第6話 小さな森
体育館に入り、防具を着け、チームメイトとウォーミングアップをする。一通り体を動かしてうっすら汗をかいた。
そして開会式。
三月末の小学生最後の試合では、ここで事件が起こった。今回は、エンキの怪しい動きも気配もないようだ。あの時、急にいなくなってしまった竜之介も、今回は中学生Cチームの
天記の妹の希々はといえば、今年が小学生最高学年。本人は、小学生Aチームの大将としての実力を持ってはいるものの、あの性格である。ただ強気なだけでは、大将としての役割は果たせない。やはり、チームをまとめるだけの責任感や、落ち着きや、客観性は重要である。それらのうちの一つも、希々は持ち合わせていなかった。
そんなこともあって、監督でもある岳夫は、希々と同級生で実力も十分あり、いつも冷静にものを見ることのできる
それは、当然のことではあるのだが、ただ希々が納得できないのは、自身の最大のライバルである
なので、今日も希々は試合前から機嫌が悪かった。
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小学生の試合が始まった。
試合の進行をトーナメント表で見ると、希々のチームは三回戦目で山田美由のチームと当たる。
一回戦目、二回戦目と危なげなく順調に勝ち上がった。三回戦目、いよいよ山田美由のチームと対戦だ。
剣道の団体戦は、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の五人制で戦う。
今回の試合時間は、一試合二分間で、三本勝負。先に二本取るか、もしくは、時間内に先に一本取っていた方の勝ちとなる。
五人のうち三人が勝てば、そのチームの勝ちとなるし、両チームが同率の勝数であれば、全員の取った本数の合計が多いチームの勝ちである。
先鋒は通常であれば、勢いのある動きの速い者や、打ちの速い者が務める。少年剣道では特に、初めに勝ちを取ることは勢いがつくとともに、次に出る者の安心材料にもなると言っていいだろう。
対戦は、希々のチームの先鋒が一本取って、時間いっぱいで勝ち。次鋒・中堅がそろって二本負け、一筋縄ではいかない。追い詰められた希々のチームは、希々と大将の阿部が二人とも勝たなければ負けてしまう。
希々は、山田美由と対戦できない悔しさを、自身の副将戦にぶつけた。いつも以上に動きがいい。
一本目は、相手が面を打ってきたところを竹刀で受けて、返して面を取り、二本目は、やはり相手が面にきたところに胴を抜いて見せた。
キレイな二本勝ち。
しかし、勝ったというのに鼻息が荒い。
「絶対勝ってよね!」
と、大将の隼人にこれでもかとプレッシャーをかけた。
大将戦は白熱した。お互いに一歩も引かず、鋭い打ち合いが続いた後、上手いタイミングで隼人が小手を決め、一本先取した。このまま時間切れになれば、希々のチームが四回戦に進める。しかし、終了時間間際になって山田美由に面を決められてしまい、そのまま大将戦は引き分けで終了。
チームはお互い二勝二敗だが、取った本数が優先され、その結果、希々のチームは負けということになった。
とうとう希々の不満が大爆発した。
会場の外、体育館のエントランスの隅で、壁に四人を立たせて希々が怒りをぶつけていた。
大将の隼人に対しても、負けた次鋒と中堅の二人に対しても、容赦なく文句を口にする。
「何やってんのよ!負けるにしたって二本負けってある?それに隼人、大将が引き分けって何よ!あそこは絶対に勝たなきゃいけないところでしょ!」
希々の怒りはなかなか収まらず、チームの四人が閉口していると、それに気づいた他の道場生達が集まってきて周りを囲んだ。あまり大声を出すものだから、岳斗も天記も何事かとやって来た。
「お前こそ、何やってんだよ希々」
「だって!あんなひどい試合して!」
天記の言葉に、それでも何か言おうとする希々を、岳斗が制止した。
「希々、お前そんなんだから大将になれないんだよ。分かってるか?少しは人の気持ち考えろ」
ひたすら落ち着いた口調で言われて、図星を突かれたものだから、希々は何も言い返せなくなってしまった。
「冷静になれよ」
うつむいた希々の頭を、ポンポンとする岳斗。
「少し、外へ出て頭冷やして来い」
なだめるように岳斗に言われ、希々は体育館の外へ出た。
