第3話 初仕事 1-6

 ふらふらと揺れ動く視界。


 大地震があった日の雨の匂いが強まる午後のことだった。


 鋭く獲物を射殺すような目と狼に似た顔つきで赤黒い体毛、白く立派なたてがみ。背にはルビー色の大きな鉱石が刺さり脈打つように微かな光を放つ魔物がいた。


 手には家の神社に飾られていた刀が一本。満身創痍になりながらもその大きな獣の前に立ち上がる。


 背には家族の乗った自衛隊の避難車。俺を助けようとした隊員は無残にも爪の餌食になり倒れた。


 はちきれんばかりの鼓動。


 気が遠くなりそうなほどの緊張感が体を強張らせ頼りない震える両の手に握られた刀を構える。


 そして目の前の大きな獣へと立ち向かった。


 守れなかった────

 大蜘蛛の前で誰かが戦っている。


 一人、また一人と倒れた。


 この職を選んだのは生活を凌ぐためか。本当の所そうじゃないってことは自分がわかっている。


 あの時、家族を守るためにあの魔物と戦った。


 結果は、なんの取り柄もなくなんの役にも立たなかった自分が残り、それ以外の人が死ぬという悲惨な結果だけだった。


 絶対に負けない。負けられない。負けたくない。


 大切なものを必ず守ると決意して力をつけようとしたこの5年。ただ無気力に──ただ何かを忘れたいがために過ごした5年間。


 大切なものすらもうどこにもないというのに────


 目の前の誰か、その誰かは……きっと誰かの大切な人だ。その誰かを自分のような悲しみを味あわせたくない。


────呼吸を整えろ。


 足に力を入れろ。たとえ勝てなくても。あと一歩及ばなくても。まったく歯が立たなくても戦うんだ。


 自分の心を守るために……


 前傾姿勢を取る。

 地面を強く蹴り、凸凹した道を正確に踏んで走り抜ける。


 大蜘蛛がナオトの剣を払いのけ最後の一撃を加えようとした時、刀が火花を散らした。


 たまらず声にならない大声で張り上げた。

 間一髪、間に入りナオトを後ろへと押しやり大蜘蛛と対峙する。


「シラヌイ……さん?」


 大蜘蛛の右足を弾いて左足が来る。そうだ。この軌跡だ。タイミングは同じ……ならばこの前を奴の左前足が通るはずだ。


 後ろへと足を運び。上段に刀を構え息を吸い止めた。その刹那、振り下ろした刀は大蜘蛛の左前足の節に綺麗に入る。


 一瞬世界が止まる。

 そして、動き出した時緑色の体液を著しくまき散らし仰け反る大蜘蛛の姿。


「今です!! 今のうちに早く、みんなを連れて逃げてください!!」


「そ、それだとあなたは!!」


「大丈夫です。大丈夫だから……早く!」


 大丈夫だ。

 勝算なんてものはない。これは他人を守る。その他人を大切に思う人を悲しませたくないなんていうエゴだ。


 勝算なんてない。


 大丈夫だ。

────これなら誰も悲しまない。


「おい……行くぞ。気に食わねぇが伸びてるやつも回収してさっさと逃げるしかねぇ……」


「だけど、シラヌイさんが犠牲に!」


「んなこたぁ、わかってんだよ。だから……防具無しの覚悟をないがしろにするわけにはいかねぇだろ」


 大蜘蛛は斬られた左前足をしゃぶりつくようになめる。

 そして緑色に濡れた体を赤くたぎらせ鳴き叫んだ。


「ぐぉあああああああああああああああああああああ!!!」


 とてつもない音量に耳をやられそうになる。蜘蛛のどこにそんな発声器官があるのか問いただしたい。


 それから他のチームが向かう場所と反対方向へと走り出した。


 大蜘蛛はこちらへと付いてくる。成功だ。


「絶対、生きて帰って来いよ!!!」


 そんな言葉が聞こえた気がする。怒り狂った突進攻撃が迫る背にカイトとキョウタは倒れたナコとナオトを抱えて脱出していく。


 大蜘蛛が鋼の杭にも似た前足で地面を貫く足音が反響し怒り狂った突きが襲い来る。


 以前にも増してスピードが上がった。


 威力も向上し外れた先にある岩を軽く抉るのを横目に避けていく。


 生きた心地がしない。


 くらえば即死、やられたとしても助けはこない。彼らが助けを呼んできたとしても、その時……きっと自分は死んでいるだろう。


 勢いの籠った突きは刀で防ぐ度、腕をしびれさせる。


 だが……幸いなことに一人で戦うことには慣れている。


 5年……いやそれ以上自分はいつも一人でいた。


 常に外へ出れば一人だ。


 めぐり合わせが悪いのか自分の性格が悪いのか、ずっと家族以外の誰かが一緒にいてくれるなんてことはなかった。


 だから、この状況は自分にとっては好機……なんだと思う。


