ハッピーエンドは終末世界

鯖田邦吉

ハッピーエンドであり続けたい


 その男は今、地球で最も幸せだった。

 本人の気持ちの持ちようではなく、客観的事実として。


 なぜなら、幸福という概念を理解する生物はこの星において彼だけになってしまったからだ。


 彼を除く人類は、いや地球すべての生き物は、滅亡した。

 正確にいえば微生物や菌糸などは生きているのだが、人間が生物と認識しうるほとんどの生き物は、ことごとく姿を消してしまった。


 宇宙には人智を越えた生命が存在する。そんな奴らの1体が、太陽系をかすめたのだ。

 そいつにとっては通りすがりに上着の裾が触れてしまった、くらいの認識だったろうが、地球に棲む生き物を滅ぼすにはそれだけで充分だった。


 黒板の文字を消すように、地球からあまねく生物の存在が死体ひとつ残さず拭い取られてしまった。

 彼はその消し残しというわけだ。


 彼にはなんの取り柄もない。誇れるものも、なにひとつなかった。もしボートの乗組員をひとり荒れ狂う海に捨てなければ転覆してしまうとなったら、十人中十人が彼を選ぶだろう。

 そんな彼が、人類最後の1ページになってしまった。


 その事実に気づいたとき、彼は泣いた。

 悲しみにではない。

 安堵だった。

 今まで感じたこともない、途方もないほどの安心感。母の腕ごときにたとえるなど畏れ多いほどの安らぎで、彼の心は久々に感動という概念を思い出した。


 もう生きなくていい。

 もう起きなくていい。

 もう働かなくていい。


 満員電車に乗らなくていいし、上司に怒られたり、同僚に舌打ちされたりしなくていい。客から叱責されない。

 誰かの邪魔にならずに済む。そもそも邪魔をしてしまう誰かがいない。


 自分はずっと誰かに迷惑をかけてきた――そう彼は思っていたし、実際そうだった。

 誓って悪意でそうしてきたわけではない。彼自身は必死に生きているつもりなのだが、周囲からすると彼の死に物狂いは誰かの鼻歌交じりにすら届かないのだ。


 努力はしたつもりである。だがそれが実を結んだ試しは彼の記憶するかぎり1度としてなかった。

 間が悪かったのか、それとも根本的なところでなにかを間違ってしまったのか。

 いずれにせよ彼自身は己の間違いに気づけないし、指摘してくれる友人知人も存在しない。


 彼にとっては、人生とは小学校のドッジボールだ。

 彼は全然楽しくないし、みんなも彼がいると嫌がるのに、全員強制参加させられるもの。

 だから人間社会というドッジボール大会が開催されなくなって、彼は心の底から安心したというわけだ。


 確かに困ることはある。

 電気や水道は使えないし、追いかけていたマンガや小説は永遠に続きが読めない。

 しかし社会から解放された喜びに比べれば些細なことである。


 孤独? それはまったく問題にならない。

 人類が滅びてからもう数ヶ月は経っていたが、その間、彼が「さびしい」と思ったことは、ただの1度もなかった。ただの1度もだ。


 元々友人もいなければ恋人もいない。

 家族はいる。そこまで仲が悪いわけではない。

 だが今の幸福と引き替えにしてまで、彼らに生きていてほしいと思うほどの愛着はなかった。


 退屈も感じない。やりたいこともやらねばならないこともないなら、ただ寝ていればいいのだ。

 一日中、ひたすら同じ場所に座り込んでいても彼はそれを苦にしなかった。


 もし病気や怪我をすれば困るだろうが、今のところ寝ていれば治る程度の病気しかしていない。

 誰かに看病してもらいたい、など望まない。

 自分のために他人の手を患わせるのは心苦しい――病床にあっても、彼はそう考える人間だ。




 その日、彼は昼食を得るためにコンビニに入った。

 無人無明の店内には腐った生鮮食品の臭いが立ちこめている。

 マスクや手拭いなどではもはや足りない。

 ホームセンターで手に入れたガスマスクが、彼の友だ。


 あまり長居すると身体に腐敗臭がうつってしまう。

 足早に缶詰やお菓子を盗って素早く退出。


 貧しい食生活だが、不満はない。

 まだ人間社会が存続していた頃は、なにを食べても美味いと感じなかった。

 彼にとって食事とは肉体が要求する、辛いだけの人生を永らえさせるための燃料補給以外の意味はなく、時にはそれそのものが苦行でさえあったのだ。


 それが今はどうだ。

 味を感じることができる。明日なにを食べるかを、楽しみにすることができる。

 もちろん1人で食べることをわびしいとも思うはずもない。

 むしろ大勢で食べる食事は苦手だ。

 

