第90話 中央高校文化祭 (8)
二人でおでんをつついてのんびりと過ごした後、歩を『HANA』まで送るため本日三度目の車に乗り込む。春海としては時間を気にせず過ごして欲しかったものの、まだ幾分疲れの残る表情の歩がしきりと春海を気づかう為、それ以上引き留めることは出来なかった。
ほどなくして見えてきた『HANA』の駐車場に滑り込むと、車のライトを消す。
「それじゃ、ゆっくり休むのよ」
「はい、ありがとうございました」
「明日の待ち合わせ、寝坊しないようにね」
春海の言葉に困ったよう笑うのを見て、そういえば歩には知らなかったことにしているのだったと慌てて付け加える。
「まあ、体調が悪くなったりするかもしれないし、何かあったら遅くなって良いから連絡して」
「……はい」
少しだけ不安に揺れる瞳が今朝の出来事を思い出しているに違いなくて、もう何度目かの「泊まっていけば?」という台詞を飲み込む。花江のいない一人きりの家に戻すのは忍びないものの、客用の布団もない春海の部屋の同じベットで寝るのは歩にとっては抵抗があるだろう。
そんな春海の心の内を知らない歩がシートベルトを外して車から降り、運転席の方に回った。
「コートとマフラー、明日返しますね」
「ん。
家に入るまで絶対外したら駄目だからね」
「約束よ」と念を押すと歩がくすくすと笑う。
その表情にふと、今この時が心に留めていた言葉を告げるチャンスだと気がついた。
「あ」
「?」
何かに気がついた様な声の歩につられ、言葉が止まる。
「春海さん、見てください。
星が……あんなにたくさん」
「……本当だ」
車のエンジンを切り外に出ると、空一面に星が広がっていた。あれほど吹いていた風が全ての雲を吹き飛ばしたらしく穏やかな冷たい空気の中、空で瞬いている数多くの星を見上げる。
「三つ並んだあれって、オリオン座ですよね」
「えっ、どこどこ?」
「ほら、家の屋根から右に見える星です。……1つ、2つ、3つありますよね」
「あ~、言われてみれば何か習った気がするわ。
歩、よく覚えてるわね」
「……理科は好きだったんです」
歩が指さした先を見ながらいつしか会話が途切れ、不意に以前ベランダから見た星空を思い出す。
あの時一人で見た光景を今は歩と並んで眺めている。その事がただ嬉しくて何故か少しだけ胸が痛い。
黙ったままでもお互いの存在を感じられる、そんなくすぐったく心地よい雰囲気を歩も感じているのだろうか。しばらくの沈黙の後、眺めた星空から隣にそっと視線を移すと同じタイミングで目が合い、歩が小さく微笑んだ。
「春海さん」
「ん?」
深夜の澄んだ空気の中、控えめな声がそれでもはっきりと耳に届く。
「私、まだあなたに隠してることがあります。
その事は絶対に話せません。春海さんだけではなくて他の誰にも」
強い眼差しに圧されるように黙ったままの春海に歩が向かい合った。
「……それでも……それでも、私は、あなたと一緒にいたい。
もう、後ろ向きになるのは辞めます。泣くのも終わりにします。
だから、もし、春海さんが良ければ……これからも会ってくれますか?」
言い終えるにつれ不安げに揺れる瞳に一歩近づくと、そっと両手を伸ばす。緊張からかきつく握られている手に触れると、その強ばりを解くように優しく包んだ。
「勿論よ。
あたしにだって秘密は幾つもあるし、歩に言ってないこともたくさんあるわ。だから、それはお互い様。
それに、明日も会うって約束したでしょう。
もう忘れちゃった?」
おどけた口調に小さく笑った歩が首を横に振る。
恐る恐るといったように拳を緩めた指が春海の指先に当たり、初めて触れる指が少しだけかさついているのを感じながらそれでもしっかり繋ぐと、歩が望んでいるであろう言葉を続ける。
「第一、私たち友達でしょう。
これからもそれは変わらないわ」
「……はい」
その言葉に嬉しそうな声が返ってくる。
だから、確かに笑った歩が一瞬哀しそうに見えたのは気のせいだったのだろう。
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