第99話 おおかみ町大根やぐら(14)
「おかえりー、歩ちゃん」
既にお茶が回った休憩スペースに入れば、コンテナ箱に座った寛太が両足をバタバタと揺らして歓迎してくれる。
「ただいま、寛太くん。
恭君、こんにちは」
「こんちは」
「今日、正太君は?」
「にーちゃんはサッカーだから学校に残って宿題してる」
「そっか、今日はサッカーの日だったね」
寛太の隣に座った歩に大学芋の入ったタッパーとお茶が差し出される。
「歩ちゃん、食べんね」
「わ、ありがとうございます」
「八枝ばーちゃん、僕も!」
「はいはい。
恭志郎くんもどうぞ」
「ありがと」
寛太たちに大学芋を配っているのはいつか見学に来た初老の女性。あれから時々訪れるようになった女性は寛太の顔馴染みらしく、寛太を通じて一気に親しくなった間柄だ。
「寛太、今日はにーちゃんがいないからって宿題後回しにするなよ」
「今日はお休み券もらったから音読だけだもん。
すぐ終わる。
じーちゃん聞いててよ。ぼく、もう本見ないでも言えるんだからね!」
桑畑にどや顔を見せる寛太に隣で恭志郎が「いいなぁ」と羨んだ。
「恭君はお休み券貰ってないの?」
「シンイチ先生はお休み券作ってくれないの」
「じゃあ大変だね。
でも土日の宿題は少ないんでしょう?」
「うん。
だけどぼくもお休み券の方がいいな」
恭志郎の悩みに相づちを打つ歩の隣では勇太と佐伯が小学校時代の話に花を咲かせ、桑畑と八枝の前で寛太が国語の本を見せながらそらんじている。
「…………」
少し前では考えられなかった光景をファインダー越しに眺めながら雰囲気を壊さぬよう静かにシャッターを押した。
いつからだろう?
この不思議な光景が当たり前になっていたのは。
今日でそれが終わってしまうことが残念で少しでも記録に残すため、何枚も写真を撮り続けている。
やぐらが完成した今、残すは大根の収穫体験と完成した干し大根を配るイベントの二つだけだ。今までは下準備に過ぎなかったはずなのに、少しずつ組み上がっていくやぐらと次々と繋がっていく縁を目の当たりにするうちに、本来の目的はもう達成されたような気分になる。
「!」
カメラが自分に向いている事に気づいたらしい歩が少し困ったように微笑んだ。視線を逸らさなくなったものの、本来の笑顔を収めた写真はあれっきりで未だに撮れてはいない。
ふと、ずっと頭の中で温めていたイメージがくっきりと明確になった。カメラから手を離すと忘れないうちにポケットからメモ帳を取り出して思い付くまま書き留めていく。
「春海さん、お茶まだ残ってるよ?」
「うん」
「春海さーん?」
「うん」
「あー、ダメだ。ありゃ」
「春海さん、どうしたんですか?」
「止めとけ、歩。
あの状態だと何を言っても聞こえてねーぞ」
「そうなんですか?」
「まあしばらくすれば元に戻るから、気にすんな」
遠くで何か話しているのが聞こえるものの、イメージを掴むのに必死でただ聞き流していた。
◇
「ありがとうございました!」
「ほんじゃ、また連絡せいよ」
「はい」
片手を上げて車を発進させた桑畑を見送ると勇太と佐伯の乗った軽トラが後に続く。後ろを振り向くと、律儀に最後まで残っていた歩と目が合った。久しぶりの二人きりは少しだけぎこちない気がする。
「完成して良かったですね」
「歩が頑張ってくれたおかげよ」
「そんなことないですよ」
「変に謙遜しなくて良いの。本当のことなんだから。
だから、ありがとう」
「……どういたしまして?」
疑問符付きの返事に思わず笑うと「だって!」と抗議の声が挙がる。随分と豊かになったその表情に思わずカメラを向けた。
「あっ!
ひどい、春海さん!」
「良いじゃない、写真の一枚くらい」
「絶対変な顔になってるから駄目です!」
気がつけばいつも通りの距離感となった雰囲気に安心してカメラに伸ばそうとする手をかわすと、歩の正面に回る。身体と身体が触れ合うほどの近い距離に困ったように歩の動きが止まった。
「それよりね、歩。
ちょっとお願いがあるんだけど」
「はい、何ですか?」
「歩をモデルに何枚か写真撮りたいの。
だから協力してくれない?」
「モ、モデルって!? そんなの、」
「あ、そこは心配しないで。ちゃんと考えてるから。
ほら、今日は晴れたじゃない? だから夕日をバックにやぐらが綺麗に映るんじゃないかって思ってさぁ。こう、何ていうか……遠くからの立ち姿のポーズが欲しくてね、雰囲気で誰か分かるみたいな……歩なら背は高いし、イメージにぴったりなのよ。だから、」
「春海さん」
自分を呼ぶ歩の声にはっとすると歩が困ったように見ている。頭の中のイメージに集中するあまり、歩の返事を聞かずに一方的に捲し立ててしまった事に気がついた。
「あ、」
「良いですよ、写真」
「え? ……良いの?」
「そこまで言われたら引き受けない訳にはいきませんから」
苦笑しつつも、まるで愛しいものを見るかのように目を細めた歩のその大人びた表情に急に自分が子供っぽく思え、恥ずかしさを誤魔化すよう歩の両手を掴むと大袈裟にぶんぶんと上下させた。
「春海さん、激しすぎますって!」
春海の子供じみた行動にますます困ったような歩がそれでもきちんと笑ってくれた。
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