第83話 中央高校文化祭 (1)

「花ちゃん、先に寝るね。お休みなさい」

「お休み」


 部屋に戻り電気を消すも、くたくたの身体は今夜に限って少しも眠気は訪れてくれない。仕方なくスマホを取ると春海とのメッセージを開いた。

 一時間程前に届いたメッセージには無事に二次会を切り上げられた旨が綴られており、続けて送られてきたパンダのスタンプが両手を挙げて喜びを表していて、何度も見返してみてはじわりと嬉しさが滲み出す。


『好きな人を見る目って全然違うのよ』


 花江の言葉を思い出して思わず目をぎゅっと瞑った。


 明日どんな顔で春海と会えばいいのだろう。

 そもそも春海に向けている感情は友情であるはず。

 なるべく意識しないように気をつけてさえおけば、きっと──


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせるように何度も何度も呟いては深呼吸を繰り返し、ようやく眠りについた。




 ぼんやりとした眠りから目覚めるとスマホが時間を告げていた。手を伸ばしてアラームを止めるも、セットした時間が早すぎて約束の時間まではまだ二時間以上ある。

 準備の時間は一時間あれば十分だし、浅い眠りだったせいか身体がやたらと睡眠を要求している。寝ぼけ眼でそれでも何とかタイマーをセットすると再び目を閉じた。


 あと、三十分だけ……


 押し寄せる睡魔に身を委ねるように、意識がゆっくりと沈んでいった。


 ◇


 むき出しのコンクリートがひやりとした質感を見せる廊下の一角──見覚えある光景に身体が強ばる。


 これは夢だ。それは分かっている。

 今まで何度も繰り返された光景だから。

 だからこそこの先は見たくない。

 心の中はそう叫んでいるのに、身体は言うことを聞かない。


 視線を下げれば、少し丈の短い紺色の制服と白いソックス。周りには談笑する女子生徒や廊下を走る男子生徒の姿。あの時は誰もいない廊下を歩いていたはずなのに夢の中ではいつも周りに他人がいる、その事がより一層恐怖を煽る。


 やがて、自分の身体が意思とは無関係に見覚えのある場所に向かって行く。


 嫌だ


 嫌だ!


 嫌だ!!


 誰か、止めて! その先は行きたくない! 見たくない!


 周りには、沢山の生徒がいるのに、誰一人自分を見ようとはしてくれない。


 ……………………………た す け て


 次第に乱れる呼吸と激しく音をたてる心臓。

 苦しくて苦しくて消えてしまいたいのに嫌でも見せつけられてしまうのは、あの日あの時の光景。


 整然と並んだ机と椅子、部屋の奥には黒板と一段高い場所にある教卓の縁が見え、ドアの向こうに笑い合っている集団が見えた。もう顔も声も覚えていないのに聞こえてくるのはあの会話。


「だからぁ、本多さんって、



 ────ちがうっ!!!!





「歩」


 ぱっ、と目を開くと、花江の顔が目の前にあった。

 恐怖と混乱でパニックを起こす歩を落ち着かせるように、花江が優しく声をかける。


「!? う!……っ!……あ!? っ、」

「落ち着いて、ゆっくり大きく深呼吸して」


 押さえ込むように抱きしめられたまま花江の合図に合わせて深呼吸を繰り返し、強張った身体から意識して力を抜くとようやく現実に戻った気がした。


「夢を見たのね。

 起きれそう? 吐き気はない?」

「…………うん」


 花江の手を借りて、のろのろと起き上がれば、ばくんばくんと音を立てる心臓と、背中を伝う冷や汗が気持ち悪い。悪夢と呼べるのだろう、あの時の夢を久しぶりに体験した歩を花江が心配そうに見ている。


「……花ちゃん」

「ん?」

「今、……何時?」

「ええと……10時を過ぎたくらいかしら」

「!?」


 スマホを開くと既に待ち合わせの時間を20分程過ぎており、少し前には春海からのメッセージが入っている。随分と寝過ごしてしまったことに気づくと、身体中から血の気が引いた。


「ど、どうしよう……」

「大丈夫。春海には連絡してあるから」

「で、でもっ、……わ、私……!」

「こんな状態じゃ顔を合わせられないでしょう?

 春海も笑ってたから心配要らないわ」


 がたがたと震える身体を静めるように擦られるも、不安のあまり涙が止まらない。ひっくひっくとしゃくりあげる歩を幼子をあやすように花江が抱き留め、落ち着いた頃合いを見計らって腕の中の歩に声をかけた。


「落ち着いた?」

「……ごめん。

 服……濡らしちゃった」

「服なんて着替えれは良いのよ。それよりタオル持ってくるわね」

「大丈夫……自分で行けるから……」


 毎夜ごとにうなされていたあの頃と比べれば、随分夢を見る回数は減ってきている。今回も見たのは久しぶりだったから、花江が心配したのだろう。

 だけど何度同じ夢を見ても、あの痛みは少しも色褪せることがなく、まるで自分をいつまでも縛り付ける鎖のように決して離してはくれない。


「……何も、今日じゃなくて良いのに」


 小さくこぼした言葉に花江が優しく頭を撫でてくれた。


 ◇


「おはよ」

「!!」


 何件かのメッセージを確認して謝罪の電話を掛けた後、慌ただしくリビングに向かえば、目の前には謝罪した相手がソファーに座ってコーヒーを飲んでいる。


「だから、ゆっくりで良いって言ったでしょう」

「あの……本当に、ごめんなさい!!」

「ほら、もう謝らないの。

 私と遊びに行くのが楽しみで、眠れなかったんでしょう」

「………はい」


 花江が機転を聞かせてくれたであろう寝坊の理由に返事をすると、春海が困ったように笑みを浮かべている。


「すいません、なるべく急いで準備しますから……」


 歩に近づいた春海が壊れ物を扱うかのような指先で額に貼りついた前髪をそっと摘まんだ。


「………春海さん?」


「時間はたっぷりあるんだから、焦らなくて良いわよ。

 ゆっくり行きましょう、ね?」

「……はい」


 物言いたげに見つめた後、にっこり笑った春海の態度を不思議に思いながらも支度をするために急いで引き返した。

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