第8話 襲撃

 次鋒である天記も、岳斗に続こうと気合が入っていた。昨日までの不安から解放され、岳斗と共に戦えることの喜びで、いつもなら異常なほど感じる緊張が、ワクワクするものに変わっていた。


 相手チームの次鋒は三年生だろうか、とても背が高く体格もいい。一年生で小さく、体も細い天記はだいぶ見劣りするに違いなかった。

 しかし、今日の天記は全くひるんではいなかった。


 「始め!」


 主審の声が聞こえた瞬間、天記は立ち上がり様に、目の前の大きな壁に向かってストンッと斜めに竹刀を振り抜いた。パーンッ!という、気持ちがいいくらいの打突音が、コート中に響いた。


 天記は見抜いていた。きっと相手は、自分の小ささを見くびっているはずだと。

 相手から丸見えの天記の面に、まっすぐ伸びてきた竹刀よりも早く、ガラ空きの胴を目掛けて『抜き胴』を決めたのだった。


 相手選手の呆気に取られた顔をチラッと見て、少し気分が良かったが、そこはやはり武道である、ひたすら冷静に開始線へ戻る。


 天記はそれでも、岳斗の表情を確かめずにはいられなかった。

 すでに面を外して、待機場所である畳の上に正座していた岳斗は、他のチームメイトと共に立ちひざになり、満面の笑顔で思い切り拍手をしていた。

 それを見た天記は嬉しくて、もう一本取ってやろうと意気込んだ。


 しかし、そう思い通りにはいかなかった。

 開始線で竹刀を構え、主審のかけ声を待っていると、遠くの方からザワザワと騒がしい音が聞こえてきた。


 気づかないのか、構わないのか、主審が「始め」の声をかけた時、天記はどうしても気になって音のする方向を見た。


 視線の先に居る岳斗が、何かを知らせようとこちらを向いて、音のする方向を指さしていた。

 天井近くの窓の外が真っ黒に見える。ざわつく人々の視線も、そこにあるようだった。


 会場の入り口、二つある大きな扉のうちの左側。ちょうどその前に、水谷が立っているのが見えた。


 相手選手は、よほどさっきの一本が悔しかったのだろう。周りの騒ぎにもお構いなしに、ムキになって天記に打ち込んでくる。

 天記は、竹刀で払ったり、ツバ競り合いに持ち込んだりして、その場をやり過ごしているた。


 突然、扉が内側に開いて爆音とともに真っ黒な塊が、会場内に流れ込んできた。

 よく見るとそれは、今まで見たこともなくらいのカラスの大群で、それに驚いた人々の叫び声が体育館中に響き、場内は騒然となった。


 その塊は、空中を勢いよく飛んで、会場の天井すれすれまで急上昇したかと思うと、ある一点をめがけて急降下してきた。


 「アキーッ!」


 岳斗が叫んだ。

 天記も気づいていた。ねらいは自分だ。そして、頭で感じた危険信号はすぐに体に伝わった。

 

