第40話 体験イベント (9)

ようやく記事を完成させて時計を見れば、昼を随分と回っている。『HANA』で昼食をとるには良い頃合いだろうと立ち上がると、パソコンに向かっていた勇太が顔を上げる。

 

「『HANA』に行きます?」

「ええ。

 勇太も行くの?」

「春海さんが終わるの待ってたんすよ」

「サンキュ」



「あら、春海と勇太君は今からご飯?」


 外から戻ってきた恵と美奈が靴を履いている二人を見かけて声をかける。午前中は打ち合わせの為に役場に行っていたはずだが、随分長引いたらしい。


「お疲れ様です。

 恵さんたちは今戻りですか?」

「ええ、もうご飯も済ませてきちゃったわ」

「なーんだ。

 遅かったから打ち合わせが長引いているのかと思いましたよ」

「ううん、結構スムーズに終わったのよ。ね?」


 書類を掲げた恵に美奈が頷く。


「二人で『HANA』に行くんでしょう。

 楽しんできてね」

「了解、行ってきまーす」


「ちなみに、今日はカレーだったわよ」


「「?」」


 謎の一言を残してドアを閉めた二人に、思わず顔を見合せてから玄関に向かった。


 ◇


 いつの間にか過ごしやすくなった気温と高い空に、季節の移ろいを感じながら勇太と二人のんびりと歩く。


「恵さんからカレーって聞いたら、カレーが食べたくなったわね」

「あぁ、それ、オレも思った。

 花江さんにリクエストって出来ますかね?」

「う~ん、どうだろう。

 聞いたことないわね」


 店の前の駐車場には車が一台だけで、お昼のピークは過ぎたらしい。ドアを開けて中に入ると花江がレジに立って会計をしていた。


「いらっしゃい」

「こんにちは」


 店内にはスパイシーな香りが広がっており、思わず鼻をひくつかせた勇太が目を輝かせる。


「やった!

 今日はカレーだ!」

「ちょっと、勇太!」

「あ、すんません……」


 子供の様にはしゃぐ姿をたしなめると、レジにいた老夫婦も笑っている。ばつが悪そうな表情で謝りながらも待ちきれないようにカウンターに向かう勇太を見て、花江が早速調理に取りかかった。


「今日、歩は?」

「さっき、買い出しに行ってもらったの。

 もう少ししたら戻ってくると思うわ。

 勇太くん、すぐにご飯持ってくるから待っていてね」

「お願いします!」


 ──まるでお母さんと子供みたい。


 座って待つ勇太がご飯をよそう花江の姿を嬉しそうに眺めているのを見て吹き出しそうになりながら、空腹を訴えるお腹を宥めてカウンターに座った。


 ◇


「そういえば、さっき恵さんと美奈ちゃんが来た?」


 野菜と肉がゴロゴロ入ったカレーを受け取り、スプーンを持った春海が思い出した様に花江に訊ねる。


「ええ、少し前にね。

 春海と入れ違いくらいかしら」

「あぁ、なるほどね」

「?」

「ここに来る前に恵さんから『今日はカレーだったわよ』って言われてさ」

「ふふふ。

 そういえば、この間は歩がお世話になったみたいね。

 帰ってきてから色々教えてもらったわ」


「へぇ、歩は何か言ってた?」


 自分の事の様に嬉しそうに笑う花江を見ながら、歩を送り届けた時の事を思い出す。


 家の前に着いて起こされた歩が春海に身体を預けている事を自覚した途端、文字通り飛び上がるくらい驚いたからだ。平謝りに謝る歩に「寝顔可愛かったわよ」と囁けば、顔から湯気が出るほど恥ずかしがってしまい、逃げるように車から降りていった。


 きっと花江には内緒にしているに違いないと思っていたが、やはり誰にも話していないらしい。自分だけが知っている歩の姿を思い返しては、にやつきそうになる。


「凄く楽しかったって話してくれたわ。

 そういえば、お土産のお芋ありがとうね」

「いえいえ。

 ……そっか、楽しんでくれたんだ」


『楽しかった』


 ありふれた感想だけど、歩からその言葉が聞けたことが嬉しい。

 スプーンを動かしてカレーを掬うと、馴染みのあるスパイシーな香りと辛さを後押しするように、ほっこりとした心がカレーをより美味しく感じさせた。


 ◇


 コーヒーを飲んでいても歩が戻ってくる気配はなく、写真の入った袋を花江に預けることにした。


「花江さん、これ歩に渡しておいてくれる?

 この間のお芋掘りの写真」

「あら、貰って良いの?」

「良いの、良いの。

 余分に現像してあるし、何枚か町報に使おうと思ってるの。歩に一応了承をもらいたいんだけど後で伝えててくれる?」

「ええ、大丈夫だと思うけど、聞いておくわね。

 ……あの子の写真って殆どないからきっと喜ぶわ」


 花江が弾んだ声で大切そうに受けとる。その言葉に小さく引っ掛かりを覚えた春海の思考を勇太の声がかき消した。


「春海さん、あの写真見せたら?」

「え、ああ……

 その一番最後の写真。私的には今回のベストショットなんだけど」


「!!」


 歩と寛太のツーショットを見た花江が驚いたように目を見開いた。笑った歩を見つめる瞳が潤みだしているのすら気づかないようで、その表情はどこか悲しげに微笑んでいる。


「……花江さん?」


 花江の思ってもみない反応に戸惑いながら、小さく呼び掛けると、はっとした様に花江が顔を上げた。


「ごめんなさい。

 歩がこんな風に笑ったの、随分久しぶりに見たから」


 写真を袋にしまいながらさりげなく目元を拭う花江に、勇太さえも戸惑っている。


「ありがとう、二人とも」

「いえ、オレは別に何もしてないし……」

「いいえ」


 戸惑いながら否定する勇太ににこりと花江が笑う。


「歩が楽しそうに話してくれたわよ。

 勇太さんのこと」

「そ、そうですか」


 焦った様に頭をかく勇太に微笑んで、花江が春海を見た。

 いつになく真っ直ぐな視線が春海に向かう。


「春海。

 歩を気にかけてくれて、本当にありがとう」

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