第5話 笑顔
五月五日。『子供の日剣道大会』
近隣の県からも強豪チームが参加する、割と大きな大会だ。岳斗と天記の所属する神武館道場からは、中学生四チーム、小学生四チームが出場する。
岳斗と天記は中学生のBチーム。岳斗は、五人制の試合の一番初めに出る
朝、道場に集合すると、たくさんの子供達の中に岳斗がいた。
岳斗は、会場に向かうバスに防具を積んでいた。天記は、迷わずそこへ向かって走っていった。
「おはよう岳斗、手伝うよ」
「あ、天記さん。おはようございます」
笑顔だ。
岳斗は、まるで何事もなかったかのように、天記に笑顔を向けた。二人は、他の中学生や小学生の防具を、せっせとバスに積み込んで準備を済ませると、チームメイトと共に道場の前に整列した。
道場の中の神前に向かって、武運を祈りながら拝礼する。
後ろに向き直ると、付き添いの父兄が皆、並んで子供達を見つめていた。
道場の館長である岳斗の
「昨年も、中学生、小学生と共に優勝できた大会です。今年もぜひ、優勝旗を持って帰ってきましょう」
子供達が、全員で父兄に向かって「応援、よろしくお願いします」と、礼を尽くす。
武道なのである。礼に始まり礼に終わる。
少年剣道においても、他のスポーツ全般と変わりなく、子供にとって親のサポートはとても大事である。皆それを理解していたし、道場としても、そこは日頃から子供達によく指導していた。
子供達の元気な挨拶に拍手をする父兄の前を並んで通り、全員が二台のバスに乗り込んだ。
岳斗は、一番後ろの窓際の席に座ると、隣の席の座面をポンポンと軽く叩きながら天記を呼んだ。
それだけで天記はとても嬉しかった。
あんなに不安だった数週間がウソのように、胸のつかえがスーッと取れたような気持ちになった。岳斗のとなり腰をおろすと、自然に笑みがこぼれる。
それと同時に、岳斗に対してすまない気持ちになった。自分の気弱な性格のせいなのに、人気者の岳斗のとなりいることを、疎ましく思っていたなんて。
(ごめん)
天記は心の中で謝った。と、同時に岳斗の声で
「ごめん」
と、聞こえた。
「ごめん、天記さん。なかなか話ができなくて。部活にも出られなかったし、でも稽古はちゃんとしてたんです。親父と夜中、結構頑張ったんだ」
岳斗は多分、会場に着くまでの間、この調子でしゃべり続けるに違いない。この数週間、きっと岳斗にとっても辛かったのかもしれない。何らかの理由があって、こんな状況になっていたのだろうということは、天記にも分かっている。岳斗は、天記の顔を見ながら嬉しそうに話し続けた。
「いろいろ話したいことがあるんだけど、ここじゃ周りに人がいるし、うまく伝わらないから、今日帰ったら地下室で。とりあえず試合に集中しましょう。今日の最大の敵はうちの道場のAチームです。だから……」
天記はニコニコ聞いていた。久しぶりに岳斗の笑顔を見ながら、試合の作戦や取り留めのない話に耳を傾けて、バスに揺られていた約一時間の間に、今までの不安な気持ちはすっかり消えてなくなった。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
「おーい。岳斗!」
会場の体育館に到着しバスを降りると、突然遠くから岳斗の名前を呼ぶ者がいた。
声のする方向を見ると、そこにいたのは水谷だった。
岳斗と天記は驚いて顔を見合わせた。こちらに歩いてくる水谷を見ながら、岳斗は天記にこっそりと耳打ちした。
「天記さん、水谷に何か言われても受け流してください。決して感情的になっちゃダメだ。言い返したりしてもダメだから、わかった?」
天記には、何のことかはよく分からなかったが、とりあえずうなずくと、近づいてきた水谷のことをじっと見た。
「おはよう、試合だって言ってたから応援しにきたよ。岳斗、今日は頑張って」
と、水谷は右手で軽くガッツポーズをしながら笑顔を見せた。
「あ、うん頑張るよ。応援にきてくれるなんて思ってもなかったけど、嬉しいよ。でも、もしだけど、試合自体勝ち上がったら夕方までかかるから、無理しないで。試合中は話したりもできないし、声かけなくていいから、切りのいいところで帰っていいからな。遠いところありがとう。じゃ」
そう言うと、岳斗は防具を降ろしに、もう一台のバスの方へ早足で歩いて行った。天記もその後をついて行こうとした時、おもむろに右腕をつかまれた。
振り返ると、水谷が真顔で天記を見つめ、こう言った。
「おい、お前岳斗の足引っ張るなよ。お前のせいで負けたりしたら許さないからな。そもそもお前みたいなヤツが、岳斗の友達でいるなんておかしいだろう?今までずっと一緒にいたみたいだけど、まさか親友だなんて思ってないよな。ありえないよ、岳斗だってきっと言えないだけに決まってる。お前、ウザいよ。いっそのこと消えればいいのに」
天記は目が点になった。
(今、目の前のコイツはなんて言った?)
言われたことを頭の中で繰り返すと、ムクムクと怒りの感情が湧いてきて、鼻の奥の方がむず痒くなってきた。爪の先からピリピリとした感覚が生まれ、血管を通って身体中に広がっていく。
こうなると結局、岳斗の忠告は役に立たない。自分でコントロールが効かなくなり、多分このままだと、この水谷の目の前で確実に変身してしまう。
そう思った時「天記!」と、岳斗が遠くで呼んだ。
その声でハッと我に返った天記は、水谷の手を振り払うと岳斗の方へ走った。
「大丈夫ですか?あいつに何か言われた?」
肩を並べて、早足で歩きながら岳斗が聞いた。
天記は、今あったことを隠さず答えた。せっかく久しぶりに話すことができたのに、もうこれ以上岳斗とギクシャクするのは嫌だった。
「そうきたか」
岳斗は、まるでお見通しだったというような口調でそう言った。
けれど、今はそれについて話している余裕はない。二人は、他の道場生と共に試合の準備を始めなければならなかった。
つづく
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