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外は五月の爽やかな風が吹いていた。
希々の気持ちとは裏腹に、空は抜けるようにきれいな青空だった。
郊外の大きな運動公園の中に体育館はあった。周りには、森や林が点在している。
長いこと歩いていると、それまで静かに吹いていた風が、一瞬ザアッと流れを変え青々とした芝生を揺らした。そして希々は、ふと自分の足元に階段があるのに気づいた。振り向くと、そこは公園の端で、希々は、体育館からだいぶ遠くまで歩いてきたことを理解した。
改めて階段を見ると、両端に木の柱が一本ずつ見える。ゆっくり見上げると、それはだいぶ古い鳥居であった。
鳥居の向こうにはこんもりと、まるで大きなブロッコリーのような森が見えた。木々には萌黄色の若葉が青空に美しく輝いて、そよそよと風に揺れている。
視線を階段の先にやろうと、少し目線を鳥居から下げた時、目の前に男の子の顔があった。
「わっ!」
男の子は、びっくりして声を上げた希々を、無表情でジーッと見つめていた。
よく見ると、階段の二段目に立っていて希々とまっすぐ視線が合う。十歳くらいだろうか。なぜか、上下真っ白い服を着ていて、それはまるで昔の、明らかに現代の服ではないように見えた。
胸には深い緑色の石を、ネックレスのように下げている。
「誰だ?」
男の子はやはり無表情のまま、まっすぐ希々を見つめて聞いてきた。
「誰って、あんたこそ誰よ」
男の子は不思議そうに希々を見つめながら、階段を降りて近づいてきた。
すると次の瞬間、男の子が首から下げていた緑色の石がフワッと白く光った。
石を見て驚いた二人は、お互いの顔を見合わせた。そして、その男の子は希々にこう言った。
「ナギの子か?」
希々は首を傾げた。
「ナギ?父親の名前は確かに
希々の言葉に、それまで無表情だった男の子は、こぼれんばかりの笑顔を見せた。
「とうとう取りに来たのか?!ナギの子は男だとばかり思っていた」
男の子がそう言いながら希々に近づいてきた時、後方から希々を呼ぶ声がした。
振り向くと、チームメイト四人が希々の姿を見つけて一斉に走って来る。
「なかなか戻ってこないから、心配したよ」
「もうすぐ、中学生の試合が始まる。応援しに行こう。」
そう言われて、うなずきながら希々は男の子の方へ向き直った。
しかし、そこに男の子はいなかった。
「あれ、どこに行ったの?」
辺りを見回したが、男の子どころか、先程まであった階段も、鳥居すらもきれいさっぱり消えていた。ブロッコリーのようなあの森は、どこへ行ってしまったのか。そこは全くの平地で、一面の芝生に、白詰草の花が所々に咲いているだけだった。
「どーゆーこと!?」
大将の隼人は、希々のおかしな言動にあたふたした。
「希々、大丈夫か?俺のせいで負けたことは謝るよ。だから機嫌直して戻ろう」
いやいや、それどころではない。今、自分が見たものは一体なんだったのか。だからと言って、この状況を目の前にいるチームメイトにに話しても、誰も信じてくれないだろう。
首を傾げながら、希々は皆と一緒に試合会場へと歩き出した。
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体育館まで戻ってくると、希々達は異様なものを目にした。さっき見たものも、希々にとっては異様であった。しかし、今、目の前にあるものは皆の背筋を凍らせた。
体育館の屋根の上に、無数のカラスが留まっていた。それは、白いはずの屋根を黒く染め、それぞれにうるさいくらいに鳴いている。バサバサと音をたて、羽ばたいたり、上空を旋回しているものもいる。
「何これ?」
チームメイト全員が上を見上げ、眉間にしわを寄せて固まっていた。
「恐いね」
誰かが言った。
希々も、何かが起きるのではないかと、ふと不安に思った。
その時、希々の頭の中で、何かが弾けたように白く光って、あるイメージが浮かんですぐに消えた。
(え、今の何?)
頭に浮かんだことが気にはなったが、今から試合の応援だ。
「さあ行こう、応援するよ!あたし達の分も中学生に頑張ってもらわなきゃ!」
希々は、気持ちを切り替えるために、わざと大きな声を出した。
つづく
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