第58話 土曜日午後の二人 (2)
「そういえば、花江さんに何を頼まれてたの?」
二人分の食べ終えた皿を重ね、テーブルに寄せている歩を目で追いつつも、手元のコップを同じように重ねた春海が訊ねてくる。
「あ、ちょっと待ってください。
………えっと、お店用の食器と、」
白い封筒の中からメモ用紙を取り出してざっと眺めていると一番最後の “包丁” の後ろに (歩用) と書かれているのに気づいた。
「食器だけ? 枚数は結構多いの?」
「いえ、種類はありますけど割れたとき用の補充分だけなので。
それと、菜箸とか細々したものが幾つかと……包丁、です」
「包丁?」
困り口調で説明した歩に不思議そうな表情の春海が説明を求めるように繰り返した。
「……花ちゃんに前々から言われてたんです。
自分用の包丁を持ちなさいって」
『いつか歩のやりたい事が見つかったときに、持って行けるでしょう?』
自分で料理をするようになってから時々言われてきた言葉。
普段使っているのは花江が長年愛用している包丁で、店の調理用も兼ねている。使い心地が良くて『同じものでいいから』とねだった歩に『自分の物は自分で決めなさい』と言った花江の言葉の裏には、引きこもったままの歩をこのまま見守ってくれている優しさと、この先も『HANA』の店員でなくとも構わないという二つの意味を含んでいて、そう言われる度に言葉に詰まって逃げてばかりいた。
端的でしかない歩の説明に何かを感じたのか、春海はそれ以上追及しなかった。
「ふーん、自分用の包丁ね。
そう言えばさぁ、歩は調理師免許は持ってないの?」
「はい」
「お菓子作るの上手だし、折角なら免許取ったら良いんじゃない? 専門学校とか免許取る方法なら色々あるだろうし。
そうすればきっと花江さんも喜ぶわよ」
春海が自分を評価してくれているのは分かるものの、素直に喜べず苦く笑う。
「私、中途半端だからそういうのはいいんです」
「中途半端?」
「花ちゃんは自分の夢を叶えるために勉強して免許取って、お店を開いたんです。
私が、花ちゃんと同じ様に出来るとは思えないから……」
『HANA』で働いているのも、お菓子を作るのも全てが有り余りすぎる時間を費やすためでしかない。指示された事やレシピの通りに動けば、何も考えなくて済むから。
手の中の封筒には頼まれ物を買うのに多すぎる金額が入っており、花江の心遣いが伝わってくる。
前を向きたい。
だけど、将来なんて何も決めたくないし、やりたいこともない。
そもそも自分が出来ることなど……何もないから。
「……同じである必要なんてないじゃない」
「え?」
強い声に驚いて顔を上げると、真っ直ぐな視線が歩を捉える。
「歩の事情なんて知らないけど、あんたまだ十九でしょう。将来なんてこれからじゃない」
「……」
「歩には歩の良さがたくさんあるし、今はあんたがそれに気づいてないだけなの。だから、歩はもっと自分を認めてあげなさい。自分は自分で良いんだって。そうすれば中途半端だなんて思えないはずよ」
「……」
喜ぶべきはずの言葉にすんなりと頷けないのは、春海が歩の秘密を知らないから。春海に全てを話した上でも、果たして同じ言葉が言えるだろうか? そもそも決して話すつもりはないけれど。
「歩が分からなくても私はちゃんと知ってるわよ。
歩の事」
「えっ!?」
「だから、歩検定合格第一号ね。
……あ、花江さんがいたか。じゃあ第二号で」
「っ!
何ですか、それ?」
言葉の内容とは裏腹に真剣な表情の春海に我慢できず思わず吹き出すと、気を良くしたらしい春海が笑みを深めた。
「そうだ、折角だから教えてあげるわ!
歩の良いところ」
「い、いえっ! 大丈夫ですっ!!」
にんまりとする春海に全力で首を横に振ると残念そうに笑う。
「本当に良いの~?
あーんな事とかこーんな事とか話したいことが色々あるんだけどなぁ」
「本当に大丈夫ですから!!」
春海から見た自分の印象などとても恐ろしくて聞けそうになく、からかわれているのだと分かりつつも必死で懇願すると、ようやく矛先を納めてくれる。
「あははは、残念。
折角のチャンスだったのに」
「そうですか……」
歩を弄る事に満足したらしい春海が、ぐったりした歩を覗き込むように顔を寄せる。自分の顔が赤くなっているのは先程の会話のせいだと思って欲しい。
「歩」
「な、何でしょう?」
「最後は冗談になっちゃったけど、歩を大切だと思ってるのは本当だからね。
困ったことがあったらちゃんと言うのよ」
「……ありがとうございます」
真正面から告げられた言葉に今度こそ赤くなった頬を隠すように横を向く。そんな歩に構うことなく春海が伝票を持って立ち上がった。
「ほら、いつまで照れてるのよ。
そんなところが可愛いって言ってるのよ」
「っ!
もう! からかわないで下さい!」
「え~、本気なのに」
「春海さん!!」
『困ったこと』はきっと話せないけど、いつまでも後ろ向きでいたくはない。
春海を追いかけるように立ち上がると、歩の行動を予測していたかのように春海が待っている。その余裕のある表情が少し悔しくて、凄く嬉しくて緩みそうになる口元を手で押さえた。
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