第14話 死闘
盛大に叫びたい衝動を抑える。
少なくとも遠目に見える程の距離にいたはずの人狼。
それが目を離した瞬間に近づかれ2~3回匂いを嗅がれた上に大きく振り上げられた左腕が、そのまままっすぐとこちらへ振り下ろされるまでの間。
叫ぶ時間すら与えなかった。
瞬時に刀を引き抜いて受ける姿勢を取る。
次の瞬間、ステンレスの板をおもいっきり破裂させたような音と供に強い衝撃で横へと吹っ飛ばされた。
衝撃だけでいえば大蜘蛛から受けたものとほぼ同格と言っていいほどの力が襲い来る。
背中を打ち付ける硬い地面。
防具を通して伝わる衝撃。
転がる勢いを殺しつつ態勢を立て直そうと必死にもがく。
ようやくその場に留まることができても休息はない。
そこへ間髪入れずに奴は間合いをつめてくる。
「ァアアアアアアアアアアア!」
鋭い牙がこちらを向き黄色く濁った光る瞳が軌跡として残る。
重い一撃が振り下ろされ地面を抉った。
その威力を出すのに見合わない細腕が地面を抉ったのだ。細腕と言っても自分の腕と比べればその太さは2倍以上はある。
それに長さも大きさもこちらの1.5倍はあるだろう体躯が想定の範囲外のスピードで迫ってくるのだ。
それから、この一撃はほんの小手調べに過ぎないというかのように次々と手技が繰り出されていく。
獣染みた人狼に似つかわしくないまっすぐと延びる手刀。
この違和感はなんだ。
格闘技を修めたかのように硬く握られた拳。
この人狼は魔物としてどこかおかしい。
そんな違和感を避けながらにして感じる。
同時に圧倒的な力と速さの前に分厚い壁のような物が見える気がして心が折れそうになる。
だが、まだ避けれている。
ぎりぎりのところで踏ん張れている。
「まだ敗けじゃない!」
自分にとっての希望は、それだけで十分だ。
「まだ死んでない!」
気持ちが体を突き動かす。
「諦めないぞ!」
熱い何かが心から溢れる。
敗けるわけにはいかない。
「強くなるんだ」
その意志が刀を強く握らせる。
熱い気持ちと供に蛍火が周囲を照らした。ひとつまたひとつと────
奴の腕をかい潜り、縦に横にと斬る。
しかし、足りない。
だが、初めて攻撃に転ずることができた瞬間だったのは確かだった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アァアアアアアアアアアアアア!!」
響く断末魔。まるで泣き叫ぶような鳴き声が反響する。
それに呼応するように自身の心臓の音が耳元で破裂するように力強く脈打つ。
何かが自分を支えてくれているような。そんな力が刀を通して伝わる。
奴の腕から放たれる手刀と拳。それを受ける刀。
刀と互角の強度を誇る手刀なんて現実じゃありえないだろ。と思うも本物が目の前にいてはどうしよもない。
這いあがるんだ。
抗いようもない敵を目の前にすることなんていくらでもある。
退くことのできない戦いなんていくらでもある。
それらすべてを踏み台にして、そして────
俺は、こいつを仕留めて強くなるんだ。
ぶつかり合う手刀と刀。
そして奴の体に刀がスッと入りすれ違う。
流れ出る赤い血が人狼を奮い立たせた。黄色い目は瞬時に赤くなり細かった体は筋肉で膨れ上がる。
「オォオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
逆立つ尾が針のごとく立たせ前傾姿勢を取り爆音と供に迫る人狼。
ここからが本番だった。
手刀や打拳はそのままに、より速く。より鋭さを増していった。
避けるので手一杯になり、横へ流し、後ろへ後ずさりを繰り返す。
だが、今まで速い魔物と戦ってきたおかげかすぐに目が慣れていき徐々に奴の攻撃に対応することができた。
どう探索員として強くなればいいのかわからない。
ひたすらに刀を素振りしていればいいのか。ひたすらに体を鍛え続ければいいのか。
しかし、そのどれも正解には程遠いのではないか考えてしまう。
なら強くなるのは今しかない。
そのどれでもないのなら。この強い相手を糧にして明日を生きよう。そうしたら俺は、きっと────
「せいああああああああ!!」
刀を振り下ろす。
「オォオオオ!!!」
鋼鉄のような腕がそれをはねのける。
奴の手刀を避けて、勢いを横に流してを繰り返すが体力を大きく削られる。
息が上がる。しかし、奴の息も荒い。
さっきから効いていないと思っていた攻撃が効いていたのか奴をよく見ると体を血で濡らしていた。
これは、しっかりと相手を見ていない証拠なのだろう。ずっと攻防に夢中で気が付かなかった。
それから互いに譲らない攻防を繰り返し、奴が刀を避けて腕をクロスし胸に溜めの姿勢を作った後、強い一撃を放った。
その攻撃がどういったものなのかはわからない。
ただ一瞬、ほんの一瞬、態勢を崩すのが遅ければ巻き込まれて死んでいたかもしれない。
空気を鳴らす爆音が通り過ぎるのを横目に刀をしまう。
ここしかない。
神速の一刀を。奴を斬るにはこれしかない。
蛍火がより明るく周囲を照らす。刀を通して両腕を暖かい光が包み込み力が湧きあがる。
ここだ────
「天雷一閃(てんらいいっせん)」
自然と無意識につぶやいた一言の後、雷鳴が轟く。
そして────それまでの打ち合いに終止符を打った。
ぼろりと力なく崩れる人狼。
それを見て片膝をついて倒れ込む。
