恋愛モノ習作(2)
周囲からはギャラリー達によるゴブリンへの声援。
そして目の前には喉を剣で貫かれてなお死なぬゴブリン。
カーネリアの心の中は動揺に支配されたが、ちょっとの間目をつぶり、深く溜息をついた。
そして。
「分かったわ……。どうなっても知らないからね!」
カーネリアはこの騒ぎの責任を取るつもりで、両腕をわずかに広げ、手先に魔力を集中させた。両手が真っ白な閃光を放つ。
光に照らされたゴブリンの顔。苦悶の表情。こちらへ訴えかけるかのような悲し気な目からは相も変わらず涙が流れ落ちる。
「そ、そんな目したって駄目よ! だからついてこなければよかったのに。悪いけど、勘違いしたアンタが悪いのよ!」
所詮モンスターはモンスター。カーネリアは自分にそう言い聞かせた。
そして足を広げて構えながら両腕を交差し、自分の魔力の四分の一程度を放出する。
すると、ゴブリンの足元から凄まじい火柱が噴出し、彼の姿を赤く隠す。
「ギャアアアー!」
紅蓮の炎からゴブリンの悲鳴が上がる。
「なっ!?」
ゴブリンを後ろから刺したままだったディクフォールは、突如発生した激しい火柱に反応して咄嗟に腕で顔を覆い、慌てて後ずさりした。
ゴブリンの喉から白銀の刀身が引き抜かれる。
周囲から起こるざわめき。
「ギャアアアー! 僕ゴブリン! 僕熱い! 僕熱いゴブリンだよおおおあああっ!」
ゴブリンは燃え盛りながら激しいステップでファイヤーダンスを踊り、大の字になってジャンプし、背後のディクフォールに飛びかかった。
「何ッ!?」
ディクフォールは燃えるゴブリンにがっしりと抱きつかれた。
「ギャアアアー!」
火が燃え移りディクフォールが燃える。
緊急事態。周囲のざわめきが突如として数倍に大きくなる。
「そんな!?」
うろたえるカーネリア。
彼女は使える魔法に偏りがあり、炎属性の攻撃魔法しか使用できないのだ。よって、ディクフォールの火を消す術がない。
「ギャアアアー!」
ディクフォールは全身火だるまとなり、へばりつくゴブリンを蹴り飛ばし地面を転げまわる。
野次馬の一人、中核従者リポビッター――ニワトリの顔を持つ鳥人間の戦士――はその光景を見て顔を引きつらせた。
「ディクフォール! い、いかん! アーリナミ! オーロナミ! ユルゲン! リイゲン! 小便だ! 今すぐ小便をかけて消せ!」
「了解しました!」
リポビッターが即座に指示を出すと、野次馬の中から平従者のアーリナミ、オーロナミ、ユルゲン、リイゲンの四名が全速力で駆けつた。
「ギャアアアー!」
四人は燃えるディクフォールの前後左右を囲み、同時に一気にズボンを下ろして尻丸出しの状態になる。
「ギャアアアー!」
そして、四方からレモン色の小便を排出し消火を試みる。
「ギャアアアー!」
「うおおおおおっ! この俺の膀胱に封じられし小便! 今こそその全てを解き放ってくれるわ!」
ユルゲンが力む。
「いっぺんに全部出せ! いっぺんに全部出すんだ!」
アーリナミも力む。
「ギャアアアー!」
小便を浴びながら燃えるディクフォール。悲痛な絶叫が響く。
「何やってんだお前らーっ! チンコを勃起させろ! 早くチンコを勃起させて水圧を上げろーっ!」
リポビッターが顔を茹でダコのように真っ赤にして、小便を出す四人に甲高く怒鳴りつける。
「了解しました! これよりチンコを勃起させ水圧を上げます!」
オーロナミが返答した。
「分かりました! チンコの勃起角度を仰角45度に維持することによって自分のおしっこは最大射程となりその放物線は最も美しき軌跡を描きます!」
リイゲンが言う。
「ば、馬鹿な……。そんなことで消えるわけないわ……」
カーネリアは失望しながらつぶやいた。おしっこ程度でカーネリアが本気で放った上級炎属性魔法を鎮火させることなどできようはずがない。
文字通り焼け石に水。四人の男達による懸命の放尿をもってしても、ディクフォールを取り巻く紅蓮の業火は一向に弱まる気配がない。
