第2話 呼び名は────
澄んだ空は今日も快晴。
午前9時前。
大きな木の下で空を見上げるとすこし寒そうにしながらじっとこちらを見つめる視線を感じる。
『今日は入らないのか?』
まるでそんな顔をしていた。
言いたいのをこらえて一つ軽い溜息をもらす。
ヨゾラへと異界探索員アプリの登録を行ったのが三日前。
そして今日、彼女がいつも同行しているチームの休日であるためその日は探索に付き合ってくれるということになったのだ。
嫌……というわけじゃない。
どちらかというと嬉しい。新しく一緒に異界へと行ってくれる探索員仲間が増えるのは願ってもないことだ。
募集しても来ない。
声をかけても誰も反応しない。
通知が来るとしたら募集要項掲載期間満了のお知らせ。
そのどれでもなく募集してすらいないのに、しかも休日にわざわざここまで来て同行してくれるのだからありがたい。むしろ疲労困憊で倒れちゃわないか心配なくらいだ。
それに旭日隊2番隊隊員という肩書を持たれるお方が御同行なさるというのだからこんな光栄なことはないだろう。
待ち合わせの時刻。
5分前に白色の車が人気も車通りもない道路から姿を現した。
車をとめられる敷地内に誘導し扉を開けて降りたのは黒いコートの下に西洋甲冑のような銀の防具を着込み腰には大きな剣を下げた女性。
ヨゾラ サユキ。
魔物と戦う上で彼女の立ち位置はオフェンサーとディフェンサーの二つの立ち位置でいることが多いと聞いている。
自分の立ち位置は一体どこなのだろうなんて半ば考えながら出迎える。
「おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」
「おはよう。いや、こちらこそよろしくお願いします」
会って早々にヨゾラは視線を落として問いかける。
「シラヌイさん……」
「はい?」
神妙な顔つきだ。とても真面目にまっすぐに異界探索員の威厳をもすら感じるほどに。
だが、その眼中にあったのはシロだとわかるのにそう時間はかからなかった。
「この子がシロちゃんですね?」
「そうですよ」
『おう、なんじゃわれ。やるのかこら?』
そんな表情でじっとヨゾラを睨みつけるシロ。
絶賛警戒モードに入っている。そんなシロに構わず我慢の限界とでも言うようにヨゾラ。
「抱いて……いいですか?!」
「あ、どーぞ。どーぞ」
一瞬だった。
抵抗する間もなくわしゃっと掴まれたシロのふわふわの毛。警戒モードでいたシロはあっという間にすくい上げられモフモフが蹂躙される。
シロはどこか遠くを見ながら一体自分に何が起きているのかが理解できないでいるようだった。
「んーー!!! もふもふぅ。めっちゃ気持ちいいい。はあああ! 柴犬の冬毛ってなんでこんなに気持ちいいのかな。ああ、もうずっと抱いていたいぃ」
無邪気な彼女のそれは普段の敬語遣いと打って変わった印象を抱くのに充分だった。
そこからしばらくして、あらかたモフり終えたヨゾラは我に返る。
「すいません。ちょっと取り乱しました……」
「あ、はい。シロも……うん。喜んでますね!」
その『ちょっと』の定義を正しく理解して実行するのだとするならば今現在シロがごろりと放心状態に近い態勢で転がってはいないだろう。
『なん……なんなんだ……』
そんな心の声が聞こえてきそうな視線でこちらを睨みつけてくるので目を逸らす。
そしてごろりと放心状態のシロのお腹をわしゃわしゃとさするヨゾラ。
「それでですが、この前話した大木の異界がこれです」
指し示す先にあるのは見慣れた大木。
「本当にすごい近所にあるんですね。警備もあのソーラーパネル一つですし……魔物とか上がってきたりとかしてないのですか?」
ソーラーパネルが警備しているのかはともかく魔物の発生源となる可能性がある異界が近所にあるのは少し怖い。
「まあ、幸い今のところそういうことはないけど少し心配ではありますね」
地上に存在する魔物の大半は異界から這い上がってきたものであるというのが今の定説。
