第40話 映画館にて

 俺たちは、当初の予定通り映画を見ることにした。


 愛奈萌が事前に予約しておいてくれた座席にみんなで向かう。その席は、車椅子使用者専用の区画とその隣の座席二つだった。


 知佳、俺、愛奈萌の順に座る。


「ん? どうした?」


 隣に座る知佳が妙にそわそわとしているように見えたのでそう尋ねると、知佳はくしゃりとはにかんだ。


「映画館なんて久しぶりすぎて、なんだか落ち着かなくて」

「実は俺もそうなんだ」


 最後に来たのがいつだったのかすら覚えていない。そんな童貞男がこうして女の子二人と映画館に来られるんだから、人生ってわかんないもんだよねぇ。


「ってか映画館って車椅子の人専用のスペースもあるんだな。知らなかった」

「私も。もう来ることなんてないって思ってたけど、これならいつでも来られるね」

「そうだな。また来ような」


 いつでも来られるね。


 その言葉がすごく嬉しかった。


 少なくとも知佳が、また一緒に出かけたいと思ってくれていることがわかったから。


「でも……本当にありがとう。二人とも」

「どうしたんだよ、急に?」


 唐突に知佳から感謝され、太ももの辺りがむず痒くなって足を組む。


 愛奈萌もキョトンとした顔で知佳の方を見ていた。


「なんていうかね、私って、歩けなくなってからあんまり外に出ることなくて。だから辰馬と愛奈萌に出会えてよかった。ほんと、この足のおかげだよ」


 恥ずかしそうに苦笑しながら自分の足をさする知佳。


 何度も見た光景だ。


 足をさするのは知佳の癖なのだろう。


 という言葉を自分に言い聞かせることで、歩けないことを前向きにとらえようとすることも。


「俺も知佳とかかわれて毎日が楽しい。こちらこそ本当にありがとう」

「私だって。これからもじゃんじゃん連れ出すからね」

「うん。車椅子だけど、いっぱい連れ出して」


 知佳がうなずいた瞬間、館内が暗くなった。観客たちが一瞬ざわついてから静かになる。知佳がスクリーンに目を向けたその瞬間、愛奈萌が俺の耳元でささやいた。


「映画のよきところで手くらい握っちゃえよ」


 暖かな吐息が耳に当たってくすぐったい。愛奈萌の方を見ると、彼女はすでにポップコーンを食べながら光り始めたスクリーンを見つめていた。


 手をつなぐ、か。


 愛奈萌の吐息が当たっていた左耳も熱くなっているが、それ以上に知佳に面している右半身の方が熱くなっている。


 よきところ、というのは映画のクライマックスなんだろう。


 俺は、じっとりと滲みだしていた手汗をチノパンにこすりつけた。


 映画は高校生の男女の純愛ストーリーだった。


 彼らはバスケ部のエースとマネージャーという関係。互いに好き同士だが、あと一歩が踏み出せず、告白することができないでいた。


 過ぎていく時間と、甘酸っぱい青春と、二人きりの登下校。


 告白して、はっきりと言葉にして、それでこの心地よい関係性が失われてしまう可能性があるならば、この時間がずっと続く方がいい。


 二人ともが、そんなことを考え始めた矢先。


 ヒロインが余命宣告を受ける。


 そこからは怒涛の展開が繰り広げられ、物語の終盤で、ついに主人公が病院のベッドで弱っていくヒロインに告白する覚悟を決める。


 そしていまは、そんな主人公がわき目も振らずに病院に向かって全力で走っているところだ。


 ……ああ、クライマックスがやってきたぞ!


 俺は口の中にたまった唾をごくりとんで、知佳を見た。知佳は目に涙を浮かべながらスクリーンを見つめている。意外と近い距離にいるんだなと思った。彼女の手は太ももの上。手を伸ばせば容易に届く。


 ――だけど、俺は手を伸ばさなかった。


 集中している彼女の邪魔をするのはよくないと思ったってのを理由にしといてくれ。


 ったく、昨日の覚悟はどこに行ったんだ。


 いざ知佳を目の前にすると、どうしても緊張が勝ってしまう。


 こんなんで俺は本当に告白できるのか?


 断られたらどうしようという思いが勇気にふたをする。


 やってみなきゃわからないだろ。


 やるって決めただろ俺!


 そんなことを考えている間に、エンドロールが流れ始めてしまった。


 俺は映画の最後でヒロインを抱きしめられた主人公が、羨ましくてたまらなかった。

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