 だが、幸福は長続きしなかった。


「――ちょっとそこのあんた!」


 突然、彼は呼び止められた。

 声をかけられるなど、まったく想定していない。

 まずその『音』がなにか理解するのに時間がかかった。


「よかった、あたし以外にも生きてる人、いたんだ!」


 小さな影が、小走りに彼の側まで近づいてくる。

 人間だった。髪を肩の上まで伸ばした、高校生くらいの少女。


 彼以外にも生存者がいたのだ。

 確かに、彼が生き残ったのはまったくの幸運でしかないのだから、他の誰かが同じ幸運に恵まれたとしても、なんらおかしなことはない。


「あたし、ひいらぎ伽奈かな。おじさんは? ここの人?」


 伽奈は彼を質問責めにした。他に生存者と会ったことはあるか、何歳なのか、食事をどうしているのか、社会が生きていた頃はなにをしていたのか――。


 彼はだんだん尋問されているような気分になってきた。

 ひどく居心地が悪い。


 視線を少女から外すと、少し離れたところに自転車が停まっているのに気づいた。

 彼女のものだろうか。荷台に大きな箱が乗った無骨なデザイン。

 若い女の子が好みそうなデザインではないから、どこかから調達してきたものなのだろう。


「ああ、あれ? あたしのだよ」


 彼の視線に気づいた少女は自転車を手に入れた経緯を説明しはじめる。

 まったく興味はない。

 だが、「それじゃ」と言って立ち去ろうとすると、なぜか伽奈はついてきた。


「いやいやいや、別れるとかナシでしょ。せっかくの生存者でしょ? 普通、気にならない?」


 よっぽど人恋しかったのだろう、合ったばかりの冴えない男に、伽奈は身をすりつけるような距離感でまとわりつく。

 不便になった生活の中でも、彼女は最大限の努力を払って清潔さを維持していた。

 他の男であれば、鼻の下を伸ばしていたかもしれない。


 だが、彼にはただ、怖い、鬱陶しいという思いしかなかった。

 そしてまだなにも危害を加えてきていない相手に対して、冷淡な感情しか抱けない自分に自己嫌悪する。


「あたし、神奈川から来たんだ。自転車コレで。もしかしたら生き残りの人に会えるかもって。えっと、ここは――っておじさん、歩くの速いって。そんなんじゃモテないよ?」


 すべての男がモテることを重要視しているように言わないでもらいたい、と彼は思う。


「一緒に行こうよ。そのほうが便利でしょう?」


 それは否定できない。

 ただし彼にとって孤独である安心感は利便性より上位にあるのだが。


「もうそろそろ暗くなっちゃうね。ごはんにしよう。ねえ、どこに住んでるの?」


 1人暮らしのアパートに人を招き入れたのは、それが初めてだった。

 実家にいたときでさえ、部屋に友人を招き入れたことは1度もない――というか友人ができたためしがない。


 彼にとって生まれて初めての「個人的な客」になった少女は、彼の部屋を見て――眉をひそめた。


「狭ッ! 汚な――、なんでこんなトコ住んでんの?」


 前から住んでいるからとしか、答えようがなかった。

 確かに今、すべての家が空き家なのだから、ここよりもっと広く、清潔で、便利なねぐらは選び放題だろう。

 しかし彼には興味のない話だ。雨風が防げればそれでいい。

 家具だって、もう動かない電化製品を除けば、机、座布団、ベッド――、最低限はあるのだし


「……ずっとここに住んでるの? あちこち行ってみようとか、思わなかった? ほら、あたしみたいに、生存者を探そうとかさ」


 まったく思わなかった。

 むしろ伽奈がなぜそんなことをするのか、わからない。

 だが好奇心よりも口を開くことへの億劫さが勝って、彼は結局尋ねたりしなかった。


「ほんっと、汚いなぁ。とりあえず湯を沸かすついでに軽く掃除だね。ゴミ袋、まだあるでしょ?」


 伽奈に指示――いや、命令されて、彼は部屋の掃除をはじめる。

 彼の心に、小さな不満が線香花火めいてちらつきだした。

 自分の部屋なのに、なぜ、部屋の主よりも客の意向が反映されねばならないのだろう?