最近は駆除も進んでいるおかげか見かける頻度や襲われる頻度は気持ち前より少なくなったようにも思える。
だが、やはりその手の事件は未だに多いのも現実だ。
それが故に大宮なんかの都市部にある異界は厳重な入り口が設けられている。
基本的にはそういう厳重な造りで入り口をふさぐ必要があるのだが如何せん日本各地に確認されている異界は数百、あるいは千以上あるのではないかと言われている。
それに全体数を把握できず今現在も増えているという話だ。
もしも大木の異界から魔物が這い上がってくるとしたらあのカマイタチが地上にあふれかえることになるのだろう。
「それでは、シラヌイさん。準備はできてますか?」
「もちろんです。ヨゾラさんこそ。荷物とかって大丈夫なんですか?」
「はい。問題ないですよ! でもその前に……」
少しだけ俯いて目を逸らしながらヨゾラ。
「その……呼び方とか。変えませんか?」
「呼び方……? あ、コードネームです?」
「いやいや、そういうのじゃなくてですよ。ほら……戦闘中ですとシラヌイさんって呼びずらいなぁって思いまして」
「ああ、確かに。文字数的にはハルヒトも変わりないですけどどうしましょ」
「う~ん、そうしたらハル……ハルさん! でどうでしょうか?」
「お、それじゃそれでお願いします」
チームで異界に行くということは互いの命を預けることになる。
呼び方もコミュニケーションをとる上で重要なものであるのだからここを意識しているのはさすがというべきだろう。
だが、呼び方一つとってもこうも感じ方が変わるものなのだろうか。
なんだか……いかにもチームで探索に行きます。というような。そんなわくわくとした感じがする。
「私はよく友達からもユキって呼ばれてるのでユキで良いですよ!」
「そ、それじゃユキ……さん? そろそろ探索始めましょうか」
ああ、今までそんな愛称で呼んでこなかったせいか親近感というのがありすぎて呼びずらい。
「は、はい!」
何故かユキは動揺したようだが思えば5年前は苗字呼びだったので違和感があるといえばかなりある。
そんなユキを他所に異界へと入ろうとした途端待ったがかかった。
「て、あのちょ、ちょっと待ってください!」
「え、あ、はい。どうしました?」
『何かあったか?』
首を傾げる柴犬と首を傾げる主人のリンクする行動を見て疑問符を頭上に表示させるような表情でヨゾラ。
「シロちゃんも……連れて行くのですか?」
「クゥ~ン」
「え? そう……ですけど、どうしました?」
「シロちゃんってシラヌイさんのペット……ですよね? あ、それとも猟犬とかですか?」
「いやペットです」
『そうだな』
シロと互いの認識に相違ないか顔を見合わせ確認する。確認がこれでとれているのかいささかよくわからないところではあるけれど不満はなさそうだ。
シロも頷いてるような表情してるからきっとそうだろう。
「そしたら異界へ連れて行くのって……危険じゃないですか?」
そういえばシロとこの大木の異界へ行った。なんて話はユキにはしていなかった。
だが、話していなくても今回は問題ないだろう。
「あ! 大丈夫ですよ。今回しっかりリード持ってきたんで、これで不自由なく登れます」
これで難なく安全に第二階層を上ることができる。
「いや、その……リードつければいいって話じゃなくてですね……シラヌイさんはシロちゃんを何度も異界に連れて行ってるんです?」
「ついこの前勝手について来ちゃうようになったんですよ。まだ2回か3回くらいですがしっかりと敵が寄ってきたりした時に知らせてくれるすごいやつなんです」
「ワン!」
まるで話してることがわかってるかのような反応で一言。
言葉を理解できるだけの知性を持ちながら話せないとは難儀な奴だ。
いや、偶然だろう。
「そう……なんですね。なんだかシロちゃんと仲が良いのも頷けます」
ヨゾラの心配を他所に無邪気にしっぽを振り振りさせながら異界へと入るシロはなんだかご機嫌だった。
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