第94話 歩と春海(7)
「って訳でさぁ、あれは完全にセクハラ案件よ! あのじーさんにお酒飲ませちゃ駄目だわ~。歩もくれぐれも気をつけるのよ」
「あはは、大丈夫です。私が桑畑さんとお酒飲むことなんてありませんから」
「分からないわよ? だって同じ町内じゃない。
まあ、その時はあたしが隣に座って桑畑さんから守ってあげるから安心して」
「はい、その時はお願いしますね」
話に一区切りついたところで目の前のホットプレートを見る。電源を切ってから随分経つし、そろそろ熱も落ち着いただろう。
「春海さん、お皿片付けませんか?」
「あ、そうね。
えっとじゃあ、!」
ベッドの上からメロディが流れてきて、抜いたコードを手に持ったままの春海の動きがぴたりと止まった。どうやら無視出来ない相手らしいと、歩から気を回す。
「私、外に出てましょうか?」
「ううん、それは大丈夫。
あ、ちょっとうるさくなるかも。良い?」
「はい。
あの……キッチンにいますから」
「ごめん」
手早く皿とコップを持った歩が立ち上がる前に春海がスマホを耳に当てた。
「もしもし。
うん? 寝てないわよ。……今? ご飯食べてた」
普段よりも弾んだ声に相手が誰であるか分かり、どくん、と心臓が跳ねた。カチャリと音をたてた皿を落とさぬようしっかり持ち直してキッチンに急ぐ。
「何って……お好み焼き。
は? 今、友達がウチに来ててさぁ」
なるべく聞くまいと思いながら食器をざっと水で流し、スポンジを手に取った。スマホを耳に挟みながらプレートを持ってきた春海が袖を引いてリビングを指差してくるのを何度も首を振って拒否すると、諦めたように隣に立つ。どうやら片手に布巾を持ったことから、皿を拭くことにしたらしい。
「……うん、それで?
あぁ、……うんうん」
洗った皿を受けとる春海との間、僅かに聞こえる低い声が自分たちのすぐ隣にいる様でひどく落ち着かない。居心地の悪さを覚えつつ二人分の皿とプレートを洗い終えると、水を止めた。逃げ場を探すように視線を動かすも、目の前に春海がいては動けそうになく、そのままの姿勢で冷蔵庫をぼんやりと眺めているしかない。
「うん、分かった。
後でまた掛けるから。……うん、ごめんね」
程なくして通話を終えた春海がスマホをポケットに入れると手に持っていた布巾を置く。隣に立っていた歩に「ごめんごめん」と笑うのを見て、何とか笑顔を作り出した。
「電話……彼氏さんですか?」
「あぁ、うん。
今日、あっちも休みだからさぁ」
照れながらも嬉しさを隠さない声と表情に言葉が詰まる。
「ごめん、結局片付けまでやってもらっちゃって」
「いえ、作ってもらったので……これくらいは、全然……」
「歩?」
急にぎくしゃくした態度になった歩を春海が見つめてくる。途絶えてしまった会話にはっとすると、頭に浮かんだ言葉を咄嗟に口にした。
「あの、その、し、写真とかないんですか?
折角だから見てみたいなぁって思って」
「あぁ~、写真ねぇ……」
何とか不審に思われなかった事に安堵するも、スマホを弄っていた手がにゅっと目の前に現れた。
「……あんまり他人には見せないんだけど。
この人」
画面に写っていたのは笑顔の春海と見知らぬ男性。春海よりは少し年上だろうか、キリッとした眼差しに小さく笑みを浮かべた頼りがいのありそうな顔立ちで、頬を寄せるように並んでいる。自撮りらしく、二人とも肩までしかフレームに入っていないものの、密着したその距離は誰がどう見ても恋人同士だった。
「……お似合い、ですね」
「え? そ、そう?」
見たことを後悔しつつも笑って印象を伝えれば、スマホを閉じた春海が恥ずかしそうに笑う。
「いや!? でも、結構うるさいし、潔癖だし、すぐ怒るし、そうでもないわよ」
あれこれと悪態をつくものの、春海の表情を見ればそれが本気で言っているとは思えない。痛む心に見ない振りをして目の前の春海に笑みを浮かべる。
「そうそう。
まだ予定は決まってないんだけどね、彼氏が一度ここに遊びに来たいって。歩、その時は会ってくれる? 『HANA』にも連れていきたいから」
「はい」
心からの嬉しそうな笑顔に返せる言葉はそれが精一杯だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます