく一歩下がって待つ。
「コートこっちに渡して」
「ああ」
二人分のコートを抱えた春海が、圭人の視線を遮るように歩の方へ身体を向ける。
「歩?」
「……少し緊張しちゃって。
すいません」
「あの人あんな感じだけど、別に怒ってる訳じゃないのよ。そんなに怖がらないであげて」
「ごめんなさい。
そんなつもりじゃないんです……」
歩の挙動不審な態度を自分の恋人のせいだと思ったのだろう、苦笑する春海に作った笑顔を浮かべる。春海からのそれ以上の追及を逃れるようにそそくさとコートを受けとり、席を離れた。
◇
「春海、トマト食べないか?」
「たった一切れじゃない。
好き嫌い言わずに食べなさいよ」
「俺が苦手なの知ってるだろう。残す方が申し訳ないじゃないか」
「しょうがないなぁ」
向かい合って座る二人のささやかなやり取りさえ甘く聞こえてしまうのは、春海の雰囲気のせいに違いない。いつもより笑みを絶やさない表情は常に目の前の男性に向けられていて、言葉にしなくても幸せであることが分かってしまうから。
──春海さん、きっと凄く好きなんだろうな
分かっていたはずの現実にそれでも締め付けられる胸の内を隠しながら、最後のデザートを届ける。
「お待たせしました。
こちらデザートになります」
差し出したのはベイクドチーズケーキ。一足早いクリスマスを意識して雪だるまのクッキーを添えてある。
「わ、可愛い!」
クッキーを目にした春海が明るい声を上げた。
「ねぇ、これ歩が作ったの?」
「はい」
「新作かぁ~。可愛くて食べるの何だか勿体無いわね」
アイシングでデコレートした雪だるまと目を合わせながら春海が微笑む。
「春海、俺の分やるよ」
「え、いいわよ」
「結構ボリュームがあったからデザートまで入りそうにないんだ」
「ええ~、ここのデザート美味しいのに」
軽く口を尖らせた春海と笑っていなす圭人に困って立ち尽くしていると、調理を終えたらしい花江がコーヒーを差し出しながら隣に並んだ。
「デザート、お持ち帰り出来ますよ?」
「そうなんですね、それじゃお願いしようかな」
圭人の言葉ににこりと笑顔を浮かべた花江が春海に意味深な笑みを送った。
「あ、ええと、紹介するわね。
こちらが私の友人で、このお店を経営している長瀬花江さんと姪の本多歩さん。そして、彼が木田圭人さん」
「初めまして、木田です。いつも春海がお世話になってます。それと、料理美味しかったです」
春海の紹介に姿勢を正した圭人が軽く頭を下げる。そのいかにも社会人として場慣れした態度に歩はお辞儀をするだけで精一杯だった。
「ありがとうございます、長瀬です。
木田さんの事は春海から常々聞いてますよ」
「本当ですか?
いや、どんな風に言ってるのか是非聞いてみたいですね」
「ちょっと!
マジで止めてよね」
花江と圭人、春海のやり取りを一歩下がった状態で見ながら表情を保つことだけを意識してやり過ごす。
目の前にいる春海との距離がやけに遠く感じた。
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