「ギャアアアー!」
「ギャアアアー! シコシコ! シコシコ!」
燃えるディクフォールとゴブリン。道の芝生にも火が燃え移る。
「デカビッター! チオビッター! ゴブリンだ! ゴブリンも助けるんだ!」
「了解しました!」
リポビッターの呼びかけに応じて、今度は野次馬の中から平従者デカビッターとチオビッターが飛び出してきた。
そして二人は燃えるゴブリンの側に駆けつけ左右から水属性魔法を放射。デカビッターとチオビッターが持つ杖から大量の水流が放出され、ゴブリンの火は一瞬にして消し止められた。
「どけどけー!」
仰天している野次馬達を掻き分けて、更に人影が飛び出してきた。平従者のタフマン、ショコラ、ゼナーである。彼らは水で満たされたバケツをたくさん積んだ荷車をごろごろと引いてきたのだ。
「通るぞー! 道を開けろ!」
タフマンが怒鳴ると、前を塞いでいた見物人達は慌てて左右に散り、荷車が通れるだけの幅を作り出す。
「急げ!」
ゼナーが言いながら荷車を押しこむ。タフマンとショコラも、それこそ大慌てでディクフォールの元へ荷車を引く。
「テメーら邪魔だーっ!」
ショコラが放尿中の四人に向かって怒鳴った。
それを聞いたアーリナミ、オーロナミ、ユルゲン、リイゲンは小便を出したまま慌ててどこうとするが、生憎ズボンを下ろしていたため、足をもつらせてしまい、四人とも周囲に小便を拡散しながら地面に転んだ。
この時点でディクフォールは悲鳴を上げず、ほとんど動かなくなっていたように見えた。
「シコシコ! シコシコ! 僕優しくっていいゴブリン!」
ゴブリンは悪鬼羅刹のような憎しみに満ち溢れた憤怒の表情で、そんなディクフォールに石をいくつも投げつけていた。全身に火傷を負っているが、妙に元気である。
ほぼ同時に、タフマン、ショコラ、ゼナーが荷車のバケツを手に取り、尻を丸出しにして転んでいる四人も巻き添えにして、次々にディクフォールへ水をぶっかけた。
全身にバケツの水をかぶったディクフォールの火はようやく消し止められる。
「ディクフォール殿大丈夫ですか!」
「ディクフォール殿! ディクフォール殿!」
タフマン、ショコラ、ゼナーは既に火が消えているにも関わらず、更にバケツを手に取り、駄目押しで水をかけ続ける。三人とも必死そのものの表情だ。
「ディクフォール殿ーっ!」
デカビッターとチオビッターが水の魔法を唱え、それぞれの持つ杖から激しい水流が放射され、ディクフォールに振りかかる。
「くっそーっ! こうなったら俺の水魔法で!」
ズボンを上げて立ち上がったリイゲンが右手を突き出して水魔法を詠唱。ディクフォールに大量の水流が振りかかる。
地面はあっという間に大雨が降った後のような水浸しになった。
「もういい! もう十分だ! 早くディクフォールを医務室へ運べ!」
リポビッターが命令すると、タフマンとショコラがすぐさま真っ黒焦げになったディクフォールを持ち上げる。同時にゼナーは荷車の上にある余ったバケツを次々と投げ捨てディクフォールが寝るスペースを確保。彼らは急いでディクフォールを荷車に乗せた。
「おい邪魔だっつってんだろ! 邪魔! どけ!」
「通れねえんだよ! ブチ殺すぞクソが!」
ショコラとゼナーが手で合図しながら密集する野次馬達に道を開けさせ、医務室の方へ荷車を押していった。
「シコシコ! シコシコ! 僕ゴブリン!」
ゴブリンの全身の火傷はいつの間にか治っており、何でもない灰色の肌がその身を覆っていた。
「カーネリア! お前がこんなゴブリンを連れてこなきゃこんな騒ぎにならなかったんだ! 責任取れ!」
リポビッターが今度はカーネリアに向かって怒鳴る。
「俺もそう思います! カーネリア殿が悪いです!」
アーリナミがパンツも履かずフルチンでリポビッターに追随する。
「全く酷い始末だ!」
ユルゲンも同じく。
