第41話 体験イベント (10)
コンコンというガラスを叩く音がした後、『CLOSE』のドアの向こうから春海が顔を覗かせた。
「お疲れ、歩」
「! お、お疲れ様です!
あ、花ちゃんなら少し出掛けてて……」
「あ、そうなの?
えっと、歩に用事があって来たんだけど、今大丈夫?」
「え?
あ、はい、大丈夫です」
花江の姿がないことをどこか安堵したような春海を不思議に思いながら、中に招き入れる。手持ちぶさたで眺めていた雑誌をラックにしまい、座っていた椅子からカウンターに移動すると、マグカップを取り出してコーヒーを準備した。
「あぁ、わざわざありがとうね」
「いえ」
タッパーから出したチョコチップ入りのクッキーを添えて差し出すと、「女子力高いわねぇ」と微笑ましげに見つめられて思わず視線を逸らす。
先日春海に身体を預けて眠り込んだ一件以降、どんな顔で春海と向き合えば良いのか困っていたのだが、予想外の登場に普通の対応で返せたことに安堵して、自分への用件を済ませることにした。
「あの、写真の話ですよね。
わざわざ届けてくださって、ありがとうございました。春海さんが使いたい写真があったら、何でも使って下さい」
「は? 写真?」
「えっと、花ちゃんから、町報に載せるから承諾が必要って聞いたんですけど、それの事じゃ……」
「あ……あぁ! そう、そう!
うん、分かったわ。それもなんだけどね」
慌てた様に春海が何度も頷く。春海の連絡先を知らなかった為、翌日連絡しようと思っていたのだが、用件はその事ではないのだろうか。
珍しく言い淀む春海の少し緊張した態度にこちらまでどきどきしながら、姿勢を正して話を待つ。
「あのさ……」
「はい」
「罰ゲームの話、覚えてる?」
「……………………………はい?」
◇
「あー、ありましたね」
町民体育祭の時の口約束を思いだし思わず遠い目を向けると、春海がほっとしたような表情を浮かべた。
「だから、歩は罰ゲームを考えないといけないのよ」
「いえ、そんな事しなくても私……」
「そんなんじゃ、私が納得できないの!」
わざわざ自分から不利な約束を蒸し返さなくても良いように思えるのだが、春海的には納得いかないらしい。
「そもそも、私、あの時きちんと返事しましたっけ……?」
「そ、そんな事気にしなくて良いからっ!
ほら、歩の好きな事でも何でも良いから言いなさい!!」
「は、はぁ」
言いくるめられた感は否めないが、罰ゲームから連想されるあれこれを思い浮かべる。定番なのは棒状のお菓子を二人で端から食べ合うアレとか……
「──っ!?」
想像した途端、目の前の春海を意識してしまい慌てて打ち消す。
ダメだ、絶対ダメっ!
「どうしたの?」
「いえ、いえいえ!
何でも無いです!」
「ははーん、もしかしてイヤらしい事でも考えてたんじゃない?」
「!? そ、そんな事無いですからっ!!」
図星を指されて必死に否定すると、「冗談よ」と春海が笑う。まさか本気で考えていたとは言えず、何とか思考を切り替えて春海にしてもらいたい事を必死で考えた。
どうせなら思い出に残る様な事が良い。
叶わない願いを叶える事なんて出来ないから、特別な事じゃなくて何か日常的な事。
それをする度に春海を思い出せるような、何かを──
「あの……」
「ん? 何、何?」
「……本当に……何でも良いんですか?」
「良いわよ。何でも聞いてあげるわ」
不敵に笑う春海に、気づかれないようそっと息を吐く。
断られるだろうか、ただそれだけが怖い。
「私が二十歳になったとき、…………一緒に、お酒を飲んで欲しいです」
「え?」
「……やっぱり、無理ですよね。……すいません」
「ちょっ、ちょっと!歩」
春海の驚いた表情に諦めて断ろうとすると、カウンター越しにぐいっと腕を掴まれる。
「どうして勝手に諦めるのよ。私まだ何も言ってないじゃない。
思いがけないお願いだったから驚いただけよ」
「……すいません」
静かな口調ながら苛立っているのだろうか、掴まれた手は春海の感情を伝えるかの様に強く握られている。
「あっ!……………ごめん」
「いえ! だ、大丈夫ですからっ!」
はっとしたように離された手を擦られそうになって、反射的に腕を引く。春海に触れられることに恥ずかしかった故の行動だったが、春海には嫌悪から行動と思われたらしく、傷ついたような表情が一瞬見えてしまった。黙ったままの今が怖くて前を向けないまま、どくんどくんと心臓だけが跳ねる。
「ところでさ、歩の誕生日っていつ?」
「……3月31日です」
「あはは、すっごく覚えやすいわね。
じゃあ、予定空けとくわね」
明るい雰囲気の春海につられて顔を上げると、先程の出来事が無かったかのような笑顔が向かい合う。
「え、……良いんですか?」
「当たり前じゃない。歩こそ予定入れるんじゃないわよ」
「入る予定なんてないから……大丈夫です」
「分からないわよ。
直前に彼氏が出来て、デートするって言い出すかもしれないじゃない」
「それは絶対無いですから……」
力なく笑う歩を励ますように春海がのぞきこむ。
「何へこんでんのよ。
その時にはおねーさんが慰めてあげるから、覚悟しておきなさいよ」
「べ、別に、へこんでなんか無いですからっ」
むきになった歩をにやにやと笑っていた顔が一転して優しい表情になる。
「ねぇ、歩がもし良かったら二人でどこか出掛けてみない?」
「え!? で、でも……」
「誕生日は誕生日できちんと祝ってあげるわよ。
それとは別に。私、歩の事全然知らないから、親睦も兼ねて。
……駄目かしら?」
「あ、う、……だ、駄目じゃないです」
「そう? あ、でもしばらく立て込んでるから、都合がついたらで良いかしら? とりあえずスマホの番号交換しよう」
「は、はい……」
言われるまま差し出したスマホに、お互いの番号を交換し合う。自分のスマホに表示される『鳥井春海』の文字を不思議な気分で眺めていた。
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