第93話 歩と春海(6)

 蛍光灯の光が眩しくて目の前が一瞬真っ白になる。ぱちぱちと瞬きをして視界を取り戻すと、白々しいスクリーンに淡く《Fin》の画面が映っていた。


「やっぱり大画面って良いわね。

 思った以上に見入っちゃったわ」


 固まった身体を解すよう、春海がぐぐっと前に両腕を伸ばす。


「本当、凄い迫力ありましたね」


 同意しながらいつの間にか抱きかかえるように持っていたクッションの形が崩れていないか心配しているとわざと型を崩すように春海が手を伸ばしてきた。


「あ!」

「そんなに気にしなくても、形あるものいつかは壊れるのよ」

「駄目です!」

「あたしのなんだから良いじゃない」

「春海さんのクッションだから駄目なんです!」


 うりうりと手を伸ばしてくる春海から守るようにクッションを抱きしめると布地から春海の匂いが鼻に届き、身体の奥がじわりと熱を持つ。


「あ~、面白かった」


 ひとしきり騒いだことで満足したのか春海がスクリーンを片付け始めるのを手伝うと、ついでに空のマグカップをキッチンに持っていった。


「春海さん、キッチン借りて良いですか?」

「あ、それあたしがやるから」

「いえ、カップ二つですし」


 手早く洗い終えたカップを並べて置くと、手を拭きながらリビングに目を向ける。自分の家ではない見慣れない光景に小さな違和感を覚えながらも、同じ空間にいるこの光景がまるで春海と同棲しているかのような錯覚を覚えてしまい、首を振って頭から追い払う。


「ところで、歩はご飯食べれそう?」

「あ、はい」

「んじゃ、折角だから食べていってよ。

 あたしが作るからさ」

「え!?」


 春海の言葉に思わず声をあげると、不満げにぎろりとにらまれた。


「何よ、あんた全っ然信用してないわね……

 あたしだって作ろうと思えば作れるのよ。

 言っておくけど、今まではやらなかっただけだからね!」

「そ、そんな事思ってませんよ?」

「見てなさい! あたしの料理で歩をぎゃふんと言わせて見せるから」


 どすどすとキッチンに来た春海がシンクの前を陣取ると、冷蔵庫から材料を取り出してくる。

 卵、千切りパックのキャベツ、刻みネギと紅しょうが、揚げ玉と豚肉にチーズ──何を作るのか頭の上に疑問符を浮かべていると、最後に春海が取り出した袋を見て料理に辿り着く。


「お好み焼きですか?」

「そ。ホットプレートも借りてきたの。

 これなら材料混ぜるだけで失敗もないもの。

 どう? 考えてるでしょう」


 その自信満々の表情が子供ぽくて吹き出しそうなほどおかしい。その一方で、自分の為にここまでしてくれる気持ちが嬉しくもあった。


 ◇


「歩~、どうしよう!」

「どうしました?」


 粉に対してキャベツの分量が少なかったり、卵の殻が生地に入ってしまったり、プレートに引く油が無かったりとトラブル続きながらも、ようやく焼けたお好み焼きを前に春海がもう何度目かの助けを歩に求める。


「フライ返し買うの忘れてるの!」

「あー、それじゃ割り箸で返します?」

「割り箸!? その手があったか」


 目の前のお好み焼きは少し小さめのサイズが二枚。きちんと焼けていれば割り箸で返せない事もないだろう。


「春海さん、やりましょうか?」

「ううん。

 大丈夫!」


 意を決してといわんばかりの表情の春海が両手に割り箸を持ってプレートに向き合う。縁に寄せた生地を勢いよく返すと綺麗な焼き面が現れた。


「やった!!

 なーんだ、全然余裕じゃない」


 大喜びから一転、意気揚々と二枚目に手を掛けるもそちらはまだ十分に固まっていなかったらしく、途中で崩れてオムレツのようになってしまう。


「ああっ!? 失敗したぁ!」

「ぷっ! あはははっ!」

「こら! 歩っ」

「だって、だって! 絶対すると思ったんですもんっ!」


 思わずお腹を抱えて笑いだした歩につられるよう春海も笑いだし、狭い室内に笑い声が重なった。


 ◇


「……ねぇ、歩。

 やっぱりお皿交代しない?」

「駄目です」

「だってさぁ」

「ちゃんとじゃんけんで決めたじゃないですか。

 これは私が食べますから」


 半分に崩れたお好み焼きを前にさっさと両手を合わせる。箸をつけてしまえば春海も何も言わないだろう。


「いただきます」


 箸で一口分切って食べると、ソースの風味と紅しょうがの効いたお好み焼きの味が口に広がる。


「春海さん、美味しいです」


 笑顔で感想を伝えると、一部始終を見ていた春海が自分のお好み焼きをぱくりと食べる。もぐもぐと口を動かした、その表情が笑顔に変わった。


「本当だ!

 ちゃんと出来てる! 良かったぁ」


 嬉しそうに食べ始める春海の姿に、ふと過去の自分が重なった。



 初めて作った料理は卵焼きとお味噌汁で、今考えても決して上手い出来とは思えなかった。それでも崩れて味の無い卵焼きを「美味しい」と食べてくれた花江の笑顔に嬉しさを感じたように、今の春海も同じ気持ちでいてくれているのだろうか。


 花江の言葉の半分はお世辞であったと内心思っていたものの、今ならあの時の言葉は間違いなく心からのものであったと言える。



 それくらい春海の作ってくれたお好み焼きは美味しかったから。


「歩、生地余ってるし、おかわり食べる?」

「はい」

「任せて。

 今度こそ上手に作るからね」


 笑顔の春海に笑って返すと皿の一口をゆっくり味わった。

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