 現に他の人がいた時は何をしていいのか何をするべきなのか全く分からなかったけれど────今なら見える。


 立ち向かう道筋が。


「ただでは死なないぞ」


 その言葉を発した時、微かに自分の中で燃える物を感じた。


 一人では決してかなわない敵。分不相応にもその壁に燃える自分。一人で戦わなくてはならず、やられてしまったとしても助けなんかこない非情な現実。


 自分でもおかしいと思う。

 このどうしよもない現実を前に心が躍ってしまっているのだから。


 奴の重い足先の突きを捉え避ける。


 目が慣れてきた。


 後退する足場を横目で確認する。地形を味方につけろ。覚えられないって理由でおわらせるな。


 微かなくぼみや滑る場所は頭に入れろ。


 そして姑息に勝つ方法を、もしくは逃げる手段を探すんだ。有効な手でも優れた戦術でも洗練された奇策でなくてもいい。


 結果がすべてだ。


 アスリートでもない凡人の体力はもう限界に近い。徐々にやつの攻撃がかすめたところから血は滲み徐々に自分の中で生まれつつある焦りと恐怖が心を乱す。


 だが、最初にしびれを切らしたのは大蜘蛛だった。


 奴は1回転程大きく旋回してだれも寄せ付けない空間を作る。


 そして怒りのまま大きく飛び上がった。


 高い。洞窟の天井は、暗くてよく見えないほどに高い。奴も暗闇に溶けていきそうなほど高く飛び上がる。


 とびあがって勢いのまま押しつぶすつもりなのだろうが大振りな攻撃にあたるほど動きは鈍くない。


 着地と同時に地面が揺れる。

 そして、ゆっくりと体を持ち上げようとした時、隙を見た。


 ここだ。


 やつの背へと一心不乱に飛びつく。炎で焦げた甲殻がそこにあり他よりも柔らかかった。


 そこへと刀を突き立てる。


 大蜘蛛は叫ぶ。


 背に飛びついた異物を振り払うために動き回る。飛び上がり背に着いたものを押しつぶすため仰向けになろうと飛んだ。


 つぶされまいと刀を引き抜き大蜘蛛から降りる。


 そして飛び上がった大蜘蛛は地面へとたたきつけられた。その隙を逃さず足を一本溜めを入れた上段斬りで斬り落とした。


 見事に柔らかそうな節の部分で切断し、さっきまで歯が立たなかった相手と対等に戦えてるかのような錯覚に陥る。


 驕(おご)るな。自分の矮小な力で敵を甘く見るなと、そう言い聞かせたにも関わらず欲が出てしまう。


 もう一本の足が無防備であったところを切り落とそうとした時、横から迫っていた大蜘蛛の足を食らってしまう。


 固定されていた内臓が口から噴き出るような感覚だった。意識も持っていかれるくらいの衝撃を耐える。


 何度も固い地面に体を打ちつけ転がる。


 腕が、足が、肩が、首が痛い。だが……立たなくてはならない。


 ここで寝転がって気を失ってしまったらそこで死んでしまう。


 大蜘蛛を見るとやつも切り落とされた2本の足以外でなんとか歩いてくるのが見えた。


 息を上げよろよろと立ち上がる一人と斬られたところから緑色の体液を大量に流す一匹。


 怒りに任せエネルギーを使い果たしそれでもハルヒトを倒せずにいる大蜘蛛は尚も苛立っているように見える。


 けれど先ほどまでの暴れっぷりはもうなかった。


 静かにお蜘蛛を見つめる。大蜘蛛もハルヒトを見つめた。


 こういうのが本当に嫌いだ。


 奴も……奴らも生きているんだって思い知らされる。

 普段何気なく食べる野菜、果物、魚、肉……当たり前だが、それらはすべて命あるものだった。


 大量生産の時代で食べ物が育てられ狩られてから処理された状態で手元に届く。


 便利さのおかげか、その命の重みを忘れがちになる。


 ここで魔物も痛み苦しみ生きているなんて命の重みを感じてもなお刀を手にとって奴と戦わなくちゃいけない。


 そして命を賭けてる状況にも関わらず、その命を奪うという行為に躊躇してる自分がいる。


 魔物だって生きてるってわかった途端に……

 邪悪な存在じゃなかったって知った途端に……


 奴は生きるために仕方なく探索員を殺そうしてくる。けれど俺たちも日銭を稼ぐため、今日を生きるため、誰かを守るために魔物を殺す。


 どっちも変わらない。


 だから互いに精一杯力を出し尽くして明日を生きる。


 気を強く持て────限りある命を燃やせ。


 圧倒的に不利だったんだととしてもそこで投げてしまっては目の前の生きてるやつに刃を向ける資格なんて無かったんだ。


 最期だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る