第2章 狐面の探索者

第1話 決め手は肉球

 様々な視線が突き刺さる夜を越えた翌日の夜。


 ヨゾラの連絡先、もとい異界探索員IDを登録した。


 登録すると携帯端末から国が運営する異界探索員のアプリにて連絡がとりあえるようになる。


 他にもこれでチームメンバーの募集、異界探索員ニュースを見ることができるとても便利なアプリだ。


 使用者がきっと自分じゃなかったらもっとうまく異界探索員としてしっかり探索員できただろう。


「はてさて、最初の挨拶はなにを送ったものか……」


「クゥン?」


「とぼけた顔をしているがシロ。これはとても重要なことなんだ。今まで連絡をとるための文章なんて高尚なものを送る相手がほぼ0だったコミュニケーション不足のボッチにとって初めて……しかも女の子に文章を送るとなるとそれはもはや祭典。いや神聖な儀式に近い」


「……」


 シラヌイ ハルヒト。

 27歳、そういう経験値≒0。


 物言わぬ犬に話しかけている時点で察する所があるだろう。その経験値は語るまでもなくまごうことなき事実。


 語ることができるのならばそれはもう立派な経験値だ。


 そして事実であるがゆえに迷う。


 人は失敗から経験を経て前へと進む。という立派な格言があったような、なかったようなとしてる中で失敗が無いとしたらどうだろう。


 だとしたら俺はずっと前へなんて進むことなどできるはずがない。


 生来のボッチ属性というスキルを得てしまった人間。


 この他人とすぐにコミュニケーションが取れる上に仲良くなりやすい現代社会において……


 一人であり続けることに美学を見出した男の末路が、この光景を作り出しているのだから……鼻で笑うしかない。


 美学……とりあえず鼻で笑ってしまいそうになるのをこらえて横になりながらモコモコのシロを前にだらりとiFunを手に取る。


「異界探索員になって初めて教えてもらって登録したIDだ。相手が昔の職場の後輩とはいえ、その第一歩を軽んじてはならないのだよ」


『はやく。何か送れよ』


 無言の圧力ともいうべき表情でシロはじっとこちらを見つめる。


 考えていも埒が明かないのでシロの圧力を他所に試しに送る文章を文字に起こして考えてみることにした。


「ん~、まずは『こんにちは! 久しぶりですね』……いや昨日会ってるから久しぶりではないなぁ。『やあ! まさかあんなところで会うと思わなかったよ!』……偶然を装った構文。でも文章なのに『やあ!』ってなんかなぁ……なら『こんばんは、ID登録しました』────報告? あれ、でもこれで良い気もする。昔の流れだと少し他人行儀? そもそもどんな感じでしゃべってたっけ? 『昨日は良い夜だったね。君と会えるなんてまるで夢のような出来事だったさ』……こんな台詞が言えるのならある意味ボッチになっていないだろう。なら『ちょりー』────」


『はよ。送れ!』


 瞬間、ふわふわの肉球がiFunを襲った。


 あ、やあ、やあ、やあ。目の前にございまするは、白柴の肉球でござるるるる────


「……ぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!」


 ポンっと無慈悲に鳴り響く送信音。

 

 画面に映るは試しに打ち込んでしまった台詞。


ハルヒト:ちょりー


「なんやねん!! ちょりーって……な、なんやねん!!」落ち着けとりあえず似非関西弁は置いておこう。


 いや待てよ────


 送信削除すれば……Mission Complete。


 天才だ。


 これを早く実行しない手はない。相手はまだ気づいてないはずだ今すぐに────


 しかし、早急にそれを実行するにはコミュニケーションを取らなさ過ぎたつけが回ってくる。


 それは削除方法についてネットサーフィンをしようとするほどにこのアプリについてよく知らなかったからだった。


 だが、削除する方法を探す暇もなく既読の文字が浮かび上がる。


 体感で神経の反射に近いほどの速さで着いた既読。恥ずかしさで死にたい衝動に駆られるも返答が来た。


────サユキさんがあなたを登録しました。

サユキ:ちょりー! 登録ありがとうございます!(=゚ω゚)ノ


 間違えて送ったにもかかわらずのってくれるなんてなんていい娘なのだろうか……


ハルヒト:あ、いや。違うんです。これはその

ハルヒト:うちの犬がやらかしたんです


 咄嗟に返信する。


 もはや何が違うのかもう自分でもわからないが『ちょりー』をきっかけに会話は進んで行った。


サユキ:やらかした。ですか?


ハルヒト:そうなんです!


サユキ:なるほど、そうなんですね。


ハルヒト:いやぁ、うちの犬には困ったものですよー。


サユキ:よくわかりませんが、シラヌイさんが幼気なワンちゃんに責任を擦り付けるような……そういう人だとは思いませんでした。私は悲しいです。


 これはまずい。まさかこの流れでこうなるとは……であるならば。


ハルヒト:えっと……そう! 犬が確かにやらかしたのは事実ですが実はその、そういう変わった挨拶が自分の中のマイブームでして……良ければ使ってください。


サユキ:ふむふむ。遠慮します!<(_ _*)>


 もはやどこに着地するかもわからないやり取りはバッサリと斬り捨てられ、まんまと踊らされる。


サユキ:でもシラヌイさんが、なんだか変わらない様子で安心しました。やらかした。というのはよくわかりませんが連絡、ありがとうございます! 生きててくれて……本当にほっとしました。


ハルヒト:すいません心配をおかけしました。


サユキ:本当にそうですよ……5年も連絡がつかなかったんですからね?!


