第16話 鳥居春海 (7)
すっかり体調が戻った歩が両手に一つずつトレイを持って、客の間をぶつからないようにすり抜けながら料理をテーブルに運んでいく。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
「すいませーん。
会計お願いします」
「あ、はーい」
呼び掛けに振り向けば、先程食べ終えた男性客の四人組がレジの前に立っていて会計を待っている。伝票と千円札二枚を受け取り「ありがとうございました」と見送ると、店内は一気に人口密度が減った気がした。
何組かの客はまだ食事をしていて、しばらく呼ばれることも無さそうだ。今のうちにテーブル席の食器を片付けようとトレイを持った途端、再びカランとベルが鳴った。
「いらっしゃいませ。
、こんにちは……」
「やっほー、お疲れさん。
具合良くなったみたいね」
ドアベルの音に反応した歩が春海を確認した途端、少し緊張した様子で迎え入れる。
「は、はい、この間はありがとうございました」
「いーの、いーの。
あ、三人でお願いね」
「えっと、すいません。
テーブル席は少しお待ち頂きますが……」
「カウンターで良いわよ、ね?」
「良いですよ」「オレも」
慌てて食器を片付けようとする歩を制して一緒に入ってきた二人と共にそのままカウンターに向かって行った。
「こんにちは、花江さん」
「いらっしゃい。
この間はありがとうね」
「ぜーんぜん。
ね、歩ちゃん?」
花江の言葉に大した事ではない様に返した春海が、お冷やを運んできた歩を見る。思わず目が合い同意を求めるように微笑んだ春海にどぎまぎしながらも何とか会釈した。
◇
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
「ありがと~」
嬉々として受け取った春海を挟んで両隣にもランチを置いていく。右隣は小柄な女性、左隣は茶髪の男性で、二人とも先日春海と一緒に来て以来の来店になる。
「こちらに伝票置いておきますね」
「ども」
配膳するだけで、こうして一言返してくれるのだから、近寄りがたい雰囲気の男性も案外良い人なのかもしれない。そんな事を思いながら邪魔にならないよう伝票を置くとその場を離れた。
土曜日に会った春海との再会に何か言われるかと落ち着かなかった歩だったが、今日に限ってお客が多く、春海も一人ではない。きっとのんびりすることなく帰ってしまうのだろうと内心落胆しつつも、春海とどう接すれば良いのか分からなかったのも事実なので、考える余裕が出来た事に安堵してもいた。
テーブル席の客が立ち上がり会計を済ませた後、片付けに入る。通りすがりに春海たちを見れば、二人は時折会話を挟みながら食事を進めており、男性は無言のまま気持ちのいい食べっぷりを見せている。
花ちゃんのご飯、美味しいでしょう?
今日の親子丼、試食したけど出汁が絶品だったもんね。
心の中で一人うんうんと頷き、男性に少しだけ親近感を覚えながら手に持った食器を片付けることにした。
◇
「めっちゃ旨かったぁ」
丼を置いて思わずこぼれた勇太の呟きに、花江が嬉しそうに笑う。
「お粗末様でした」
「あ! いえ!?
あの、ご馳走様でしたっ!!」
花江が正面にいたことに気がつかなかったらしく、慌てふためく姿に女性陣が笑ったことで、つられて勇太が照れたように笑いながら花江を見る。
「店長さん、春海さんの友人なんですよね?」
「ええ、学生時代のバイト先が同じだったんです」
「へぇ、学生の時の春海さんってどんな人でした?」
「勇太!?」
「あ、それ私も聞きたい!」
「ちょっと、美奈ちゃんまで!?」
勇太の一言がきっかけで、和やかに進む会話の内容が気になるも、聞き耳をたてていいのか悩む。会話に入っていないのに春海の事を知ってしまうのは卑怯な気がして、手前のテーブル席の男性が立ち上がったのを幸いに蛇口を止めるとレジに向かった。
◇
先程の客が会計を済ませた店内では春海達だけになったこともあり、カウンターでの会話はますます盛り上がっていて、他人と打ち解けるのが早い花江らしく、この僅かの間に春海以外の二人とも随分と親しくなったように見える。
「えっ、30才なんすか!?
オレより五つ上なんすか」
「全然見えませんね」
どうやらお互いの年齢について話しているらしく、花江の年齢に驚いているようだ。五つ下ということはあの男性は二五才なのか、と頭の片隅で考えながら邪魔にならないようにテーブル席の布巾掛けを始めた。
「歩ちゃ~ん」
「!?
はいっ、何でしょう!?」
「ねぇ、歩ちゃんは何才?」
突然投げ掛けられた質問に驚くと、皆から一斉に向けてくる視線にたじろぎながら答える。
「十九です」
「「「十九!?」」」
あ、綺麗に揃った……
目を丸くする三人に理由が分からないまま頷くと、花江だけが一人笑っている。
「凄く大人っぽいですね」
「十九って私より九才下なんだけど……」
「オレ、十九の時なんてバカばっかりしてた気がする」
どうやら歩の年齢は相当意外だったらしく、誉められているのか、年相応に見えないのか対応に困る。何故か一人ダメージを受けている春海以外の、眩しそうな視線を避けるように持っていた皿をシンクに運ぶことでその場を逃げ出した。
やがて、話題は自分が十九才の時何をしていたかに移り、自分が話題の中心から外れたことにほっとしつつ、再び皿を洗い始めた。
◇
「ありがとうございました」
会計を済ませて見送ろうとすると、思い出したかのように春海達が立ち止まる。
「そういえば、この間のクッキー凄く美味しかったわ。ありがとね」
「本当、あんなにたくさんありがとうございました」
「あー、確かに旨かったわ」
「え!? あの、っ、ありがとうございます!」
思いがけない賛辞にあたふたしながらお礼を返す事が精一杯で、そんな歩に笑顔で手を振って出ていった三人を見送る。ガラス越しに見える春海達は横並びに歩きながら笑い合っていて、遠目からでも仲良さげに見えた。
「誉めてもらって良かったじゃない」
「うん」
今まで花江にしか言われなかった『美味しい』という言葉が嬉しくて、胸がどきどきする。緩みがちになる口元を花江にみられないようにカウンターに戻ると、再び食器を洗うべくシンクと向き合った。
また作ったら、食べてくれるかな──
そんな期待が背中越しにも分かる歩の態度に、花江が気づかれないよう、くすりと笑った。
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