第21話 浄化

 二週間が経ち、新学期が始まった。

 あの日から希々が予知をすることはなく、おかしな殺傷事件も起きなかった。

 相変わらず岳斗は苦しんでいたが、天記の顔を見ることなく過ごすことで少しは落ち着いているようだった。


 モヤモヤした日々を過ごしていたある日のこと。その日が自分の誕生日だということに気づいた天記は、朝目が覚めて自室の天井を見ながら思い出していた。


 (そう言えば、去年の今日、この力に目覚めたんだよな)


 あの時は、自分ではなかなかコントロールできなかった力も、最近では少しづつ抑制できつようになってきた。

 自分の意思で姿を変えられるようにもなってきた。

 紫龍に言われた通りに念じれば、どうにか、父親であるナギの持っていた力を発揮できるようになってきていた。とはいえ、強い怒りの感情があると勝手に変身してしまいそうになる。

 抵抗できない、ムクムクと湧き出るあんな感情を、岳斗はずっと我慢しているというのだろうか。天記はそう思うと、一刻も早くどうにかしてやりたかった。




 学校にいる間の日中は、クラスも別で、どうにかやり過ごすことはできたが、放課後の部活動の時間はどうしようもなかった。一時間程度の間、岳斗がずっと苦しそうにしているのを天記も竜之介もただ見ているしかなかった。


 途中しゃがみ込んでしまった岳斗に、何もしてやることができず天記は胸が苦しかった。

 部長の塚本が岳斗の不調を気遣い早く帰るよう促すと、天記のところへやってきて一緒に連れて帰るようにと声をかけてきた。

 岳斗が察して、


 「ひとりで大丈夫です。」


と、言ってそそくさと武道場を後にするのを目で追いながら見送った。

 部活が終わり、竜之介と二人で歩いていると、何気なく竜之介が聞いてきた。


 「今日、天記誕生日だよな。今からお祝いすんの?」


 そうだった。神武館道場で一時間ほど稽古したあと、家に帰れば、毎年恒例の誕生日会があるはずだ。

 何日も前から母親の真記が、プレゼントは何がいいのかと何度も聞いててきたが、今の天記にはそんな事を考えているような余裕もなかった。




 神武館道場に岳斗の姿はなかった。稽古を終え家に戻った天記が風呂に入っている最中、真記やルミが誕生会の準備を整えていた。風呂から上がってリビングに入ると、既に二宮家の全員が真記や希々と一緒に天記を待ち構えていた。岳斗の姿もあった。

 天記の心臓が一度大きくドクンッと鳴って、それから早く脈打ち出した。


 「さあ、座って天記」


 真記が、ダイニングの中央にあるテーブルのお誕生席に天記を座らせると、ちょうどあ反対側の席に岳斗が座る格好になった。

 マズイ。岳斗をまっすぐ見ることができずに、天記は少しうつむて座っていた。

 岳斗も、天記の顔を見ようとしないのを見て、ルミがあっけらかんとした口調で言った。


「何よ〜、まだケンカしてんの?いいかげん仲直りしたらどうなの」


 「別に、ケンカなんかしてないよ。天記も来たんだし、いいから始めて」


 岳斗は表情ひとつ変えずそう言った。それから、早く乾杯しろと言わんばかりに、ジュースの入ったグラスを持ち上げた。


 「あっそ、全く思春期って難しいわね。はいはい、じゃ始めましょ」


 ケーキのろうそくは十三本。天記が火を消そうとケーキに顔を近づけた時、希々が言った。


 「お兄ちゃん、願い事してから吹き消すのよ」


天記は、目を閉じて心の中で願った。


 (岳斗が早く元に戻りますように)


 ゆっくりと目を開けて、火の灯るろうそくに息を吹きかけ、一気に消した。それと同時に、皆が祝いの言葉を天記に言いながら、乾杯した。


 天記が、貰ったプレゼントの包装を一つづつ開けていると、ふと、対面にいる岳斗と目が合った。なぜか意図的に、こちらをじっと見ているような気がした。

 天記は、マズイと思ってすぐに視線を逸らした。

 次に見た時には、岳斗もあらぬ方向を見ていたが、あまり気分が良くない様子だった。


 しばらく皆で食事をしたり、雑談をしたり、大人はいい具合に酒に酔って、岳斗以外はとても楽しんでいるようだった。

 希々も、岳斗の妹ミミの遊び相手になってやり、とても楽しそうだ。


 しかし、この状況が長く続いては、岳斗が辛いはずだ。

天記は、自分の部屋に戻ったほうが、岳斗の為だと思った。そうして、立ち上がろうとした時、岳斗の方が一瞬早く立ち上がった。岳斗は、目の前まで来ると、天記の腕をつかみ、そのまま手を引いて歩き出した。




