第10話 龍神ナギの物語 ⑴

 ナギは、マナを取り戻すべく戦った。立ちはだかる兵士達が次々に矢を放ち、剣を振りかざす。その全てを払い除け、またはそれらをその身に受けながら前に進んだ。


 マナの前に両手を広げて、決して渡すまいとしているのは豪族の息子だった。名を阿止里あとりと言う。

 龍に姿を変えたナギは、その大きな爪で兵士たちを払い、傷つけながら二人の前までやってきた。

 そうして、二人の前に立った時、阿止里はナギに向かって手にしていた大太刀を振り下ろした。


 しかし、そんなものが龍神に敵うはずもない。ナギは、尖った牙で、太刀を持つ阿止里の右腕を、力任せにかみちぎった。そして阿止里を押しのけようとした鋭い爪が、その顔を大きく引き裂き目玉をえぐった。


 恐ろしい叫び声と共に、阿止里はその場に崩れ落ちた。

 いつの間にか残りの兵士は周りから消え、その場には、ナギとマナと倒れている阿止里だけになった。


 ナギは人の姿に戻った。

それから、恐怖で震えるマナの手を取り二人で走って逃げた。

 本当なら、龍の姿のまま飛んで逃げれば済む話だ。マナを抱えて好きなところへ行けばいい。


 しかし、その時ナギは間違いを犯したことを自覚していた。マナを連れ去って、自分の思う通りにしたところで、どうにもならないと分かっていた。

 ナギは、何も言わずに長い間走り続けた。力尽きて、マナのその足が動かなくなるまで。


 結局、誰も追っては来なかったが、その後二人は一言も話さず龍神族の村まで歩き続けた。

 そして村に着くと、ナギは龍神池に潜ってそのまま姿を現さなくなってしまった。




      ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎




 阿止里は右腕を失い、左目も失った。体は思うように動かず、慕っていた女にも逃げられ、もはや生きているのがやっとであった。

 ナギを強く怨み、報復したいと思いながらもままならず、自身を悲観しながら阿止里はその命を自ら絶った。


 阿止里の父親は、仇を取ろうとナギを探して龍神族の村に向かった。しかし、結界で守られたそこに、たどり着くことはできなかった。

 マナの両親は見せしめに殺され、結局、町は豪族の手に落ちたのだった。




 幾日かが過ぎた。

 マナは悲しみの中にいて、決して癒される事はなかった。

 そしてナギは、そんなマナに関わることなく龍神池の中に籠ったまま、全く出てくる気配がなかった。

 自分が神として、大きな罪を犯したということには間違いはない。人を救うことはあっても、間接的にとはいえ人を死に至らしめた。ただただ、どうすることも出来ずにいた。


 マナもまた、そんなナギに対して罪悪感を抱いていた。

 自分がこの村に来たせいで、ナギに大きな罪を背負わせてしまった。ナギが自分のためにしてくれたことがどれだけ重く、罪深いか、マナにもよく分かっていた。そして、そんなナギが自分にとって大切な存在だということにも気づいていた。

 マナは龍神池に語りかけた。


 「どうか、出てきてください。村の人たちが心配しています。私も……」


 何度も何度も呼びかけた。しかし、龍神池の水面はピクリともせず、風が吹いているにもかかわらず、波紋すら起きなかった。

 そこだけ、時が止まってしまったかのようだった。




 何日も池の淵に通い続け、丸かった月が半分に欠けた頃、ある星のきれいに輝く夜のことだった。

 その日も、マナは池の淵で水中をのぞき込みながら、ナギに語りかけていた。

 それでもなお、出てくる気配がないことに悲しんだマナは、その水面に涙をこぼした。すると、微動だにしなかった水面に小さな波紋が出来た。

 その涙の波紋は振動し、湖の奥底にまで伝わった。


 そうしてようやく、池ほとりに立つ梛の木の下に龍神は現れた。

 あわれみと悲しみと後悔の涙が、ついにナギの心を動かした。そして、その涙はそのままナギの頬を伝って落ちた。

 マナはナギを抱きしめて言った。


 「私のせいで、ごめんなさい」


 謝ったところでどうしようもないのだが、それでも謝ることしかできなかった。

 

 村の民と共に、今まで通り暮らすことはできないだろう。ナギは天に帰ろうと思った。もう人とは関わるまいと思った。池の中でじっと考え、導き出した結論だった。

 最後に村の民に会って挨拶をし、地上を去るつもりだった。次の日、あんなことが起こりさえしなければ。




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 朝。天に帰るつもりでいたナギは、村の民一人一人に声をかけていた。

