第84話 中央高校文化祭 (2)
玄関のドアを開けると穏やかな空が見え、一足先に靴を履いた春海を追うように立ち上がった。
「いってきます」
「いってらっしゃい。
……春海、お願いね」
「ええ、分かってる」
花江に送られて手を振ると、少し先で待っていてくれた春海の隣に並ぶ。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい、お願いします」
予定より一時間近く遅くなった出発に気を悪くする様子もない春海に、心の中でもう何度目かの謝罪をした。
車の助手席に乗り込むと、いつもと違う何かに違和感を覚える。思えは、春海と朝会った時からずっと感じていた様な気がするものの、それが何なのかわからない。
走り出した車に考えることを諦めて、ハンドルを握る春海をそっと見ると、白いブラウスにジャケット、それにベージュのスカートという一度も見たことのない服装に目が向けられる。普段よりもぐっと気合いの入った格好に春海も今日を楽しみにしてくれていたのだろうか。
そんな視線に気づいたのか、ちらりと横を見た春海が笑顔を浮かべた。
「文化祭なんて久しぶりね~。
天気も良いし、なんかわくわくするわ」
「そうですね」
「そういえばさぁ、歩が高校生の頃ってどんな感じだったの?」
「! その、ど、どんな感じって……」
何気なく投げ掛けられた質問に言葉が出ず、会話が途切れると春海が前を向いたまま口を開いた。
「なに? 普通だった?」
「は、はい……」
「なーんだ、残念」
「……」
「歩」
「は、はいっ」
「あのさ…………えっと、先にコンビニ寄って良い?
コーヒー買いたいから」
「あ、はい……」
それほど残念がる様子でもなく話を変えてくれたことにほっとすると、程なくして到着したコンビニで車から降りた。うなされたせいで食欲は無いものの、身体は水分を欲しがっていたので正直有り難い。春海に連れられて店内を一巡した後、パックのジュースを選んでレジに向かうと、前に並んでいた春海が振り向いて歩のジュースをレジに並べた。
「これも一緒にお願いします」
「春海さん!」
「今ならあと二品まで受け付けるわよ」
「……ありがとうございます」
断るタイミングを失い、素直にお礼を伝えると春海が満足そうに笑った。
◇
見知らぬ道を三十分ほど進んだ頃、左側に大きなグラウンドが見え、『中央高校文化祭 駐車場』と矢印のプレートが置かれている。
「あ! あれじゃない?」
「結構大きな高校ですね」
高校の敷地の手前から何台もの車がウインカーをつけて並び、その流れに沿うように春海が最後尾についた。徐々に見えてくる校舎らしき建物に、シートベルトを掴んでいた手が知らずのうちに震えている。
ここは、あの場所ではない。
だから、大丈夫。
何度も自分に言い聞かせながら、緊張を隠すように前を向いた。
校舎と校舎の間にある敷地の隅に駐車して車を降り、会場に向かう人たちの流れに加わると、軽快な音楽と賑わう声、それに香ばしい匂いが混ざったお祭り特有の熱気が流れてきた。
派手に装飾された看板をくぐった先で、グラウンド中央に建てられたステージを囲むように沢山のテントが並び、出店の呼び声やバンドの派手な演奏、それとおびただしい人の声が二人を出迎える。一般にも解放しているとあって辺りには学生だけでなく保護者や一般客らしき人の姿も多く見受けられ、普段の学校とは違う非日常特有の雰囲気に安心すると、そっと安堵の息をこぼした。
「うわぁ、本当のお祭りみたいね。
どうする? 順々に回っていく?」
「そうですね」
パンフレットを春海に見えるように広げると寄り添うように春海がのぞき込む。その瞬間、今朝からの違和感の正体にたどり着いた。
「……あ、匂い」
「ん、どした?」
「いえ、いつもと違う匂いがするなって思って……っ!」
きょとんとする春海に説明しようとして自分の発言の危うさに思わず口を押さえる。そんな歩の態度に思い至ったように春海が一歩距離を開けると香りを追い出す様に自分の服をぱたぱたと扇いだ。
「あ、ごめん! もしかして香水がキツかった?」
「いえ! 不思議な香りっていうか、その、癒される感じの匂いだなって思っただけで、全然! 本当に!」
あせあせと説明する歩にほっとしたように春海が動きを止める。
「本当に?