 積もった埃が拭い去られ、驚くほど広く感じられるようになった部屋を見ても、不満は彼の中で燻り続けていた。


 部屋がいくら綺麗になろうと、それは彼が望んだことではない。

 自分の持ち物が自分以外の誰かの好きにされている。不快で当然だ。

 だが「ね、綺麗になったでしょ」とこちらを見上げる伽奈に正直な思いを吐露する勇気は、彼にはなかった。


 悪気があってしたことではないのだから。

 善意なのだから。

 利便性や清潔さという面では彼女のほうが正しい。

 だが、嫌だ。


 自分が嫌なことを我慢したくはないが、少女を傷つけるのだって充分に嫌なことだ。

 なにか方法があるのではないか。自分が我慢せず、彼女も傷つけない道が。


 けれど彼が考え込んでいるあいだに、伽奈は次の話題に、次の次の話題に行ってしまう。

 これまで彼と接してきた人間たちがそうだったように。


 自転車の荷台に載せられた箱から、伽奈はいろんなものを取り出していく。

 カセットコンロ、1人用の鍋、使い捨ての割り箸、封の切ってないミネラルウォーターのペットボトル――。

 彼女は慣れた動作でテキパキと湯を沸かし、カップラーメンに注ぐと、砂時計を机に置く。


「カップ麺はシーフードに限るよ。まあ、それ以外でも食べるけどさ」


 食事の間も、伽奈は喋り続けていた。

 話の内容はもっぱら人類滅亡前、彼女がどんな暮らしをしていたかだ。

 よく会話をしながら食事ができるものだと、彼は感心する。

 彼の場合、会話をすれば食事が滞るし、食事をすれば会話についていけない。

 なので伽奈の話のほとんどを彼は聞き逃していた。

 気づいていないのか、気づいていても気にしないのか、伽奈は問題なく喋り続けた。


 食事を終えた頃には、太陽が沈む直前になっていた。

 電気がないので、夜になったら月明かり以外に光源はない。寝るに限る。

 だが問題。この部屋の寝具は1人分しかない。


「ベッドはおじさんが使っていいよ。あたしは寝袋あるから」


 別の部屋に移ったら――と彼が言う前に、少女はさっさと床に寝袋を広げてしまった。


「言っとくけど、変なことしようと思わないでよ」


 その発想すらなかった。

 そもそも変なことをされるのが嫌なら、素性も知れぬ男に近づかなければよかろうに。


「まだ眠くないでしょ? おじさんのことも教えてよ」


 身の上語りは5分もかからず終わった。

 少女の倍近く生きていながら、語りきるのに10分の1もかからぬ半生。

 

