第15話 鳥居春海 (6)
遠ざかる足音と小さく聞こえる花江の声に、春海が帰った事を確認すると、へたり、とその場に座り込んだ。春海が自分の部屋に来たという事実が、まるで夢だったのではないかと思いながらも、どきどきと高鳴ったままの鼓動と、手渡された紙袋が現実であると伝えている。
『折角なら仲良くなりたいなぁ』
こうして気を使ってくれたり、わざわざお土産を買ってくる程だから、仲良くしたいという言葉は本音だろう。春海が、歩を気遣ってくれていることくらい分かっている。出来ることなら歩も仲良くなりたい。だけど、
「……………怖い」
自分が高校を中退した人間で、同性愛者である事を知られてしまったなら?
傷つくのが怖い、嫌われるのが怖い、軽蔑されるのが怖い、春海がいなくなってしまう、それが怖い。
『どうしたの?』
気遣わしげに歩を見た春海の姿が浮かんでくる。
心の内を見透かされるような眼差しから咄嗟に隠した本心を気づかれなかっただろうか?
彼女は花江の友人で、付き合っている男性もいる。だからこそ、こんな感情を持つのは間違っているし、自分が軽々しく関わってはいけない。それでも……
「…………春海さん」
心の中で何度も呼び掛けていた、今まで言いたくても言えなかった人の名前をそっと呟けば、それだけで胸がじわりと温かくなる。頭を撫でてくれた手の温もりを思い返せば、自然と頬が緩む。ベッドに戻り、咄嗟に布団の間に隠したストラップをそっと手に取った。
──少しだけ、ほんの少しだけ、貴女に近づいても良いですか?
◇
日が落ちて身体の調子も落ち着いてきた頃、夕食の支度をするために居間に入ると、奥のキッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。その匂いに花江が料理をしているのだと気がついて、慌ててキッチンに向かった。
「花ちゃん! ご飯なら私が作るよ」
「良いのよ、体調悪い時くらいは任せなさい。
それで、お腹の痛みは大分落ち着いた?」
「うん。大丈夫」
菜箸片手に歩を見る花江に笑顔を返して、隣に立つ。仕事を離れての普段の食事は歩の担当だが、今朝からの生理痛を気遣ってくれたらしい。
ふと、花江に勧められて部屋に来た、と言っていた春海の言葉を思い出す。歩が不登校になった理由を唯一人知っている花江は、もしかして歩の春海への気持ちを気づいているのか。
「何?」
「……ううん、お腹空いちゃった」
視線に気づいたらしい花江がフライパンから目を離し、歩に問いかけるも曖昧に誤魔化した。
──もう、誰にも心配かけたくない
自分を戒めるつもりできつく拳を握ると、二人分の皿を取りに行った。
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