第100話 おおかみ町大根やぐら(15)
「無理! これ以上は絶っ対無理っ!!」
二人だけの空間に春海の悲鳴が響き渡る。
「大丈夫ですって」
「命綱がないのにどうやって大丈夫って言えるのよ!」
「私達が何度も登り下りしてるの毎日見てたじゃないですか。だから大丈夫。落ちませんって」
「いやいや、それあたしが同じことした途端に絶対落ちるっていうオチだから!
降りる! っていうか、動けないっ!」
遂には柱である丸太にしがみついてしゃがんでしまった春海の姿に申し訳なく思いながらも笑いがおさまらない。「一番上から見た光景を撮りたい」と言った春海が初めてやぐらに登ったのだが、三段目まで登ったところで下を覗いたのがまずかったらしい。
「春海さん、そこって地面から2メートル位しか離れてませんよ?」
「2メートルも離れてるのよ!
笑ってないで助けてよ!」
流石に気の毒に思い、側に近づくと「揺れる!」と春海がますます青い顔をする。そんな表情にさえ目が奪われてしまう自分を叱咤しながら何とか気持ちを切り替えて春海の隣に並んだ。
「でも、登れないなら、写真どうします?」
「うぅ~、上からの景色撮りたいのに……どうしよう」
「私が撮ってきましょうか?」
「……お願い」
春海からカメラを受けとると手早く一番上まで登り、指示された通りの風景を幾つか写真に収めて春海の元へ戻る。
「こんな感じで取ってみたんですけど」
片手を柱から離さないままカメラを受け取った春海が画面をチェックしながら、小さく唸った。
「イメージと違いました?
撮り直しましょうか?」
平面でしかない景色に自分の芸術センスの無さを痛感していると、春海が苦笑する。
「あたしも散々写真撮ってるけど、納得出来る物なんて片手で数えるくらいしか無いわよ。だから、気にしないで」
「はい……」
慰めにしか聞こえない言葉に苦笑いで頷く。
少しだけ高さに慣れたのか、ブランコに座るよう足を空中に伸ばした春海がそれでも片手は決して柱を離さないままやぐらの一番上を見上げる。それにつられるよう歩も竹の上に立ったまま視線を上に向けた。
「……歩はあの頂上に登る時、怖くなかったの?」
「最初は怖かったですよ。
それこそ、春海さんの座ってる高さでも足が震えてました」
「竹の上で両手を離さないといけないんだものね。
……毎回見てるこっちがどきどきしてたわ」
最後小さくぼやいた春海の言葉に「あはは」と笑って返事をはぐらかす。
最初の頃は上に登る度に春海がやぐらの下で不安な表情を浮かべて見守っていた。途中からは勇太や桑畑に「危ないから」と追い払われていたものの、休憩スペースには不測の事態に備えて救急箱と氷を入れたクーラーボックスを常備してあったし、いつも一番最後の人が降りるまで決して目を離さなかったことは口に出さなくても知っていた。
責任者としてあちこちと奔走していた春海にとって見守るだけのやぐら作りは不安な作業でしかなかったのだろう。そんな春海にマイナス要因ではない、体験したからこそ分かる楽しさを伝えたくて言葉を続ける。
「だけど、一段一段作っていく度に見える景色が少しずつ違うことに気づいたんです。それこそ一番上に立つとすごく遠くまで見えて、家とか木が小さくて……ほんの6メートルの高さなのにあの上にいるときだけは空がすぐ近くにあるような気がするんです。
それが楽しくて、いつの間にか怖さがなくなってました」
竹に身体を預け、やぐらの向こう側に見える景色を眺めながらそう言うと、歩の足元にいる春海から小さく笑い声が聞こえた。
「ごめん、歩の言葉に笑った訳じゃないのよ。
今、あたし達同じ場所にいるじゃない? だけど、歩とあたしじゃ見えてるものがきっと違うんだろうなって思ったら何だかおかしくてさぁ」
「そうですか? 同じだと思いますけど」
なぜか感慨深げな春海の声に疑問を返すと、笑みの残る春海と目が合った。
「ううん、きっと違うわよ」
◇
「歩、良いわよー」
「はーい」
西の空がほんのりと赤く染まり出した頃から始めた撮影は程なくして終わり、辺りは徐々に暗闇が広がってきている。常に強く吹いている風が作業をしているときには気にならなかった寒さを連れてきて、いつの間にか吐く息も白い。
「ありがと。
おかげでいい写真が出来たわ」
寒さを感じていないような笑顔で春海がカメラの画面を見せてくる。
「……綺麗ですね」
青と赤、そして黒の入り交じった空と巨大なやぐら、その片隅に小さく立っている自分が絶妙なバランスで画面に収まっていて、静かながらどこか荘厳とした雰囲気が漂ってくる。
「イメージとぴったりだったもの。
だけど、あたし的にはこっちがベストショットだな」
そう言って見せてくれたのはやぐらに乗った歩を春海が下から撮った一枚。
「これ良いわよねぇ」
「……」
しみじみと呟く春海に反抗するように無言を貫く。撮った直後に見せてもらったその写真は春海に呼び掛けられたと同時にシャッターを押されていたらしく、笑みを浮かべた自分の顔がアップで写っている。
「……それ、関係ないですよね。
消してくださいよ」
「駄目よ、関係あるもの。
絶対消さない」
困り顔で隣に立つ歩に微笑みながら、春海が大切な物を扱うよう丁寧にカメラに触れる。
「そう言えばさぁ、休憩時間に佐伯君と二人で話していたじゃない」
「え? はい。
『HANA』に来てくれるみたいで連絡先を交換したんです」
「ふーん」
「? 何ですか?」
歩の説明に何故かにやにやと笑う春海に戸惑っているとのぞき込むように見つめられた。
「案外、歩に気があったりするかもしれないわよ?」
「そんな訳ないです!」
友人としてならともかく、好意を持たれても困るだけだ。そんな心情が現れた歩の態度に驚いたような春海が目を丸くする。
「あ……
あの、そろそろ帰りませんか?」
「そうね、そうしましょうか」
「はい」
雰囲気を変えるように笑って見せると、安心したように春海も同意した。
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