 そして、頼る者のなくなってしまったマナのことを、村の長であった刀良とらに託した。


 いよいよ天に戻ろうとしたその時、村の民の一人が、村の結界の外にマナを訪ねてきた者がいると知らせてきた。

 女だと言う。

 もしかするとマナの家に住み込んでいた下女かもしれないと、マナは嬉しそうに結界の外へ走っていった。


 放っておくことができずナギが後を追うと、結界のちょうど外側に後ろを向いて立っている者がいた。

 確かに下女だと思い、マナが声をかけた瞬間振り向いたのは、鬼の形相をした恐ろしい化け物だった。

 顔は下女のようだったが、その右腕は阿止里の物に違いなかった。

 血まみれの右腕には、あの日握っていた大太刀があった。


 阿止里は『怨み』に支配されていた。あの世には行けず、この世との境界線にしがみついて鬼と化していた。下女の体を奪い龍神族の村を探し、たどり着いたのであろう。


 すぐに気づいたナギが、マナをかばって自分の後ろに隠した。

 しかし、マナがいては自由が効かない。阿止里は何の迷いもなく、ナギに向かって大太刀を振りかぶった。

 と、その時、マナがナギを抱きしめるように前へ出た。

 大太刀はマナの背中を捕らえ、何の抵抗もなく振り下ろされた。


 「マナ!」


 ナギが叫んだが一瞬遅かった。阿止里は、隙を見てマナをナギから引きはがすように奪うと、大太刀をナギに向けジリジリと下がりながら離れていった。


 「阿止里!やめろ!」


 「既にその名は捨てた。我が名は怨鬼エンキ、お前を呪い滅ぼすため鬼となった」


 下女の姿をした鬼が答えた。

 ナギは再び龍の姿になった。そして、低く唸るような声をで言った。


 「マナヲカエセ」


 「マナは我のものだ。二人で闇の世界へ行き、お前を怨みながら過ごそう」


 怨鬼はぐったりとするマナの体を抱えながら、片方の口角を上げて笑った。

 下女の姿だと思っていたそれはいつの間にか、阿止里、いや怨鬼のそれに変わり、黒いモヤモヤとした雲のようなものに覆われていった。


 ナギの爪が、その雲のようなものを払うように宙を切った。黒い雲はどんどん二人の姿を覆っていく。このまま闇の世界に引きずり込まれそうになるかと思ったその時、辺りがまばゆい光に包まれた。

 小さな星の欠片のようなものが、ひっきりなし降ってくる。


 ナギはあまりのまぶしさに、手をかざして天を仰ぎ見た。そこには金色に輝く大きな鳥が、翼を羽ばたかせ、地上へ降り立とうとしているところだった。


 鳳凰ほうおうだ。

 キラキラと降り注ぐ光に怨鬼は苦しみ出し、たまらずマナを手放した。そして次第に遠く離れ、森の奥深くへと消えて行った。

 後には、怨鬼の右腕だけが残った。


 ナギはすぐさま人の姿に戻り、マナを抱き起こしたがもう既に息はなかった。

 ゆっくりと地上に降り立った鳳凰に、ナギは涙ながらに訴えた。


 「息のない者を生き返らせる力は、私にはありません。鳳凰どうか助けて。どうかこの娘を助けてください」

 

 鳳凰は『生』を表すもの。この世と天上をつなげる鳥であり、降り立つ地には必ず大切なものがある。

 

 鳳凰は一瞬フワッと光を増すと、美しい天女の姿になった。そしてゆっくりとマナに近づくと、その額に手を当てた。


 「美しく清らかな魂を、邪気に奪われるのは忍びなくてやって来た。この命は燃焼し、眠りにつき、たとえ姿を変えようとも年月を経てまた蘇る。私が祝福し約束しよう。その印をここへ残す」


 そう言って、マナの右手の甲に小さな星の形のアザを作った。

 天女は鳳凰の姿に戻ると、マナの体から魂を抜き取り、大事そうに抱えながらそれを持って地上を飛び立った。


 それから鳳凰と入れ替わるように、天御中主神あめのなかぬしのかみが現れた。ナギを創造した神である。

 天御中主神はナギをいさめ、その罪の重さに対する罰とも言える重責を課した。

 龍の姿になる力を奪い、天へ戻ることを禁じ、そして怨鬼を封印する力を与えた。

 

 ナギはマナを抱え村へ戻ると、村の民と共にその亡骸を葬った。そしてその後、怨鬼を探すため村を発ち、ナギの長い長い旅が始まった。

 紫龍と赤龍を従えて、ナギは果てしない道のりを歩きだしたのだった。



              つづく




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