「くっ……」
カーネリアは、周囲の野次馬達の冷たい視線を感じた。なぜこんなことになってしまったのか。だからどうなっても知らないと言ったのに。
「シコシコ、シコシコ……」
一歩一歩、カーネリアに近づいてくる不死身のゴブリン。
カーネリアは再び炎の魔法で攻撃しようと魔力を両手に集中させる。
「姐さん! 火は駄目ですぜ」
いつの間にかカーネリアの横に来ていたトンナラスニが、カーネリアの腕をつかんだ。
確かに、またゴブリンが火だるまになって暴れだしたら他の者も巻き込みかねない。ディクフォールの二の舞だ。
「で、でも……」
カーネリアは切っても突いても死なないこの得体の知れない存在、しかも自分に対して執着心を持っているらしいこの存在に確かな恐怖心を持っていた。
そのとき、トンナラスニがカーネリアの前に回り、ゴブリンの前に立ち塞がった。
「アンタ、いくら何でもしつこいぞ。姐さん嫌がってんのが分かんねえのか!」
トンナラスニの言葉を聞いたゴブリンの足が止まる。
「トンナラスニ君……」
中肉中背のトンナラスニの背中が、カーネリアには大きく頼もしく見えた。
「トンナラスニ、お前……」
デカビッターが固唾を飲んだ。
「不死身だ。やめとけ」
チオビッターが呼びかけるが、トンナラスニは額のつながり眉毛をキッとV字にしたまま一歩も退かない構えだ。
アーリナミ、オーロナミ、ユルゲン、リイゲン、その他大勢の野次馬達も様子を見守る。
そこから、トンナラスニとゴブリンの沈黙の睨み合いが続いた。
リポビッターはまるでカーネリアとトンナラスニを値踏みするかのように目を細めてクチバシを固く閉じ、じっと様子を見つめている。頭の真っ赤なトサカが音もなくなびいていた。
ゴブリンは、悲しそうな、仲間になりたそうな目でおずおずとこちらを見ている。
両者の睨み合いがしばし続いた後、ゴブリンはカーネリア達に背を向けた。
そして、今までカーネリア達が歩いてきた道を引き返し始めたのだった。
カーネリアは不安な気持ちでその様子を見つめる。何か声をかけようと思ってもかけられない。中途半端に情けをかけて、また付きまとわれでもしたら困るからだ。
トンナラスニが構えを解いて安堵の溜息をついた。
「トンナラスニ君、ありがと」
「いやあ、姐さんのためなら!」
カーネリアが言うと、トンナラスニはつながり眉毛をアーチ状にし、泥棒ヒゲの口元を綻ばせた。歯抜けの前歯が印象深い。誠に面白い顔をしている男だ。
「さっき一段と騒がしくなったが、何かあったのか?」
先程屋敷の中へ去ったウィーナが、騒ぎが大きくなったのを聞きつけてまた中庭に戻ってきた。
「ハッ、ウィーナ様、実は……」
すぐさまリポビッターがウィーナの所へ走り状況を報告していた。ウィーナは若干渋い顔つきで話を聞いている。
とりあえず、事態が一段落ついたので、医務室へディクフォールの様子を見に行こうと思ったそのときだった。
屋敷の門から何か回転する飛翔物が飛び出してたのだ。それは大きく弧を描き、カーネリア達の頭上を越え、立ち去ろうとするゴブリンの目の前に突き刺さった。思わず足を止めるゴブリン。
地面に突き刺さったものは、緑色に光り輝くエメラルド状の刃が三つ付いた、半月型のチャクラムのような独特な武器だった。
「こ、この武器は……、シャロルッテ殿!」
トンナラスニが驚いた様子で門の方を見る。カーネリアも注目する。門から現れたのは一人の女性。
青いショートヘアに青い瞳。美しくも力強い顔立ち。カーネリアより頭一つ以上離れた高身長で、その半分以上を占める脚は驚く程に長い。
上半身の豊満な胸元を大きくはだけたノースリーブの衣装と、下半身にぴっちりフィットした戦闘服が嫌でも抜群すぎるプロポーションを強調し、立っているだけで圧倒的な存在感を放っていた。
カーネリアはその姿を見て息を飲んだ。とても同じ冥界人とは思えず、女性として嫉妬の念を禁じ得ない。
