第104話 変化の予兆(3)
事務所の電話が鳴り響き、手を伸ばすも受話器を持つ瞬間に鳴り止んだ。どうやら二階の勇三が応対してくれたらしく、しばらくして内線のランプが光る。
「はい」
『春海、参加者一名追加だ。
名前はカトウ ヨシハルさん。地区は中央』
「中央地区のカトウ ヨシハルさんですね。
了解です」
必要最低限の報告が終わるとプツリと内線が切れる。
普段なら業務を終えてゆっくりと読書を楽しんでいる頃なのに、ここ数日は終業時間を過ぎても問い合わせの電話が掛かってくる。それ故に落ち着いて本の世界に行くことも出来ないのだろう、直ぐ上にいる勇三の困り面を想像しながら一人苦笑いしていると、ヘッドライトの明かりが事務所に差し込み、来客を知らせる。
既に消灯している玄関に向かうと内鍵を開けて明かりを点けた。
「お疲れ、佐伯君」
「こんばんは、今日は冷えますね」
光量の足りない玄関の明かりがぽちぽちと音を立てるように光り終えると、厚手のジャンバーを着こんだ佐伯が寒さを避けるように玄関のドアを閉める。
「これ、今日までの分です」
「ありがとう。
月曜日の朝取りに行こうと思ってたから助かるわ~
わざわざこっちに寄ってくれたの?」
「公民館に行くついでがあったんです。
誰もいなかったらポストに入れておこうと思ったんですけど……鳥居さん、こんな時間まで残ってるんですか?」
大判の封筒を差し出しながらがらんとした事務所をのぞき込むように身を乗り出した佐伯に苦笑する。
「たまたまよ。収穫体験の申し込みの整理してたら思った以上に時間がかかったの」
「あー、すいません。
仕事増やしちゃいましたね」
春海に手渡した封筒に目を向けた佐伯が困ったように頭を掻いた。
「こんな仕事なら大歓迎よ。
っていうか、今までにないくらいの申し込みの数よね」
封筒の中に入れてある申込書をのぞきこんだ春海がその枚数に軽く目を見開きながら確認していく。
「本当ですね。
役場にも結構問い合わせの電話が掛かってくるんですよ」
「ごめんねぇ。
事務所の場所が役場と別っていう事を知らない人が意外と多いのよ。迷惑にならないように申込書にしたんだけど……問い合わせて、そのまま申し込むって人もいるんじゃない?」
「こればっかりは仕方ないですよ」
お互いの似た状況に笑い合うと、佐伯も仕事着姿のままでいることに気がつく。
「佐伯君は今まで仕事?」
「自分はこれから別の連絡会に行くんで、一度家に帰って着替えてきたところです」
「そうなんだ。
里山君が飲みすぎないように気を付けてあげてね」
「本当ですよ!
アツシさん、お酒弱いくせにやたらと飲みたがるんで」
「頑張って面倒みてきます」と言う佐伯に笑って送り出そうとすると、佐伯の口調が変わる。
「鳥居さん、あの……」
「何?」
「最近『HANA』に行かれました?」
「あ~ううん、結構行ってないなぁ。
……え! 『HANA』に何かあったの!?」
「い、いえ!
そういう訳じゃなくて……」
春海の表情に慌てて否定した佐伯が何度か躊躇った後、言いにくそうに声を落とす。
「……歩さんのことで、相談がありまして」
「歩?
歩がどうしたの!!」
掴みかからんばかりの勢いに佐伯が身体をのけ反りながら春海を制す。
「ち、違いますよ!
落ち着いてください!
そ、その、鳥居さん、歩さんと仲が良いですよね?
この間食事に誘ったんですけど、中々良い返事がもらえなくて……何か他に歩さんが好きそうな事とか聞こうと思ったんですけど……」
ぎこちない表情でそう続けられて佐伯の意図を理解した。
「え、佐伯君、もしかして歩が好きなの!?」
「直球ですね」と苦笑いした佐伯がそれでも照れたように頷く。
「ごめんごめん!