強く脈打つ心臓。噴き出る汗。悲鳴をあげる筋肉。どれもが限界だった。
「か……勝った────」
荒れる息を制してようやく呟いた一言の傍らで人狼の腕が痙攣しながらこちらの足を握る。
まだ息があるのかと固まったその時。
人狼は幸せそうな顔をしていた。
「ごめ……まも、かった────」
今にも消えてしまいそうな息をしている中で人狼は聞き取れない不思議な言葉だがしっかりと意味のある言葉でつぶやいたのだ。
「どういう……」
その一言を残して人狼は、まるでゲームの死んだときのエフェクトのように黒い煙がはじけて消えて行った。
この時がこの戦いで一番声を荒げた時かもしれない。
「なんで……消えたんだ?」
わからない。
魔物は死んだら亡骸が残るはずだ。そんなのはどんな生物だってそうだ。人だって死んだら死体が残る。
それ以外に残るものなんてない。
だが、現に今の今まで死闘をした人狼は消えた。
ごめん。まもれなかった。
その言葉を残して消えてしまった。いったい何が彼を……
「彼を……か」
魔物のはずだ。俺は今まで魔物を相手にしていた。その魔物が喋った。そして消えた。
この事実はいったいなんなんだ。
疲れすぎて幻聴がきこえでも────
「はぁ、考えてもしょうがないか」
ふと心のどこかで『一旦落ち着け』と言い聞かせるように自身を制する。
死線を越えたんだ。
少しおかしいことがあってもおかしくはないだろう。たぶん。
「わんわん!!」
シロが尻尾を振って近づいてくる。ぺろぺろと容赦なく頬をなめてくるが頬を怪我したのか少しなめられたあとが痛い。
「ちょ、シロ。待て待て。なんかちょっと痛い」
「っへっへっへっへっへっへっへ!!」
「はぁ、容赦ないなお前」
一通りなめられてからシロが離れる。
横になり異界の天井を見る。
倒せたんだ。
何故か人狼は消えてなくなってしまったけれど、あれを倒せたんだ。
いろんな探索員がいる中でちょっとした一歩に過ぎないのかもしれない。だが、こういうのはやっぱり自分にとっては大きな一歩だ。
「少しは強くなれただろうか」
しんみりとしていると、さっきまで鼻息がうるさかったシロがぴたりと静かになっているのに気づく。
目の届かないところで何かしているというのは無性に気になるものだ。
もうちょっと余韻に浸っていたいのを抑えつつシロを見るとシロは地面を見たまま、その場に固まっていた。
「ん。シロどうした?」
「わん!!」
シロは何かをつたえるように答える。
その視線の先は人狼が息絶えた場所だった。
柴犬は狼と遺伝子的に近いんだったか……なにか通じる物でもあるのかと一瞬考えた。
しかし、それでもシロが地面を見続ける物だからどうしたのかとよく見ると何かが落ちていた。
「何だこれ……」
「くぅ~ん」
「ずっとこれを見てたの?」
「わん!」
それはお面だった。
「狐?……いや、狼か」
狐のような形をしていて、とても胡散臭いお面だった。
人狼の黒い色とは裏腹に白色で赤い模様と目は黒くどうやって前をみるのかわからないお面。
「お面かぁ。小さい時縁日でじいちゃんに買ってもらったっけな。なんだか懐かしい」
そんな軽い気持ちでお面を身に着けようとした時。顔に吸い込まれるようにくっついて意識を持っていかれた。
────見たこともない家。
日本の家のつくり……いや現代チックなものじゃない。
昔の、それこそ童話で出てきそうな。そんな家が点々とある場所にいる。
そういえば、前にもこのような。見たことのない何かを見せられていたような気がする。
これはいったい……
『待ってよ! キコ!』
男の子の声が聞こえる。そこには森の中を行く二人の影。
『追いつけるものなら追いついて来な!』
男の子がそう答える。ただ、その声とは対照的に男の子の姿はヒトのそれとは違っていた。
うっすらと消え行く景色の中。聞こえるは心に刺さる雑音。
『狼の子と遊ぶなんて』
『この町を背負って立つ領主の息子が魔物と……』
『魔物のなりそこないの亜人が』
聞いたことのない言葉に意味がこもり、それが何かを罵るものであることに気づくことは容易だった。
『僕は人間だ。生まれも育ちも人間のはずだ。なのになぜ。みんなと同じ姿をしていない。どうしてこんなにも醜いのか』
────君と同じ姿になりたい。
次第に黒く曇っていく心に一つの顔が笑みを浮かべているのが見える。
だが仄かな光がある一言によって差し込む。
『どんな姿だって君は友達さ。一緒に行こう!』
少年から青年へと移り変わる姿。なんとも奇妙な光景。
隣に居たい。この人の支えになりたい。守りたい。そんな感情が湧きあがる。
けれど、ここから一変した。
泣き叫ぶ人々の声が聞こえる。
『どうしてこの町がやつらに……行かなくちゃ』
そう言って出て行った青年。しかし、そのすぐ後に血に染まった。
『ごめん。みんな君にひどいことを言ったのに虫のいい話かもしれないけどお願いだ。俺の町を君の力で守ってほしい。魔物から俺を守ったように……』
暖かい心が赤く染まるのを感じる。
その衝動は止まらなかった。
永遠に続く止まらない衝動の中で横を一直線に光る何かに分断された時。
その先で友が言った。
『ずっと守ってくれてありがとう────今度は一緒に行こうな』
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