結婚するまで体の関係はナシと約束したはいいが、三ヶ月で反故にしたくてたまらない彼氏君の話

水棲虫

結婚するまで体の関係はナシと約束したはいいが、三ヶ月で反故にしたくてたまらない彼氏君の話

『タイムマシンがあったらどうする?』と聞かれたら、俺は「三ヶ月前の俺の口を塞ぎに行く」と答える。


 四ヶ月前に人生初の彼女ができた。

 大学に入学し、サークルに入り、そこで知り合った同級生の明日海あすみの第一印象は大人しい子、だった。

 よく見れば顔立ちはかなり整っているが化粧も服装も控えめな方で、周囲にいる派手めな女性陣の中にいれば目立たないような子だった。


 輪の中心にいる事はなかったがいつも穏やかな微笑みを浮かべていて、明日海を見ると心が落ち着いた。

 サークルに入って一ヶ月も経つ頃にはもう他の女性など目に入らず、いつも明日海を目で追っていたし、友人が言うには部室に彼女がいなければ露骨に落ち込んでいたらしい。


 結局明日海本人以外には俺の気持ちはバレバレだったらしく、ありがたくもお節介な後押しを受けて彼女との距離を縮め、六月に俺から告白して了承の返事を貰った。


 お互い初めての恋人という事もあって、ゆっくりと歩みを進めた。

 初デートは映画を見に行った。手を繋ぐのに一週間かかった。七月末の試験に向けて一緒に勉強をした。二人きりで花火を見に行った。キスをするのに一ヶ月と少しかかった。


 亀の歩みと言われようと、幸せの絶頂だった。初めてキスをした後の約束を除けばだが。


 俺は酔っていた。抱きしめてキスをした明日海の魅力に。華奢な彼女は頬を赤く染め、瞳を潤ませて「嬉しい」と、そう言ってくれた。

 俺は酔っていた。自分自身に。


「ここから先は結婚してからにしよう。明日海を大切にしたいんだ」


 何が大切にしたいだ! そもそもいつ結婚の約束をした! 付き合って一ヶ月でキスしただけで結婚とかアホか俺!

 と、まだまだ過去の俺への罵倒の言葉は出てくるのだが、その時の明日海は一瞬驚いたような顔こそしたが、「嬉しい」ともう一度口にし、俺の胸元に頭をくっつけて「約束だね」と囁いた。


 三ヶ月後の今の俺からすると口を塞ぎたいどころかぶん殴ってやりたいセリフがこれなのだが、別に恥ずかしいからだとか気取っていて黒歴史だから撤回したい訳ではない。


 俺は明日海を抱きたくてしょうがない。すげー可愛いんだもん。

 可愛いし、夏とか薄着だし、可愛いし、意外と胸があったし、可愛いし、一人暮らしの俺の部屋にだって来るし、可愛いし、夜までいるし、我慢するの無理じゃん。


 それでも夏休みは死ぬ気で我慢した。でも後期に入ってからは今まで以上の頻度で明日海が部屋に来るようになった。


 しかも服装の露出が春より――夏よりは流石に少ない――も多い。ブラウスにスカートという基本スタイルは変わっていないが、スカートはロングスカートから膝丈のフレアスカートに変わっているし、ブラウスは肩の辺りが透けたレースの物を着る事が多くなった。可愛い。

 化粧も少し変わった。以前はしているかしていないかわからないくらいだったが、今はナチュラルに見えるメイクが施されている。明日海の顔はかなり整っているので、素材の良さを引き立てまくった現在の彼女はよく男から声をかけられるらしい。そいつら全員死ね。