「それだけ?」


 伽奈は不満そうだ。


 ――ああ、また他人を失望させてしまった。


「おじさん、さびしくなかった?」


 正直に否定したが、伽奈は「またまた、強がっちゃって」と本気にとってはくれなかった。


 さびしいというのがわからない。

 ひとりぼっち、結構なことじゃないか。なにが不満なのだろう。


 他人がいると辛いことばかりだ。

 彼がなにをしなくとも、彼という存在が無益あるいは有害な存在だという事実を、絶えず突きつけてくる。

 根暗、ぼっち、服がダサい、なにを考えてるのかわからない――ただそこに立っているだけで、蔑み、哀れみ、軽んじてくる。


 だから。


 伽奈が寝息を立てはじめたのをみて、彼はそっと起き上がった。

 彼女を起こさないよう、静かに玄関に向かい――だがそこで、ズボンの裾がさっき飲み干したペットボトルに触れた。


 容器が倒れた。床の上で弾み、音を立てる。


「……おじさん?」


 伽奈が上体を起こす。

 もう猶予はない。

 彼は玄関のドアを力任せに開き、駆け出す。


 外はもう真っ暗だった。

 かまいはしない。光のない暗黒より、怖いのは人間だ。孤独でなくなることだ。

 駐輪場の自転車にあちこちぶつかりながら、彼は前に進む。

 伽奈は追いかけてこなかった。足を動かすたび、自分を呼ぶ声はどんどん小さくなっていく。


 安心したところで、ガン、と強い衝撃が彼の肩を打ちのめした。

 ポストかなにかにぶつかったらしい。一回転して、彼はコンクリートの上を転がった。

 打ちつけた額が痛む。血が出ているようだ。

 ひどく情けない気分になった。


「おじさーん?」


 声のした方向を振り向くと、光が見えた。

 なんてことだ――伽奈は、懐中電灯まで使って、自分を追いかけてきていた。


「ねえ、おじさん、冗談はやめてよ。帰ってきてよ。1人にしないで。せっかく会えたんじゃない。なにかあたし、悪いことした? ねえ――戻って来てったら!」


 胸が締めつけられる。

 本当なら、もっとスマートに、気づかれることなく家を出て、あくる日ひとりで目覚めた彼女が、ああ昨日のことは夢だったんだと思うような、そんな誰も傷つかない別れをするつもりだったのだ。


