第55話 おおかみ小学校学習発表会 (6)
手洗いを済ませた後、体育館をざっと見回して歩の姿を探す。
「歩、どこかしら?」
茶色の頭を目印にそれらしき人物を探すもなかなか見当たらず、壁際を移動しながら目を凝らす。少し歩いたところでふと、目の前の長机に置かれた『サポートルーム』の文字に気がついた。
大きな長机の上に幾つも並べられたのは様々な標本。昆虫、鉱石、貝殻、木の実、それらが標本箱に整然と並び、その一角だけが博物館の展示コーナーの様な佇まいになっている。
「……凄い」
一つ一つ名前を調べたのだろう、ラベルの文字は読みやすいとは言いがたかったが、それでも丁寧に書かれた名称からいかに熱心に調べたかが見えるようだ。
「あら」
春海に向かって投げ掛けられた様に聞こえた声に顔を上げれば、目の前に立っていたのはタケルの母親だった。
「あ、こんにちは!
あの、この間はありがとうございました」
「いえ」
思わぬ場所での突然の再会に動揺しつつも参加のお礼を伝えれば、タケルの母親も曖昧にお辞儀をする。母親の後ろに隠れるようにタケルがこちらを見ているのに気がついた。
何か話さなければ、何と伝えるべきか──
必死に考える程頭が真っ白になっていく。
「春海さん?」
「タケちゃん!」
ぎこちない雰囲気を壊すように呼ばれた方を見れば、歩が両手を拘束されるように子供たちを引き連れている。
「歩ちゃん!
タケちゃんの作品見てよー!」
「あ、うん。
ちょっと待ってね」
なだめるように笑った歩が春海とタケルの母親を見た。その先にいたタケルに視線を移すと、何かを探す表情がぱっと明るくなった。
「お芋掘りに来ていた、タケル君だよね?」
「タケちゃんが集めたんだよ。これ!」
警戒するように隠れたタケルに代わり説明する寛太に「うわ、凄いね」と感嘆しながら標本を見る。
「私、これ見たことある。えっと、ベニシジミ? っていうんだ」
「これはモンキチョウだよ」
自分の作品のように次々と説明していく寛太に歩が相づちを打ちながら眺めていき、何かに気づいたように標本をのぞきこむ。
「あれ? 同じ名前だけど模様が違うね。
えっと、ツマ、グロ、ヒョ……」
「ツマグロヒョウモン」
寛太の声とは違うトーンの声が春海の先から聞こえ、それを待っていたかのように歩がタケルに訊ねる。
「これはどうして模様が違うの?」
「これはオス、こっちがメスだから」
「そっか、オスとメスじゃ模様が違うんだね。こういうのって他にもある?」
「こっち」
歩の隣で説明しだしたタケルに呆気にとられていると、歩がちらりと春海を見た。
「タケル君、こっちの貝殻も教えてくれる?」
自然に春海たちから距離をとるように離れた子供たちを見送ると、同じような表情を浮かべていたタケルの母親と二人きりになった。ごくりと唾を飲み込んで真っ直ぐタケルの母親と向かい合う。
「あの、先日は失礼な事を言ってすいませんでした」
「……いえ」
曖昧なままの謝罪に、謝った理由を問われたら正直に話そうと思っていたものの、母親も分かったらしく困ったように笑う。
「こちらこそきつい言い方になってしまって……」
「いえ、本当にすいません」
「いえ私の方こそ」
お互い謝ってばかりのやり取りについには母親が笑い出し、春海もつられて笑みを浮かべる。先程よりは柔らかくなった雰囲気の中、歩たちが見ていた標本箱に目を移した。
「これ、タケル君が全部作ったんですか?」
「ええ、小さい頃から虫とか貝殻とか自然の物が好きで」
「四年生の先生が話してました。
タケル君は自然に関しては学校一の博士だって」
「ああ、山下先生ですか」
山下の名前を口にした母親が嬉しそうな顔をした。
「学年が違う子たちも先生が大好きでよく話をするんです。先日お会いした時も、タケルのおかげで先生も虫の名前をたくさん覚えたって笑ってました。
……私は未だに苦手なんですけどね」
「ふふふ」
春海の社交辞令ではない笑いに安心したように母親が標本箱の縁を指でなぞる。
「タケルは二年前にこの小学校に転校してきたんです」
「そうなんですか?」
「前の学校は大規模校で、先生方にはそれなりに気にかけてもらったんですけどどうしても馴染めなくて」
「……」
さばさばしたように話す母親は既に過去の事として割りきれているらしく、悲壮感はなかった。
「初めのうちは周りの子供達も随分と戸惑っていましたけど、先生が子供たちにきちんと説明した上で同じ時間を過ごす内にタケルの行動をそんなものだと慣れてくれたみたいで。……勿論けんかやトラブルもしょっちゅう有りますけど、学校に行かないとは言わないんですよ」
相づちを求めないままの言葉は同意も同情も必要ないありのままの事実を伝えているだけ。
「ここでもタケルの事情を知らない人はいますし、そんな人たちからは同じような事を言われたりします」
「……」
「だけど、分かってくれる人たちもたくさんいるんです」
標本箱を見ていた母親が子供たちの方に視線を向けた。少し先ではタケルと幾人もの子供たちがきゃあきゃあとふざけあっていて、周りの迷惑にならないよう歩が声かけをしている、子供たち同士のごくありふれた光景が広がっていた。
「ここはタケルが普通に過ごせる場所なんです」
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