第45話 違和感の正体
公園の南口前にある交番で、俺は警察から簡単な事情聴取を受けていた。
隣には愛奈萌がいる。
警察からは、パーカー男との面識や、襲われたときの状況を事細かに聞かれた。
「そう、ですね……」
俺は勝手に警察の質問に答えてくれる口に感謝しつつ、頭の中では知佳のことをずっと考えていた。
愛奈萌も心ここにあらず状態で警察の質問に答えているように見えた。
「ごめんね、いろいろと聞いちゃって。家まで送ろうか?」
事情聴取が終わると、警官はそれまでの険しかった表情を緩め、一人の優しい大人に戻った。
「あ、俺は大丈夫です」
「私も、平気です」
ただ、俺も愛奈萌も警官の優しさを受け取りはしなかった。
交番の時計を見ると、午後七時過ぎ。
ものすごく長いなぁと思っていたが、事情聴取は二十分ほどしか行われていなかった。
簡単な事件――なにも起こっていないから事件でもないのか――だからだろうか。
交番を二人で出て、二人ともその場で立ち尽くす。
太陽はもう地球の裏側を照らしているらしく、あたりはすっかり暗くなっている。
「……ねぇ、辰馬」
声をかけられたので愛奈萌の方を向くと、愛奈萌はまっすぐ前を向いていた。彼女はどうやら向かいの通りにある自動販売機を見ているようだ。
「なんだよ?」
俺が尋ね返すと、愛奈萌はようやくこちらに顔を向けて、嘲るように笑った。
「ちょっと話さない?」
なにを、とは聞かずに俺はうなずいた。交番の入り口わきに置いていた知佳の車椅子を回収し、それを押しながら歩く。車椅子は残酷なほど軽かった。主である知佳が乗っていないのだから。女の子に対してこんなこと思ったら失礼なのかな? ははは、わかんないよね。だって俺、童貞だから。
二人で無言のまま、どこに向かうでもなく歩き続ける。
気が付けば、線路沿いを歩いていた。
金網にまとわりつくようにして生えている背の高い草が、風でそよそよと揺れていた。
「ってかさ」
この重苦しい空白を埋めた方がいいような気がして、俺は口を開いた。そうしないといますぐ感情のままに草をむしってしまいそうだった。
「俺、知佳にフラれたんだから、いつもみたいにBLの布教しろよ。絶好のチャンスだろ」
「あ、すっかり忘れてた。ごめん」
「謝ることじゃないけど」
「そこは謝らせてほしいかな。……でも、フラれたんだね。驚きだよ」
愛奈萌がふいに足を止める。
それと同時に、カンカンカンカンと、遠くから踏切の音が聞こえてきた。
「知佳、辰馬のこと本当に好きだと思ってたから。なんでフラれたのか私もよくわかんないや」
その言葉を聞きながら俺は四歩進み、「あぁぁ」と小さくうなりながら立ち止まる。
愛奈萌のその言葉に対して怒りも悲しみも感じなかった。
そんな慰めにいちいち心を乱していてもしょうがないしね。
「つまり、そんなことなかったってことだな」
苦笑いを浮かべながら振り返ると、愛奈萌も口元だけで笑っていた。
「そういう、ことだよね。……でもあの日、二人が付き合ってるふりをしてるって教えてくれたとき、辰馬、帰り際にトイレ行ったじゃん」
そういえば、そんなことあったなぁ。
「そのときに、私、知佳に聞いたんだよね。『辰馬のこと本当に好きでしょ?』って。知佳は明言しなかったけど、否定もしなかったから、図星なんだなって勝手に解釈してた」
あのときの知佳、顔もめっちゃ赤くしててすごい可愛かった、と愛奈萌は小さく笑いながら付け加える。
「その表情、見たかったなぁ」
俺は根性で笑顔を浮かべ続けた。だったらどうして……と思う気持ちもなくはないが、フラれたという事実がある以上どうしようもない。知佳が俺たちの前から逃げ出した理由だって全くわからない。
「うん。だから私は百パー成功すると思ってたのに、フラれちゃったんだ」
「すごい気を遣われた感じでっていうプレゼントつきでな」
「そんな辰馬に失恋を吹っ切るための、いい趣味を紹介してあげよう」
「だからBLに興味はないって」
「言ったな? BLは世界を救う魔法、宇宙、生命の神秘なんだぞ」
「いまどきどの新興宗教でもそんな言葉で人を勧誘しねぇぞ」
「聞き捨てならないな! BLが時代遅れだって?」
「そもそもBLが時代の最先端だったことないから」
そこまで二人で言い合って、二人で笑い合って、同時に笑顔が消えた。空元気もどうやらここまでのようだ。いや、この空元気は空元気四天王の中でも最弱、すぐに第二第三の空元気が――
「知佳、さっき歩いた、よね」
でることはなかった。
愛奈萌は胸に拳を押し当てて、わずかに眉をひそめる。
「ああ。立ち上がって、助けて、走って、俺たちの前から逃げた。泣きながら」
俺たちの横を、轟音とともに電車が通過した。突風が俺たちの髪を勢いよくどこかへ攫おうとする。その風が消えると、浮き上がっていた髪は何事もなかったかのように元の場所に戻ってきた。知佳は俺たちの隣に戻ってこない。
「私さ、わかんないよ。あんなに苦しそうな顔して、なんで私たちから逃げるの? 歩けたんだよ? 知佳のことも、自分の気持ちもほんとわかんない。嬉しいのに、ぜんっぜん嬉しくなんかない」
愛奈萌の目から涙が一粒こぼれる。
俺は下唇を噛んだ。
「知佳……ってさ」
一度言葉を止めたのは、ここでそれを言うべきなのかどうか迷ったから。知佳の家に行ったときに生まれたほんのちょっとの違和感が、この現状を突きつけられると、明確な証拠として心に浮かび上がってくる。
俺は愛奈萌から目を逸らし、車椅子に視線を落としてから言った。
「本当は歩けないんじゃなくて、歩かないだったんじゃないかな?」
足が動かないにもかかわらずどうやって知佳は、俺がトイレに行った一分ほどの間で服を脱いだのだろう。しかも脱いだ服はベッドの上に綺麗にたたまれて置かれていた。
足なんて、動かなければただ重いだけの肉のかたまりだというのに。
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