第85話 中央高校文化祭 (3)

 食事を終え席を立つ前に時間をもらい、郁恵の元へ向かった。


「郁恵ちゃん、ご馳走さま。

 凄く美味しかった」

「本当ですか!

 良かったです」

「あの豚汁って隠し味にごま油入ってる?」

「正解です! やっぱりプロの人には分かるんですね」

「いやいや全然プロとかじゃないから」


 全力で否定するも「またまたぁ」と軽くあしらわれてしまう。


「そう言えば、一緒に来てた女の人が友達ですか?」

「あ、うん。地域起こしプロジェクトの鳥居さん」

「ふーん、何だか意外~」

「え、何が?」


 少し離れた場所でスマホを弄っている春海を見ながら呟いた郁恵の一言に思わず聞き返す。


「だってあの人結構年上の人ですよね。友達って聞いてたから、てっきり同い年くらいの人と来るのかと思っちゃいましたもん」

「あ、あぁ……そうだよね……」


 年齢的に離れている二人が並んで歩いても世間的には友人と思われないのだろうか、一抹のもやもやした気持ちを抱いた歩の微妙な答えに郁恵が慌てる。


「あっ! その、悪い意味じゃないですよ?

 すっごい仲良さげだったし、何て言うかギャップみたいに思えちゃって!」

「うん、全然大丈夫だから」


 郁恵に笑顔を浮かべ、さりげなく話題を別の事に振ると先程のもやもやを頭の片隅に追いやった。


 ◇


「お待たせしました」


 小走りで戻ってきた歩の声に、スマホをバッグに入れた春海が顔を上げる。


「ゆっくり話出来たの?

 まだ時間あるから気を使わなくても良かったのに」

「いえ、また会えますから」


 郁恵ならアドレスも知ってるし、会おうと思えば同じ町内ということもありいつでも会える。そう言うと何故か春海が笑い出す。


「え、どうして笑うんですか?」

「だって、それならあたしの方が全然当てはまるじゃない」

「あ」


 指摘されて初めて気がついたという表情の歩に、春海が少し意地悪な笑みを浮かべる。


「ふーん、歩はそんなにあたしと一緒にいたいんだ~」

「!!」

「あのツンツンしてた歩ちゃんがこんなに可愛くなっちゃって~。おねーさん嬉しいなぁ~」

「ほ、ほら、先に行きますからね!」


 けらけらと笑う春海に構わず先に歩きながら、両手で顔を隠したくなる衝動を必死に抑えた。


 ◇


「あー、何かあっという間だったわね」


 最初の場所まで戻ってきた春海が余韻を楽しむかのように後ろを振り返る。


「これで全部回ったのかしら?」

「多分……あ、その先に書道部作品展示場ってあります」

「んー、どこどこ?……あ、あそこかしら。

 最後だしついでに観ていこっか」


 グラウンドに一番近い校舎を春海が指差した先には入り口に『書道部作品展示会場』と看板が置かれている。入り口から中をのぞけば、校舎は展示のみとあって無人の様だ。


「靴脱がなくても良いみたいね。

 お邪魔しまーす」


 何処の高校でも同じなのだろうか、コンクリートの見える長い廊下と整然と並んだ教室が目に入った途端、今朝の悪夢がちらつき胸が苦しくなる。


 ここはあの学校じゃないのに──


 そんな当たり前の事実を拒否するように心臓は早鐘を打ち、身体が鉛を背負ったかのように重苦しい。



「歩?」


 玄関から一歩も動かない歩に気づいたらしく、春海がこちらに戻ってくる姿が見えて焦りが生まれる。


 行かないと春海さんに不審に思われてしまう!

 早く! 早く! 動け、動けっ!!



「……どうしたの?」


 すぐ傍まで来た春海の心配そうな声に顔を上げれないまま咄嗟に困った笑い声を出した。


「……あの、足が……その、つっちゃって……だから、ここで待ってて良いですか?」


「あぁ、そういうこと。

 外にベンチがあったからそこに移動しましょうか」

「ひ、一人で行けますから、中、観てきて下さい」

「ううん、一緒に戻りましょう」


 俯いたまま必死で足を動かそうとしていると、春海が歩の握りしめた手を取った。


「歩、そんなに足を叩かないの。

 痛いじゃない」

「大丈夫ですっ、全然、こんなの、」


「歩!」


 強い口調で名を呼ばれようやく顔を上げると、いつになく険しい春海の顔が目の前にあった。


「戻りましょう。ね?」


 表情とは逆の言い聞かせるような優しい声に、張り詰めていた糸が切れたように身体が軽くなった。


「…………う、……は、は……い」


 崩れるように力の抜けた身体を春海がそっと支えてくれ、そのまま外に連れ出される。ぽつんと置かれたベンチによろよろと座った歩の丸まった背中を日の光が優しく照らし、身体の中を少しずつ血が巡るのが感じられた。やがて、ずっと凝視していた地面がぼやけ始め、自分の目からぽたりぽたりと水滴が落ちていくのが見えた。


「……ごめん、なさい……」



「どうして謝るのよ。

 謝るの禁止って言ったじゃない」


 震える背中を擦ってくれている手に向けた言葉はそれだけ言うのが精一杯で、それ以上続かなかった。

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