第42話 おおかみ小学校 (1)

キーボードを打つ手を止めて画面に映る文章に誤字脱字がないことを確認すると、重い荷物を下ろすように息を吐く。印刷を待つ僅かな間に休憩しようと部屋から出て、廊下の窓際で大きく伸びをした。


「ん~~~!」


 強張った身体を解すように肩を回しながら外を見れば、高い空と学校の名残であるイチョウの木が目の前にある。黄色く色づいた葉に秋の訪れを実感しながら再び部屋に戻った。



「春海さん。プリントアウトした紙、そこに置きましたよ」

「あー、ありがと」


 プリンターの前で印刷を待っていた勇太に声を掛けられて、自分のデスクに置かれていたプリントを手に取る。


「勇三さんのところに行ってくるね」

「うぃーす」


 部屋を出てすぐ隣の階段を上り二階に上がると、手付かずのままの教室が並んでいる。人の気配も机もないがらんとした二階は一階と比べて空気も重く、酷く寂しい。そんな教室を二つ横切り一番右の部屋の前でノックをすると、中から声が聞こえた。


「お疲れ様です」

「おう」


 元は図書室として使われていたこの部屋は、現在事務所の責任者である寺田勇三の所長室となっている。読書が趣味と言う勇三は「好きな本に囲まれた生活を送る」事が夢だったらしく、毎日の大半はここで過ごし、来客の時にだけ事務所の一階にある所長室を利用している。

 床には淡い色のカーペット、壁全体には背丈ほどの本棚が整然と並び、その中央にはクリーム色のソファーとテーブルやマッサージチェアと分厚いラグが鎮座してあり、本を読まない春海でさえも、入り浸りたくなる空間が広がっていた。


「……また本棚が増えていませんか?」

「仕方ないだろう。古本屋に行けば菓子を買うより安く本が買える時代なんだ。それで?」

「町報の原稿が出来たので、明後日までに確認をお願いします」

「あいよ。今するからそこら辺に座っとけ」


 本の数が増えていくことをここに来る皆に指摘されているのだろう、これ以上小言を聞きたくないとばかりに用件を尋ねる勇三に手に持っていた原稿を差し出す。パソコンの傍らには栞を挟んだ本が置いてあり「この人ちゃんと仕事してたのかしら」と思いながら、勇三のチェックを待った。



「オッケー、良いぞ」

「ありがとうございます。

 このまま役場に送りますね」


 息を止めるように待っていた時間の終わりにほっとしながら原稿を受け取り、部屋を出ようとする春海を勇三が呼び止めた。


「春海は今週急ぎの案件はないよな?」

「はあ、一応は……

 原稿も終わりましたし」


 意図の分からない質問に曖昧ながらも肯定する。気さくで部下への配慮も怠らない勇三だが、こういう時の彼はたまに突拍子もない提案をしてくる。短い付き合いながら何となく不穏な雰囲気を察した春海が、何を言われるかと身構えながら続きを待った。


「おおかみ小学校から電話があってな、授業の一環で町づくりについて勉強しているんだと。それで是非地域起こしプロジェクトに話を聞きたいらしい。そういう訳でよろしくな」


「……よろしくっていうことは、既にあちらには了承してあるって事ですよね」


「察しが良くて助かる。

 うちの機関の目標や活動の説明を簡単でいいからお願いしますって言われてる。俺が行くより広報担当の春海の方が良いだろう」


 電話番号と先生らしき名前の書かれたメモを渡しながら清々しいまでの笑顔を浮かべる勇三に、大げさなため息をついてメモを受けとる。


「私の都合を確認する必要ありましたっけ?」

「ま、一応な。

 優しい上司に感謝して良いぞ」

「感謝ならいつもしてますよ」


 それほど難しくはない内容に安堵しながら軽口を返し「了解です」と踵を返す。


 小学生相手なら、口頭での説明は分かりにくいだろうし、そうなると資料を作るのがベストだろう。堅苦しくない文章にならないように気をつけて、折角なら楽しんでもらう為に写真は多めに準備して……簡単で良いと言われたものの、話す時間も限られているなら、予めどんな事を聞きたいかを先生に確認した方が良いかもしれない。


 あれこれと考えながらドアまで歩き、ふと肝心な事を聞き忘れているのに気づいた。


「勇三さん。

 この授業っていつあるか聞いてます?」

「ああ、今週金曜日の11時だ」


「!! 今週の金曜日って、明後日じゃないですか!」

「それだけあれば十分だろう」


 問題ないとばかりの勇三に思わず頭を抱えたくなる。日にち的には二日あるものの、現在の時刻は午後4時50分。他に抱えた仕事の段取りも考えたなら、実質明日一日しか時間の猶予がない。


「話をするだけじゃないか。大した手間もかからんだろうに」

「勇三さんの基準を私に当てはめないで下さいよっ!

 私の性格知ってるでしょう!」


 アドリブや咄嗟の状況判断に優れた勇三とは正反対に、普段から春海は念入りに下準備を進めて仕事をするタイプだ。勇三の事だから今回の話も壇上に立ってから思い付くままに話すつもりだったのだろうが、何事にも余裕を持って取り組みたい春海にとっては決して十分な時間とはいえず、顔色を変えて時間を確認する。


「今から役場にも行かないといけないのに!

 あ~、やっぱり勇三さんは勇三さんだった!!」


 恨み言を残して慌てて走り去る春海を二階から「頑張れよー」とのんびりしたエールが聞こえてきた。

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