 強引に片手で面をはぎ取ると、天記は次の瞬間、体も心も臨戦態勢になった。

 小手からは長く鋭い爪が飛び出て、体はひとまわり大きくなった。瞳は青みがかった銀色に光り、口の端から牙が見えた。龍の姿に限りなく近づいて、その本能に支配された。


 上を見上げ、降ってくる弾丸のようなカラスの大群に、天記の体は勝手に反応した。

 持っていた竹刀をクルッと逆手に持ち替えると、一瞬身をかがめて下から上へバンッ!バンッ!と打ち始めた。


 周りにいた相手選手や、主審、応援していた全ての人が、その様子をすっかり目にしてしまっている。人の叫ぶ声が絶え間なく聞こえていた。

 岳斗が何かあると、予想していた通りになってしまった。


 「紫龍!」


 岳斗は精一杯叫んだ。

 その瞬間、目を開けていられないほどの閃光せんこうが会場を包んだ。


 岳斗がゆっくり目を開けると、そこは、すっかり時が止まり全ての人がまるでマネキンのように動かなくなっていた。

 上を見上げると、無数のカラスが、天記をめがけて下降してこようとしたまま、空中で止まっていた。


 カラスの大群の下で、肩で荒く息をしながら、まるで獣のようなうなり声を上げている天記に、岳斗が優しく声をかけた。


 「天記さん、もういいよ」


 ゆっくり近づいて天記の肩にポンッと手を置いた。天記は、急に重力を感じたかのように床にしゃがみ込み、一瞬で元の姿に戻った。


 天記が深くゆっくり息をして呼吸を整えていると、バタンと音がしてカラスの入ってきた扉が閉まった。

 閉まるほんの少し前、隙間から人影が見えた。


 「水谷!」


 岳斗が呼んだが、すでに遅かった。

 追いかけても無駄だろう。それに、とりあえずこの状況を収束させなければ。

 天井に近い照明器具の裏側から、紫龍がゆっくりと降りてきた。


 「あいつが怪しいやつか?時が止まらんとは、人にしか見えんのに、やはり何かに取りかれているのかの?」


 ため息をつきながら、この後の始末をどうつけようかと、岳斗が考えを巡らしていたその時、突然二階席から声がした。


 「お兄ちゃん!」


 岳斗も天記も紫龍も、同時に同じ方向を見た。

 時の止まらなかった者がもう一人いる。

 そこに立っていたのは、希々だった。

 岳斗も天記も互いに固まって、違う意味で動けなくなった。


 「希々、下に降りてきて」


 天記が声をかけると、希々は一瞬ためらったような顔をしたが、言われた通り岳斗と天記のいる場所へ降りてきた。

 途中、時の止まった者を避けながら、空中に浮くカラスを見たりフワフワ漂う紫龍を見たり、天記のことをジッと見たり。


 「全部見てたよね」


 天記がそう聞くと、希々はうんとうなづいた。


 「お兄ちゃん、なんなの?」


 きっと化け物だと思っただろう。気味悪がられて当然だ。岳斗も天記も、どう言い訳しようかと考えていると、希々は全く予想していなかった反応をした。


 「すっごい、カッコ良かった!なにあれ、どうやったの?お兄ちゃんじゃないみたい!」


 拍子抜けした二人に全く構うことなく、希々はフワフワ浮いている紫龍に近づいて、両手でギュッと掴んだ。


 「なにこれ、かわいい!」


 「く、くるしいッ」


 「しゃべれるの?スゴイ!これお兄ちゃんのペット?」


 「ぺ、ペットオ?」


 紫龍は憤慨したが、岳斗も天記のおかしくて吹き出してしまった。


 「希々、怖くないの?」


 「なにが?ちょっとびっくりしたけど、それよりカッコ良くて、お兄ちゃん見直したよ。とりあえず、説明はゆっくり家に帰ってから聞くよ。それで、これからどうするの?」


 なんとも冷静な妹である、試合の勝敗以外に興奮することはないのか。


 「そうよ、早くどうにかしなきゃ。」


 ふと、どこからともなくチシャがやって来て、希々の足元にまとわりついた。


 「しゃべる猫!」


 希々が握っていた紫龍を放って、チシャを抱き上げたのを見て、岳斗と天記は目を丸くした。

 普段なら、絶対人に抱っこされるなんてことはしないのに、チシャは希々にべったりとくっついて、喉をグルグルと鳴らしている。


 「アンタ、ナギ様と同じ匂いがする」


 「チシャ、どうやって来たの?」


 岳斗が聞いた。


 「バスに一緒に乗って来たのよ。アンタ達が気づかなかっただけ。さあ、早く片付けなきゃ。天記、赤龍呼んで」


 天記が言われた通りに赤龍を呼び出すと、赤龍はなにも言わずにその場の状況を見て、自分しなければならないことを理解した。



 まず、カラスの大群と散らばった黒い無数の羽を、赤龍は全く触れることなく一度に動かして見せた。それから、大きな扉を開け全てを外へと運び出した。

 紫龍が、その場の人間の記憶を消し、岳斗と天記が体育館を回って体裁を整えた。二人は、試合をしていたコートに戻ると、天記の試合の二本目が始まるところから時を動かした。


 天記は、龍の爪のせいで破れた小手を、岳斗の小手と交換した。他の人間にとっては、一瞬ですり替わった魔法のように思うだろう。もっとも、気づく者いないかもれない

が。



              つづく

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