第6話 あゝ肉よ……

 災厄が起きて海に驚異が潜むようになり海上輸送経路が絶たれ日本は石油危機に陥った。


 その影響はいたるところで猛威を振るい人々を魔物からの脅威に怯えるのと同等なまでに混乱へと陥れた。


 まずは物資の枯渇が深刻だった。


 日用雑貨から電気、ガスに至るまで……石油に支えられていたありとあらゆるものがなくなる未来が人々を恐怖のどん底へと突き落とす。


 それからスーパーや食品を扱う店から一様に食材が消え物価が急上昇した。


 人々はそれまであふれる資源に甘え傲慢にも未だ口に運ぶことのできる食品ですら溝に捨てる暴食の限りを尽くしていた生活から一変、江戸以来の飢饉に陥る。


 詳しく最後の飢饉が起きた時代は覚えてないが多分、江戸時代の時くらいからだろう。


 教養のなさというのはこういうところに響く。


 それはさておき、食の枯渇から人々を救ったのは配給と限られた石油資源で作られたレトルト食品や缶詰だった。


 石油の供給が回復するまでは配給生活で難を凌ぐ人が殆どを占めていたと聞く。


 そんな食に飢えた人々が異界へ出たらどうなるか……未知との出会いが起きたのだ。


 ある者は、その美味しさに命を落とし。ある者は、その未知なる食事への探求と欲求にまみれ異界を彷徨った。


 異界探索員。正式名称、対魔物討伐許可異界探索員にもいろいろいる。地上で魔物や異界探索員がらみの犯罪を取り締まる自警団と旭日隊。異界の深層を探索するアビスワーカー。


 そして異界に新たな食を探求する食事人だ。


 それほどまでに異界は、新たな食を生み出す未知の宝庫でもあったのだ。


 自生するチョコレート味のキノコ。


 この世の物とは思えない絶世のおいしさを誇る果実。しかしその絶世のおいしさを味わったとたんに必ず天国へと行ける折り紙付きだった。


 ガムのように消えない肉。ほっくほくに自生する豆……今まで発見された物を挙げるときりがないほどに異界には未知の食材と毒物がある。


 芳醇で異界特有の香草の香りがする臭みのない魚類系の魔物や、繊維質な触感でありながら豆腐の様に崩れる肉を持つカエル。


 魔物ですら食せてしまう異界は地上で絶たれた資源の希望でもあった。


 食事人達が今まで異界で発見しては食すという命知らずの紡いだ異界お食事物語はたくさんの人を興奮させた。


 そして今……ブロック肉を前に考え込んでいた。


 風呂から上げて一息つく白柴であったが肉を取り出した瞬間目の色を変えてこちらへとトコトコと寄ってくる。


『なんだ。この旨そうな肉は』


 そんな目をしていた。


 引き締まった肉の密度はすさまじくきめ細かい細胞に傷を入れた途端はじける肉汁がその肉の品質を物語っていた。


 食わなきゃ損する……と。


 解体して感じていた。脇差を入れる度にこびりつく油。滴る肉汁。


 硬い毛皮に覆われていたその身の内にあったのは以外にも柔らかく口に入れた瞬間溶けだしそうなほどの想像を抱かせる魅力的な肉であった。


「迷う……迷う……」


 この肉を食べるべきか食べざるべきか。見たところ寄生虫とか大丈夫そうだししっかりと火を通せば……?


 見た目だけだが……


 横で見ている白柴からツーっと垂れるよだれが輝く。


 もう我慢できないと前のめりになる白柴を片腕で制しながら唸る。


「ん~……」


 自然と手が動く。脇差でなく握っていたのは包丁だった。そして────


 皿に盛られたこんがりしたお肉は一体なんだ。俺は……一体何をしていたのか。


 だがもう遅い。


 今日俺は、異界お食事物語を紡ぐ馬鹿の一人に……いや、一人と一匹になった。


「ん?!」


「?!」


 口の中に入れたその肉は、高密度のたんぱく質と脂質の宝庫だった。一噛みすればほぐれる肉とそのうちに内包していた旨味……


 食べているのは、豚肉だ。見た目は猪とライオンをドッキングさせたような見た目の豚だ。


 異様なのはわかる。だが、あの見た目からこの味を想像できたであろうか。


「否────」


 否定する。


 ほぐれる肉と同時に隣の白柴も唸っている。


「グルルルルルルルルル!!!」


 食べながら威嚇している。今ある極上の得物を誰にも取られまいと必死にかぶりつく。


 これは……あたりだ。


 あっという間だった。塩を振れば焼くだけで手の込んだ料理へと変身し醤油を垂らせばご飯のお供。


 今はただ。おいしい肉の余韻に浸りながら満腹を堪能した。


「やっぱりさ」


「ゥ~ン?」


 白柴は、こちらの問いかけに反応してじっと見つめてくる。


「おいしいものを食べてこそ……だよな。今までただ流れる時の中でさ。もうどうにもならないとか、どうしよもないとか。ずっとそんなしょうもないことを考えていた。だけど、探索員になってまだ駆け出しだけど一人で刀一本だけで来てみてさ。つらいことはたくさんあると思う。こんな短い期間でもいろんなことがあったし、これから起こることを思うと不安で押しつぶされそうになる。だけど楽しいもんだな」


『なんだお前』


 白柴は、ただじっと見つめている。


「どこまでやれるかわからないけど……やってみるよ」


「……」


 異界お食事物語を紡いだ一人と一匹は遠くを見る。


 今白柴がどう思って何を考えてずっとここにいるのかわからない。


 あれから5年が経つ。


 実際の年齢なんてわからないが、あの時も成犬だったのを踏まえると下手したら結構なお歳なのかもしれない。


「残された時間……か」


 美味しいものを食べたからだろうか……少しだけど、なんだか一歩前進できたような気がする。

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