 なのに自分がマヌケなせいで、怖い思いをさせてしまった。

 理解できる理由もなく、夜中に黙って部屋を飛び出す得体の知れない人物なんて、トラウマになってもおかしくない。


 彼は物陰に身を潜め、じっと息を殺した。

 見つかりませんように。伽奈がさっさとあきらめてくれますように。


 けれど神様は、いつだって彼の願いを聞き届けてはくれない。


「……おじさん?」


 まぶたをぎゅっと閉じても、投げかけられた懐中電灯の光をないことにはできなかった。


「どうしたの、突然……? 震えてるよ?」


 君が怖くて震えているのだとは言えない。


「大丈夫、安心して」


 なにか生暖かいものが、首に巻かれた。

 伽奈の腕だ。

 彼の背筋を、ぞわぞわと不快感が駆けのぼる。


 自分の意思以外で動くものが、自分の上を這っている。

 怖い。怖い怖いこわい。気持ち悪い。

 恐怖のあまり、指1本動かせない。


「あたしもね、自分が世界に1人だけになって、夜中にうわーって叫び出したくなること、あるよ。でももう大丈夫。あたしはここにいるから。……ね?」


 ああ、そうか――。


 伽奈に手を引かれて部屋に連れ戻される道中、彼は理解した。

 この世には、孤独を喜ばない人間がいるのだと。

 彼が他人を怖れるのと同じぐらい、伽奈は孤独が怖いのだと。


 つまり、共存は不可能。



 次の日、彼は伽奈によって叩き起こされた。


「ねえ、あっちに行ってみようよ。山の向こうに、生存者がいるかもしれない」


 ここで待っていると提案したが、やはり聞き入れてはもらえなかった。


「なんでよ。もし誰かいたら、また戻ってこなくちゃならないでしょ?」


 戻ってこなくていい、と言っても無駄だろう。

 伽奈はとことん孤独が嫌いで、1人より2人が、2人より3人がいい人種なのだ。


「決まりだね。朝ごはん食べたら出発」


 リュックに必要なものを詰め、彼は仕方なく伽奈の半歩後ろについていく。

 まだ文明があった頃から使い続けているそのリュックに、腕を通すのは久しぶりだった。

 嫌な記憶が次々連想されてきて、吐きそうだ。


 食事の間もそうだが、歩きはじめてからも、伽奈は際限なく喋り続けた。

 それに相槌――というより生返事――を返しながら、彼は別のことを考える。


 そしてそれを実行に移すときが来た。


 大蛇のように山に巻きついた、道路の上だった。

 人類が滅びてからもうどれくらい経つのか彼は把握していなかったが、早くもアスファルトを突き破って雑草が身を伸ばしている。


「うーん、いい景色!」


 ガードレールの向こうに広がる山々を眺めて、少女が笑う。

 その背後で、彼はリュックから包丁を取りだした。

 両手で握ったそれを、伽奈が振り返るのに合わせて、前に突き出す。


 肋骨に邪魔されることを怖れて刃は水平にしておいたものの、肉そのものが強い抵抗を見せた。

 心臓のある位置にほんの数センチ入ったところで、ぬるりと刃が止まる。


「お、じさん、なん――え゛」


 片手を伽奈の首に回し、抱き寄せるようにして、力いっぱい押し込む。

 刃先が少女の背から飛び出す手応えがあった。

 あんなに元気なのに、身体はこんなに細いのだな――とぼんやり思う。


「お――」


 口をパクパクさせる伽奈。唇からごぼっと血が噴き出した。

 傷口からは言うまでもない。彼の身体が赤く染まる。


 他人の血を浴びるのは思っていた以上に不快だった。

 着替えを用意しておいたのはいいが、持ってきたタオルでは足りないかもしれない。

 川の側で殺ればよかった。


 伽奈の身体を突き飛ばす。

 包丁を胸から生やしたまま、少女の身体はガードレールを越え、谷底に落ちていく。


 ごめんね、と彼は小さく呟く。


 君にひどいことをしたくなかった。

 でもお互いの望むかたちが真っ向から食い違っている以上、仕方ないんだ。

 天国が本当にあって、そこで家族やお友達に会えたらいいね。

 君の冥福を心から願っているよ――。


「おい、あんた!?」


 彼のものではない声が聞こえた。

 振り返る。中年の男がひとり、青ざめた顔で彼を見ていた。


「あんた、なにを……」


 ノイズ音。男の右手に握られたトランシーバーからだ。


『おい、なにがあった!?』

「生存者を見つけた、見つけたんだが――」


 彼の目に、大きめの石が映った。

 男の意識がトランシーバーに向いた隙に拾い上げ、投げつける。

 がっ、と男が頭を押さえてひっくり返った。


 落ちた石を拾い上げ、彼は男に馬乗りになった。

 ジタバタもがく腕をかいくぐり、何度も石を男の顔面に振り下ろす。


 彼にとっては無我夢中の行動だった。

 身体が自然にそう動いたといっていい。

 今までなんの取り柄もないと自負してきたが、ひょっとしたら殺人者の素質が彼にはあったのかもしれなかった。


 男が動かなくなるまでにはしばらくかかった。

 その顔がもはや原型を失い、赤黒い肉の塊としか表現できなくなったところで、彼は男の上から身を離す。

 男は動かなかった。呼吸もしていない。


 そのぶん、というわけではないが、彼ははあはあ肩で息をする。

 久しぶりの肉体労働。なまった身体はすっかり疲労困憊だ。

 上着のポケットにビーフジャーキーが入っていたので、包装紙を破り、死体を前に栄養補給する。

 疲れた身体に染み渡る肉の滋味。


『おい、須藤、返事しろ、おい!』


 彼は地面に落ちたままのトランシーバーに、そっと耳を近づけた。

 相手の背後で誰かが言い争っている声が聞こえる。


 つまり、最低でもあと3人いるということだ。

 その3人は自分を放置しておいてくれるだろうか、と彼は考える。


 自分と伽奈、どちらがマジョリティかといわれれば、おそらく伽奈のほうだろう。

 きっと彼らもまた、仲間を探し求めて動いているに違いない。


 もし向こうがこちらを見つけた場合、どうするか。

 仲間の仇と知っていれば仇を討とうとするだろうし、知らなければ仲間に引き入れようとするはずだ。

 穏便に断っても、どうしてだ、さびしいだろう、みんなで助け合ったほうが合理的だ――としつこく食い下がってくるのがありありと想像できた。


 たとえ放っておいてくれたとしても、彼らは活動範囲を広げ、それはいずれ彼の生活圏を取り込むだろう。

 彼が餌場にしているコンビニのまだ食べられる食品は、彼らによって奪い取られてしまうかもしれない。

 数を頼みにする連中が、ひとりぼっちの彼を尊重してくれるとは、今までの人生経験からしてもありえない話だ。


 戦うしかない。


 彼は草やぶの中に身を隠し、血に濡れた服を着替えながら、男の仲間が男を探しに来るのを待った。

 とりあえずは彼らの根城を突き止めることが必要だ。

 それができたら、そこに火をつけてもいいし、1人ずつ始末していってもいい。


 気の重い話だ。ウンザリする。

 だけどそれを成し遂げれば、彼の元には幸福な日々が戻ってくるはず。

 なにも起きない、孤独な日々。そのためだったら、現実にも向き合える。

 かつてない気力が全身にみなぎるのを、彼は感じた。

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