第5話 上京。入居して3週間で引っ越し。。。

翌年めでたく、富雄は東京農業大学、私は明治大学に合格し、憧れの東京一人暮らしが始まった。

私は京王線代田橋駅近くの「めぞん一刻」の様な玄関共有のボロアパートに入居した。

富雄は農大近くの経堂にアパートを見つけたが、不動産屋のミスですぐに入居できず、4月中旬位まで家無しの状態になってしまった。


私は富雄を代田橋のアパートに泊めていたが、それがきっかけで大家に嫌がらせをされ、たった3週間で出て行く羽目になった。

最初は親切に見えた大家の名前は小川きみ。

今でも忘れない。


富雄を入居直後から泊めていた私に、


「友人宿泊の場合は事前に申請してください」

「中村さんは初めから二人同居のつもりで契約したのですか?」

「夜8時過ぎたら、テレビはイヤホンで聞いて下さい」

「夜9時過ぎの電話は繋ぎません」

「自転車は近所の車用の駐車場を契約して、そこに停めて下さい」

「カーテンレールを取り付けるのに、穴を3個開けましたね。300円支払ってください」

「部屋の中を大量のエロ本で散らかさないでください」


小川きみは、私が午前中寝ていると、勝手に部屋の中に入ってきた事もある。

きっと、二人で暮らしていると思い込み、偵察に来たのだろう。

その時、部屋の中には富雄が買ってきた大量のエロ本が散らかっていた。


富雄を泊めた事をきっかけに、悪徳大家の私へのいじめはエスカレートし、私はなんと入居3週間目で契約したばかりのアパートを出て行く事になった。


全て、富雄が原因だった。

しかし当時の私は、そんな事で富雄を恨むような繊細な神経は持ち合わせていなかった。


後に代田橋の不動産屋から聞いたが、小川きみは明大前、代田橋近辺の不動産屋仲間からも評判が悪く、物件を不動産会社で扱ってくれないから仕方なく、大学の生協に直接学生を斡旋してもらっているのだ、と聞いた。

酷い話である。

明治大学の生協が一番悪かったのだ。


後に明治の生協に苦情を申し立てたが、

「そうなの!酷い話ね!」

と職員から同情されただけで対策は無く、その後も続々と後輩たちが入居しては、大家にいじめられ、数か月程度で引越する無残な状況が続いた。

ただ、3週間で出て行った私の記録は破られていない。


その小川きみのアパートは30年以上経ってもまだあり、小川きみ自身の生存も私は目視で確認している。

エプロンをして散歩している姿を目撃したのだ。

50歳を過ぎた今でも、私は代田橋の沖縄タウンの居酒屋で酔っぱらうと、小川きみのアパートにピンポンダッシュをして、彼女を懲らしめている。

35年経っても彼女は未だ生きているのだ。

とすると、私が19才だったころ、彼女はまだ30代だっだのだろうか。

めぞん一刻の音無響子の様な色気は当時も全く感じなかった。

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