第101話 隠れ家レストランHANA(5)
やぐら作りを終えて日常を取り戻しつつある、そんなある日、ランチタイムの合間の静けさを縫って鳴った電話にテーブルを拭いていた手を止めて応対する。
「はい、『HANA』です。
はい、……5日の夜ですか。ちょっとお待ち頂けますか?」
受話器を手で押さえながら、近づいてきた花江に小声で告げる。
「5日の18時から8人だって。
予約は入ってなかったけど……」
「それなら大丈夫よ」
「花ちゃん、代わってよ」
「歩がそのまま受けても良いのに」
花江の苦言を聞き流して受話器を渡すと「もしもし、お電話代わりました」と明るい花江の声が電話を引き継ぐ。せめてもの償いとしてメモとボールペンを花江の手元に置くと、先程の仕事に戻った。
「まだ一ヶ月以上あるのに、忘年会の予約って早くない?」
ぼやきながら見上げた先は11月から1月までのカレンダーを並べて貼ってあるホワイトボード。既に来月は週末だけでなく平日もディナーの予約が幾つも埋まっており、程なくして再来月も同じようになるに違いない。
「年末は忙しくなるものだから、こういうのは早めに決めておくものなのよ」
「ふーん」
納得したのか分からない歩の返事に笑いながら花江が先程のメモを貼り付けた。
「うちも稼ぎ時だから頑張らないとね」
「あー、去年は大変だったもんね」
『HANA』の店員として初めて迎えた繁忙期を遠い目で振り返っていると、カレンダーを眺めていた花江が何かに気づいたように目を留めた。
「今年のクリスマスって週末なのね」
「うん、そうみたい」
「ちなみに、歩の予定は?」
「……あるわけないじゃん。
その週ずっとディナーも入ってるのに」
少しだけむくれたような歩をなだめるように花江が明るく笑う。
「それはそうだけど。
仕事に追われるだけのクリスマスなんてつまらないじゃない。せめてケーキくらいは準備しましょうよ」
「いいよ、買うくらいなら作るから。
クリスマスっぽくないけど、花ちゃんの好きなシフォンケーキで良い?」
「あら、じゃあローストチキンは用意しておくわ。
ツリーはお店のがあるから……あとはプレゼントね。
歩はプレゼント、何が良い?」
「プレゼントなんて要らないよ」
「遠慮しなくても良いじゃない。
私じゃなくてサンタクロースに頼むのよ?」
「遠慮とかじゃないし、サンタなんて信じる年じゃないから」
「一年に一度のイベントなのに冷めてるわねぇ」
歩の返事に残念そうな目を向けた花江が「そういえば」と話を切り替える。
「年末は向こうに送っていくから、そのつもりでいなさい」
「…………やっぱり帰らないと駄目?」
苦々しげな表情の歩がダメ元で投げ掛けた質問に呆れた声が返ってくる。
「当たり前よ。
姉さんも義兄さんも直接言わないだけで、歩の事をいつも心配してるのよ。年末年始は家族と過ごすって約束だったでしょう」
「……」
「歩、分かった?」
「……分かった」
納得したとは言い難い態度の歩にため息を一つつくと、話は終わりとばかりにパンと手を叩く。
「ほら、歩。
お客さんが来たみたいよ」
「はーい。……!」
駐車場に入ってきた車を確認した歩が一瞬動きを止め、少し困ったように視線を動かす。しばらくして鳴ったベルに気持ちを切り替えるように「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えた。
「こんにちは、歩さん」
「佐伯さん、こんにちは。
お好きな席へどうぞ」
「いらっしゃい」と同じように声を掛けた花江にぺこりと頭を下げた佐伯がカウンターの端に座ると、お茶を置いた歩が横に立つ。
「佐伯さん、ご飯の量はどうします?」
「今日はおでんなんですよね?
うーん……普通でお願いします」
「佐伯君、遠慮しなくて良いのよ」
「じゃあ、やっぱり大盛りで」
花江の言葉に笑いながら注文を変更した佐伯が歩を見た。
「歩さんはおでんの具って、何が好きですか?」
「えっ……と、卵です」
「僕も同じです! 美味しいですよね。
あ、ちなみに好きなものって最初に食べます?」
「後、ですね」
「へぇ、そうなんですね」
にこにこと笑う佐伯がまだ話を続けたそうにするのを断ってカウンターに戻り、深皿に盛られたおでんとご飯をのせたトレイに小鉢の浅漬けを添える。
「頂きます」
「ごゆっくりどうぞ」
美味しそうに食べ始める佐伯に隠れるようほっと胸を撫で下ろすとシンクに向かった。花江はディナーの仕込みに取りかかっており、日頃は気にならない静かな雰囲気の中、時折背中越しに視線が向けられているような気がして密かに身構えてしまう。
「ごちそうさまでした。
お会計お願いします」
食べ終えた佐伯の声を合図に、歩がレジに向かった。
「いつもありがとうございます」
「いいえ、美味しかったです」
レジでお金を受け取ろうとする直前「ところで歩さん」と呼び掛けられ、笑顔が固まる。
「食事の件ですけど……」
「あの……すいません。
ディナーの予約が結構入ってて……しばらくは……」
「っ、ですよね!
いえ、ほんとに都合の良い時で構わないんで!」
あせあせと頭を下げた佐伯が「それじゃまた来ますね」とドアを出ていく。カランと鳴ったベルとドアの向こうのエンジン音が消えた頃、緊張が解けたようにレジ台に両手をついた。
「佐伯君に食事に誘われてたの?」
「うん……」
歩の重い返事に花江が包丁を動かしていた手を一瞬止める。
「一日くらいなら休んでも構わないわよ」
「……ここのところ花ちゃんに任せっきりだったから」
言葉少なに隣に並んだ歩が花江の手元を見て次の工程に取りかかるべく、冷蔵庫から小麦粉と卵を取り出した。
「花ちゃん、パン粉って全部使った?」
「ええ、新しい袋を出してくれる?
下の棚に入ってたと思うから」
「うーん、と……あった」
そのまま黙ってエビフライ作りに取りかかった歩に口を開きかけたものの、結局言わないまま花江も作業を再開した。
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