 天記の部屋に入りドアを閉めると、岳斗はいつチシャが入ってきてもいいように、窓を開けた。

 九月の少し肌寒い夜風が、いつ自分を見失ってしまうかわからない岳斗に、少しだけ冷静さをまとわせてくれるような気がした。


 いつものように天記がベッドに腰を下ろすと、岳斗も天記の目の前の床に、あぐらをかいて座った。

 そして、下から天記の顔をじっと見上げて話し始めた。


 「今、こうして顔を見るのも怖いけど、天記さん、俺そろそろ我慢の限界がきたみたい」


 岳斗は両手の指をグッと組んで、なるべく動かないように抑えているようだった。


 「気を抜いたら、すぐに天記さんに襲い掛かっちゃいそうになるから、もし何かあった時の為に、紫龍と赤龍を出しといてもらえないかな」


 けれど、そんな切羽詰まった岳斗を見ても、天記は妙に落ち着いていて冷静だった。


 「岳斗、いいよ大丈夫。何があっても。たとえ岳斗が俺を襲ってもきっと俺は大丈夫。だって俺は龍神の子だから。多少傷つけられたって大した怪我はしないし、もし怪我をしたところですぐに治る。そもそも、人間に殺されたりするほど柔にはできてない」


 きっと、覚悟を決めてきたのであろう岳斗に、天記も、目を背けるわけにはいかないと思った。

 じっと目を見て、どんなことも受け止めるつもりだった。

 岳斗の表情は、見たこともないくらい切なかった。そして、天記の想像していなかった言葉を口にした。


 「昨夜、俺、死のうと思ったんだ。俺、ここ何日もずっと、頭の中で天記さんを殺そうと考えてた。勝手に頭が考えちゃうんだ。そんなことできる訳ないのに。天記さんにいつ襲いかかるかと思うと恐ろしくて、抑えても抑えても、全く違う感情が湧いてきて本当に怖かった。だから死のうと思ったのに、自分で死ぬのも無理で。お願いだから、天記さん。俺の存在を消してくれないか?どんな方法でもいい。殺してくれても、他に何か方法があるならそれでもいい。そして、紫龍に全ての人から、俺が存在していたって記憶を消し去ってほしい」


 そうして、岳斗の目からあふれた涙は、止まることなく流れ続けた。

 天記は胸が締め付けられた。多分岳斗だから、今もこの状態で我慢できているのだろう。他の人間たちが、怒りの種から咲いた花に触れ、あっという間に近しい人の命を奪っていったというのに。


 岳斗はもう一ヶ月以上耐えている。もう解放してやりたい。天記は心からそう思った。そして、それ以上に、岳斗の自分に対する思いの深さに感激していた。心が震え、不謹慎かもしれないが、何かとても満たされたような気持ちになった。


 すると、天記の目からも涙がこぼれた。

上から岳斗を見下ろした時、岳斗の流したほおの涙の上に、天記の涙がポタリと落ちて重なった。

 その時だった。急に岳斗の体が力なく崩れ、床に倒れ込んだ。


 「岳斗!」


 天記は慌てて岳斗の体を抱き起したが、岳斗は、目を閉じてスヤスヤ眠っているようだった。その時、岳斗の手の平の、どこにも傷などないのに、黒い血が一瞬で蒸発するように消えていくのが見えた。


 「紫龍」


 天記が呼ぶと、身を翻して現れた小さな龍は、やけに安堵した様子でゆっくり岳斗の目の前をフワフワと飛んだ。


 「もうひとつ、呪いを解く方法があったな。お前の涙じゃ、天記。そもそも潤いの種は、ナギの涙で作られたもんじゃ。龍神の心を震わせるほどの、喜びと感動の涙じゃ。そうそう簡単に流れるもんじゃないがの。岳斗の誠意が、お前の胸に響いたということじゃろうの」


 すると、いつの間にか窓辺にちょこんと座っていたチシャが、言った。


 「とりあえず良かったわね。でもあなたのその涙ちょっと危険よ。早く拭ってしまいなさい。その涙に引き寄せられて、鎮守の森がここに現れちゃうかも」


 天記は鼻をすすって、急いで涙を拭いた。

 希々が二人を心配して部屋を覗きにきた時、岳斗は天記のベッドで安らかな寝息を立てて眠っていた。その寝顔はとても穏やかであった。


 天記が生まれてから十三年目のその日も、天記にとって特別なものになったのは間違いない。



              つづく

             

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