ズーロランドにて (5)

製造番号:21610577-103E-4B17-946E-B0254C4AE8ED

個体識別記号:LDKS63M3E

システムID:00816375-10563E-4B17θシータ-946E


これらの数字と文字の集合体が、彼につけられた、いわば名前のようなものだ。


一般にはドローン、あるいは単にバグなどとも呼ばれているが、それらはすべて総称ないし一般名詞に過ぎず、彼らを個体として認識していない。もちろん、意思なき彼自身がそのことを非礼と感じる方法すべはないが、彼に対する人間どもの認識の欠落は甚だしいものがあると言わざるを得ない。


彼とその仲間は、ただ中央指令機構セントラルに無意識に従うだけのうつろな端末デヴァイスではなく、それぞれ自立した意志を持ち、自律的な判断のできる固有の「知性」を持っているのである。また彼らは相互に支援し合うだけではなく、必要とあらば仲間ユニットの目的達成のため躊躇ちゅうちょなく自己犠牲を払う用意もある。


彼にはこれ以外にも、UNIT437K006という戦闘ユニットコードがつけられているが、もちろん、彼自身がこのことを明確に認知している訳ではない。そのコードは、より上層の意思決定者が彼らユニットをすべてプロットして戦略状況をビジュアライズせんとするときでなければ、使われることもない。


いま彼は、ズーロランドの水の干上がった巨大な川床を飛んでいる。今は乾季だ。とはいえ雨季であっても、この川床はわずかに周囲が湿る程度の茶色に汚濁した水しか流れてはこないが。いずれにせよ、腐食や酸化の原因となるH2Oの枯渇は、彼にとっては好ましい状態であるといえた。彼はチタン製の回転翼を廻して軽い乾いた空気を攪拌かくはんしながら快調に飛び続けた。飛びながら、彼と、彼の仲間たちが追いかけている目標ターゲットの動きを予測した。


目標の動きは意想外で、常にどこか妙だった。まるで、こちらの動きを読み、こちらの考えを先回りするかのようであった。そのため次は、少しやり方を変えてみなければならないかもしれない。中途まで、かれらの思う通りにユニットを動かし、必要であれば味方の数機を犠牲に供し・・・これは、彼の酷薄さや自己中心的な性質を示す思考プロセスではない。もし必要なら彼は、喜んで我が身を自己犠牲として捧げることであろう。


しかし今、彼はユニットを離れ仲間の遥か遠くを単機で飛行している。彼の存在は敵に無視され、その動きは一切かれらの視界のなかに把握されていない。よって、引導いんどうを渡すのは彼自身だ。そのためには、すでに動きを察知されている仲間たちは囮だ。彼は、通信リンクを通して仲間たちとごくわずかな時間差で意志を疎通させた。


仲間には、目標ターゲットの期待をなぞるように動いてもらう。そして自分は・・・自分だけは、彼らの意表をいて動く。さすれば人間どもフレッシュの抵抗意志を、今度こそ根底から破砕することができるであろう。彼は・・・個体識別番号LDKS63M3Eは、そのシリコンやジルコニウムその他各種の希少金属レア・メタルによって構成された頭脳を駆使して、こう沈思ディープ・シンキングした。





遥か太古の造山活動において、地下のマグマから離れた熱水ねっすいが、周囲の岩礫がんれきを溶かしながらこれと合わさり、ゆっくりと地表面に浮いてきて、そのまま何万年もかけて固まった。二酸化炭素でいっぱいの大気に冷やされ、酸性のおそろしい雨に打たれて削られ鍛えられたそれらは、いつしか岩石と重金属の合わさった接触変成岩スカルンとなり、その後何億年ものあいだ打ち続いた地殻の変動によって割れ、こそげ落ちて、いまは大きく空中に張り出したオーバー・ハングとなっている。


テーブル状に張り出したそれらは、北米大陸のコロラド大峡谷グランド・キャニオンと並び称され、かつて世界中に喧伝けんでんされたズーロランドの奇観きかんを構成する重要な要素であるが、そのさまが絵葉書などになって売られていたのは、ここがまだ平和であった数十年も昔の話である。


重要なのは、川床を低く飛び、その張り出しの下をうように接近すれば、回転翼のモーター音は、オーバー・ハングの主要な組成要素である鉛質なまりしつ重金属ヘヴィ・メタル鉱物の緊密な分子組成に跳ね返され、その上には直接伝わらないということである。その分、弾き返された音は峡谷中に反響し、川床をはしり、わずかに残る水面を震わせ、あちこち跳ね廻って最終的には数方向から複合音としてほぼ同時にオーバー・ハングの上にも届くが、それには数秒の時間差が生じる。すなわち、テーブルの上に乗っている目標ターゲット可聴帯域かちょうたいいきに音が届くころには、その体感よりも数秒早く、物理的実体としての「彼」が相手の至近距離に接触アプローチできている、ということである。


この数秒の認知・判断の遅れは、生身の肉体フレッシュにとっては、致命傷となる。


その多くを単なる眼球の水晶体と網膜を通した動体視力に依存する、肉体フレッシュどもの原始的な認識プロセスでは、そこから漏れたインプットの遅れが過剰な緊張状態を産み出す。その緊張は、本来は全身に対する警報の役割を負ったものであるが、その副産物として、瞬間、全身の筋肉の反応に影響を与え、動作を固くし反応を遅らせてしまうのである。この非合理な肉体フレッシュの制約条件は、少なくとも、戦闘におけるこちら側の絶対的な優越点だ。


冷徹な計算で、ここまでの流れを想定遷移シミュレートした彼は、通信リンクを通じ、囮の集団飛行を続ける仲間たちへ、頭上に立つ敵の状況を照会した。そして、その報告レスポンスを待って、タイミングを計り、一気にオーバー・ハングの上まで垂直上昇した。

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