ハルヒト:はい。ヨゾラさんも無事で本当によかったです。


 5年前のあの日以来、自身の当時を知る人とは、ほぼ誰とも会うことはなかった。


 半ば喪失感と悲観に暮れていた日々を送っていた自分にとって彼ら、彼女らの存在を忘れることは容易だったのかもしれない。


 生きていて本当に良かった。


 ヨゾラさんが無事ということは当時あの場所に逃げた人達はきっと無事なのだろう。


サユキ:シラヌイさんも探索員になっていたのですね。


ハルヒト:はい。ヨゾラさんも探索員になってると思ってませんでしたがどうして探索員になったのですか?


サユキ:そうですね。私はシラヌイさんが助けてくれた後バイト先も無くなって大学受験もままならないまま高校も卒業してしまってなんやかんやで異界探索員になりました。


ハルヒト:そうだったのですね。


サユキ:んー、1年待つっていう選択肢もあったのですけどね。ただ……


 5年前の出来事を思い出すように会話を続ける。


 たくさんの大切なものそうでないものの命が助からず、無慈悲に殺されていった悪夢のような日。


 そんな日を二度と繰り返したくないと彼女はその手に銀色の剣を握ったとのことだった。


 一方で刀を手に取り、戦うことのできる牙があるというのに自分の心と身かわいさに全てを放り出した。


 俺にとってこの再会は、どこか懐かしさと心のよりどころを感じるよりも後ろめたい気持ちがあった。


 そうか。


 女の子と話す。

 そういう経験が0。

 ボッチ属性。


 なんてただの言い訳だった。連絡を取り合ってもヨゾラは旭日隊二番隊に所属する忙しい身。


 そこまでの関わり合いを持つこともないだろうと安心している自分がいるのがとても情けない。


サユキ:シラヌイさんは、最近異界探索員になったのですよね?


ハルヒト:え、そうですけどそれがどうしました。


サユキ;異界探索はうまくできてますか?


ハルヒト:も、もちろんですよ! 毎日楽しく、歓喜するくらいには……


サユキ:歓喜するってなんですか(笑)

サユキ:でも、リュウさんが言ってましたよ? 刀一本、真っ裸で初級探索員なのに一人で異界に潜る危なっかしいやつがいて毎日少ない素材を採ってきては満足気に帰っていくんだって。


 なんとひどい言われようだろうか。


 大体あってるけど、その印象には大分語弊がある。


 刀一本ではなく脇差もあるし真裸じゃなくて服着てるし、少ない素材じゃ満足できてないし……


 うん。そうだ。


 そうだ一度整理してみよう。


 こう考えよう。


 ヨゾラが言う人物の印象と俺ではだいぶかけ離れているのできっと別人だと仮定すれば心のダメージは少ない。


 刀は確かに切れ味に優れるが魔物と連戦するには不向きな武器故に扱う人は少ない。


 それにそのヨゾラの言う刀を持ってて真っ裸、一人で異界に行っちゃうような人物像に当てはまる人物が必ずしも俺だけだとは限らない。


ハルヒト:えぇ、ひどい言われようですね。そんな人がいるんですね!


サユキ:シラヌイさんですよ??


 背けたい現実を平手で顔になすりつけられたような衝撃が走る。


サユキ:命は一つしかないんですから無茶しちゃだめですよ?


ハルヒト:無茶できるほどの力は自分にないのでできないですよ


サユキ:なんだか怪しいですねぇ(。-`ω-)

サユキ:そういえば私がバイトしたての頃のこと覚えてます?


ハルヒト:いや、とくに何も覚えてはないけれど


サユキ:シラヌイさん。重い荷物は女の子にゃ酷な仕事ですからね。持ってあげますよって言って私が持っていく分の荷物、腕をすっごいプルプルさせながら持って行ってくれたじゃないですか。


ハルヒト:あー。


 納入された食材を店の倉庫に並べる時だ。新人が入ってきたからなんとなく先輩風を吹かせたくて……なんか頑張ったのを覚えている。


ハルヒト:あの時は、若かった。


サユキ:若かったって、今もそんなに年は取ってないじゃないですか(笑)


ハルヒト:いやいや、27にもなればもうおじさんなんですよ。10年生きればもう仙人になれそうです。江戸時代じゃご隠居です。


サユキ:探索員になり立てなのに隠居しないでください!


ハルヒト:ご隠居じるしの紋所で魔物とかもどうにかなりませんかね?


サユキ:紋所って(笑)両脇に強い人二人いないと駄目なやつですよ!


 懐かしくもたわいもない会話が続いていく。昔を思い出すように。


 平和だったあの頃。5年以上前のあるべき日常が語られていくやり取りにすこし切なさを感じた頃だった。


サユキ:そういえばなんですけど。

サユキ:チームメンバーがまだいないんですよね?


ハルヒト:え、あ、はい。そうです……


 文面だけでも少しは取り繕いたいところではあったが焦りからか心の言葉をそのまま打ち込んでしまった。


サユキ:良ければなんですけど、私も一緒に探索してもいいですか?

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