ほら、香りって人によっては好き好みがあるでしょう。合わなかったり匂いが強かったりしたら迷惑だし」
「私は、好……良い匂いだと思います」
差し出された腕に鼻を寄せるわけにもいかず立ったままの歩の隣に春海が肩を並べる。
「良かったわ。
これ、お気に入りの香りなのよ」
その嬉しそうな笑顔に鼓動が一つ跳ねた。
◇
香ばしい匂いに誘われて買った焼き鳥。
呼び止められて入ったいかにも胡散臭い占いの館での相性占い。
『調理部』の看板の元に飾られていたクッキー。
ジャンケンゲームで三連勝して貰った洗濯用洗剤。
初めはこわごわとのぞいてみた文化祭だったが、学生たちの明るいテンションにつられるように出店を何軒も巡る頃には朝の悪夢も吹き飛んでいて、歩も笑顔を浮かべて楽しんでいた。
やがて、校舎の突き当たりまで来ると、軽食ではないしっかりとした料理の匂いが広がってきた。どうやらここが郁恵のクラスの出店らしく『ご飯処 西や』と大きく書かれた看板が掲げられている。テントの奥には大鍋が並べられ、お揃いの三角巾とエプロンを着けた学生たちが忙しそうに動いていた。
「歩の友達はいた?」
「ええと……あ、受付みたいです」
受付に郁恵の姿を見つけるもそれなりに並んだ行列を捌くのに忙しそうで声をかけるのを躊躇う。
「昼時を過ぎたのに結構賑わってるわね。
歩、食べていくでしょう?」
「はい」
「それじゃ行ってみましょうか」
行列の最後尾に並ぶと学生の一人が直ぐに注文を取りに来る。手書きの番号札を渡されると受付で会計を済ませ、奥のテーブルで料理を受けとる様に説明された。
「へぇ、結構要領良いわね。
でもさぁ、どうして『西や』なのかしらね」
「えっと、担任が西先生だからって言ってました」
「あはは、そのネーミングセンス良いわぁ~」
程なくして前の人が会計を済ませ受付に並ぶと「いらっしゃいませ」と顔を上げた郁恵がぱっと笑顔を見せた。
「こんにちは、郁恵ちゃん」
「あー、歩さん!
来てくれたんですね!」
支払いを済ませた歩の隣に立つ春海にどこか見覚えあるような表情で挨拶をした郁恵が隣に座っていた男子に二言三言ささやき、席を立つ。
「歩さん、ちょっと待ってて下さいね」
「?」
厨房に行った郁恵がトレイを持ちながらそろそろと戻ってくると、トレイの上には豚汁とおにぎりが二つずつ並んでいる。
「はい、おにぎりはサービスです。
ちなみに豚汁も具沢山にしてもらいましたから」
「わ! ありがとう。
でも、こんなにしてもらって良かったの?」
「協力してもらった人たち用に予めサービスを決めてあったんで気にしないでください。あ、あっちの奥のテーブル使って良いですよ」
「ありがとう」
にこにこと受付に戻った郁恵を見送ると、テーブルに向かい合って座る。日差しが遮られたテントの中は吹き抜ける風が心地よく、ほうと息がこぼれる。
「歩、大丈夫? 疲れてない?」
「はい、大丈夫です」
今日は何度か気を遣うよう訊ねてくる春海に笑顔を返す。慣れない人混みに疲れはするものの、春海と一緒なら苦にはならない。そんな歩の様子を春海が黙って見つめていたが、歩が顔を上げると何事もなかったかのように表情を戻した。
郁恵が自慢しただけあって豚汁は美味しく、箸を動かしながらも具材や調味料をついチェックしてしまう。食事の合間の会話にそんな事を話すと春海が意外といったように箸を留める。
「え~、あたしはそういうの気にしないで食べるかなぁ」
「そうですか」
「何だかんだいっても、歩はやっぱり料理が好きなのよ」
「そうですか?」
いまいち納得出来ずに首をかしげる歩をくすくすと笑った春海が微笑ましそうに見つめた。
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