彼女は管轄従者のシャルロッテだ。冥界の貴族階級だけで構成された、人材養成機関「ヘルゲート」出身の、エリート中のエリート戦士。
そのヘルゲートで構築・開発されてきた、最新の科学・魔法理論を取り入れた現代格闘術『HMMA(Hell Mixed Martial Arts/冥界総合格闘技)』の使い手である。
最新の理論を取り入れた効率的なトレーニングによって最適化された肉体を所有し、彼女の頭の中にある膨大な格闘技や魔法の知識、また、それを高次元に応用する確かな理論的思考と身体操作術に裏付けされた技の数々で敵を薙ぎ倒す。
パワーとテクニックとインテリジェンスを兼ね備えた正真正銘の実力者である。彼女の登場で周囲は再び静まり返った。
「コイツをこのまま逃がすわけにはいかないわ」
シャルロッテはそう言い、ゴブリンに歩み寄った。一方、ゴブリンは足がすくんで動けないようである。
シャルロッテがカーネリアやトンナラスニを横切るときにこちらを一瞥し「実戦では頭も必要よ」と言ってきた。
「は、はい……」
カーネリアとトンナラスニがほとんど同時に返事をした。
近くで様子を見ていたアーリナミ、オーロナミ、ユルゲン、リイゲン、チオビッター、デカビッターは、自分達が場違いだと悟ったのか、そそくさとリポビッターの後ろへ戻っていった。
ゴブリンはシャルロッテを前にして、またしても怯えた態度を取り、抵抗する意思を見せていない。こんなゴブリンを倒す必要が本当にあるのだろうか。
また、倒すことが可能なのか。この常識を超えた再生力と不死性を持つゴブリンを。
「シャルロッテ殿、わざわざ相手にすることはないかと」
リポビッターが声を上げたが、シャルロッテは返答せずに振り向き、リポビッターを冷ややかな視線でキッと睨んだ。クチバシを閉じて委縮するリポビッター。
突如、シャルロッテは有無を言わさず突然ゴブリンにハイキックを浴びせた。
カーネリアがその事実を認識したのはシャルロッテが足先を自分の頭部より高く蹴り上げ、ゴブリンが宙に舞っている後であった。
速すぎて蹴っているのが見えなかったのである。
右脚を下ろし構え直すシャルロッテ。地面に衝突するゴブリン。
今までならいくら剣で斬っても業火で燃やしても全く平気だった。しかし、シャルロッテの蹴りを受けたゴブリンは、苦悶の表情を浮かべたまま痙攣し、一向に立ち上がる気配がない。
信じられないが、このゴブリン、ダメージを受けている。あれだけ肉体を損壊させても死ななかったゴブリンが、蹴り一発で死にかけているのだ。
「蹴り一発で、何で?」
トンナラスニがカーネリアの方を向いて言った。いや、こっちが聞きたい。
シャルロッテは驚くカーネリアとトンナラスニを見て、呆れたような表情で「ただ蹴っただけにしか見えないわけ?」とこぼした。
「いや、その、私、格闘技は素人で……」
カーネリアは思わず情けない気分で言い訳した。
「じゃあ、分かりやすくやってあげる。よく見ときなさい」
そう言うとシャルロッテは倒れるゴブリンを起き上がらせ、背後から組みつき、ゴブリンの首に腕を回す。
「ハアッ!」
そして、流れるような動作で関節技を極め、その豊満で柔らかそうなバストでゴブリンの背中をムニムニと圧迫した。
すると、ゴブリンの口から何かどす黒いオーラのような塊が、煙のように立ち登ってきた。
「これは、悪霊!?」
カーネリアが声を上げた。
「何だと!?」
リポビッターを初めとした周囲の野次馬も再びざわめく。
シャルロッテはゴブリンをぞんざいに地面に放った。どうやら彼は白目をむいて失神しているようだ。
「シコシコ! シコシコ!」
どす黒いオーラに包まれた悪霊が、人の顔を形成して牙をむき、シャルロッテを喰らわんと襲いかかってきた。
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