へぇ~そうなんだ~」
『HANA』に行く為にと歩が佐伯とアドレスを交換したとは聞いていたが、あの時軽い気持ちで告げた言葉が現実になったことに驚きすぎて、ついまじまじと佐伯を見つめる。
「ねえ、歩のどんなところを好きになったの?」
「え!? ど、どんなところって!?」
春海の質問にしどろもどろになった佐伯にわざと軽い調子で言葉を続ける。
「そんな大げさな話じゃなくてさぁ……ほら、佐伯君が歩と知り合ったのってつい最近じゃない?
だから、何かきっかけとかあったのかなぁって」
「きっかけって言われても…………その…………一生懸命だし、すごく周りに気を遣ってくれるところとか……時々見せる笑顔とか……可愛くて、良いなって」
「……ふーん」
「! あ、あのっ!
歩さんには絶対言わないでくださいよ!?」
「分かってるわよ~」
「約束ですからね!!」
にやにやと笑っている事に気づいた佐伯が焦ったように頼んでくる。
「それで何の話だったっけ?
あ~、アドバイスだったわね。う~ん……」
あの時の歩の態度を思い出すも、どう見ても友人以上の感情を抱いているとは思えない。そもそも佐伯の誘いに応じてないのがその証拠で、おそらく相手を傷つけまいと断り切れていないのではないだろうか。恋愛にトラウマのある歩が変に気を回しすぎて一人で悩んでいないか心配になる。
「とりあえず、恋愛感情抜きで友人として付き合うのは駄目なの?
ほら、お互いの事をよく知らないまま付き合ってみたけど、やっぱり上手くいかなかったとか聞くじゃない?」
春海の言葉を聞いた佐伯が目を丸くして顔を強ばらせる。
「……鳥居さん、もしかして暗に反対してます?」
「! 違う違う! 反対とかじゃないのよ!
あの子には幸せになって欲しいの。だから、中途半端な気持ちで接して欲しくないっていうか……あ、別に佐伯君を信用してないってことじゃないからね!」
慌てて両手をぶんぶん振って否定すると、佐伯がようやく表情を和らげた。
「さっきの態度といい、まるで歩さんの保護者みたいな口振りですね」
「あぁ~確かに。
その感覚に近いかも」
何も知らない佐伯には過保護に思えるかもしれないが、今までの姿や辛い過去を知っている春海としては思いは複雑で、かといってストレートに告げるわけにもいかず、佐伯が傷つかないようなるべく穏便に解決出来る言葉を選ぶ。
「だから、まずは歩の事をきちんと知ってみたら?
佐伯君は歩と年齢も近いから話も合うだろうし、お互い色々知るのも良いんじゃない?」
「うーん……そうですね。
とりあえず歩さんと仲良くなってみます!」
「ああ、うん……」
曖昧なニュアンスが伝わったのだろうかと苦笑いする春海に気がつかないらしく、一人納得した佐伯が時間を思い出したようにはっとする。
「あ、じゃあ、また申込書が届いたら持ってきますね」
「良いわよ、私が取りに行くから。
連絡会頑張ってね」
「はい。また相談するかもしれないんで、その時はお願いしますね」
挨拶代わりのクラクションを軽く鳴らした軽トラを見送ると事務所に戻る。机に置いた封筒から申込書を取り出して参加者の名前と地区を一枚ずつチェックしていた手が自然と止まった。
「……佐伯君が歩をねぇ」
歩の魅力を分かってくれた人がいたという嬉しさの一方で、大切な友人を取られてしまうようなやるせなさが胸の奥で燻る。
その後の作業はいまいち集中出来ないまま、結局中途半端な状態で週末の仕事を終えた。
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いつもお読み頂きありがとうございます。
執筆が追い付かなくなってきましたので、しばらく更新が止まります。
なるべく早めに更新するつもりですので、よろしくお願いします。
菜央実
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