 そして今日も明日海は俺の部屋に来ている。

 肩と首周りが透けたアイボリーのブラウスに膝丈の黒いフレアスカート。この格好は初めて見る。可愛い。


「そろそろ休憩にする?」

「ああ。ちょうどいいんじゃないか」

「じゃあ、はい」


 部屋の真ん中のテーブルで一緒に勉強をしていたのだが、明日海の提案で休憩にする事にした。

 明日海はというと、座ったまま笑顔で俺の方へと手を伸ばしている。そんな彼女の手を取って立ち上がらせ、一緒にベッドに座ってテレビを見るというのがこの休憩の始まりだ。

 隣の明日海からはさわやかで少しだけ甘い香りがする。


「ありがとう。さっくん」

「どういたしまして」


 明日海はいつものようにニコリと笑って俺の頭を撫でてくれる。少しのくすぐったさと心地の良さを感じながらテレビをつけ、こちらもいつものようにリモコンを彼女に託した。


「これでいい?」

「ああ。これにしよう」


 芸能人のトーク番組にチャンネルを合わせた明日海に頷くと、「ありがとう」と彼女は穏やかな笑みを向けてくれるので、今度は俺が頭を撫でた。

 えへへと笑った明日海がそのまま俺の肩へともたれかかってくる。付き合う前はあまり想像できなかった姿だが、後期に入ってからはこうやって彼女が俺に甘える事が増えたと思う。


 ドキドキはするが不思議と落ち着く。明日海が初めてこんな風に甘えてくれた時、俺はそんな事を思った。しかし今は自分を抑えるので必死だ。

 男の部屋でこんな事をしたらどうなるか、普通は勘違いされる。しかも俺達は付き合っているのだから普通はOKサインだ。いや童貞だから実体験ではないけど、ネットにはそう書いてあった。


 しかし残念ながらそうではない。明日海と俺には例の約束がある。

 明日海が俺に安心して甘えてくれるのはそれがあるから。俺が手を出さない事がわかっているから、こうやって夜まで俺の部屋にいても平気なのだ。

 信頼の証だと嬉しく思う反面、余計に「あの約束なかった事に……」とは言いづらい。


『どんな事があっても約束を破る男って最低』


 あまり集中できてはいなかったが、テレビの中の女性芸能人が言ったその言葉だけは耳にはっきりと届いた。

 それを皮切りに画面の向こうでは司会者と男性芸能人と、女性芸能人がヒートアップし始めた。「いやしゃーない面もあるやろ」「ないです。彼女との約束破っちゃダメですよ」などなど。


 酷くタイムリーで心にグサグサ突き刺さる。


「さっくんはどう思う?」

「え?」


 少し肩が寂しくなったと思ったら、隣の明日海が俺に上目遣いの視線を向けていた。


「約束って絶対だと思う?」

「あ、ああ。ええと……そうだな。どうしても急な事情ってのはあるだろうし、絶対とは言い切れないと思うけど、できる限りは守るべきじゃないか?」

「さっくんらしいね。そういう誠実なところ好きだよ」

「急になんだよ」

「いいでしょ。付き合ってるんだしさ」


 少しいたずらっぽく笑う明日海の笑顔は可愛い。

 はいまた約束を撤回できない理由増えましたー。


「そう言う明日海はどうなんだ?」

「どうって?」

「約束の」


 照れ隠しと誤魔化しで聞き返してみると、明日海は「そうだねー」と少し考えるそぶりを見せた。


「やっぱり約束を破っちゃうのは良くないと思うよ」

「ですよねー」


 ですよねー。


「でもこのタレントさんが言ってたのは多分デートの約束とかそっちでしょ?」

「そうなの?」

「さっくんちょっとうわの空だったもんね」

「ごめん」


 謝ると明日海は「休憩中だし別に気にしないで」と、少し眉尻を下げて笑った。


「そういう約束はやっぱり守らなきゃだと思うよ。さっくんが言ったみたいに急な用事があった場合とかは別だけどね。でも」

「でも?」


 言葉を切った明日海に聞き返すと、彼女は穏やかに笑いながら俺の手を握った。心臓が跳ねたものの、俺も握り返すと明日海の顔が綻んで、なんとも可愛い。


「約束は大事だけどいつまでも縛られるのって良くないと思うよ。国と国の条約だって時代に合わせて変えるでしょ?」

「まあそれはそうだけど、恋人同士の約束って時間で変わるか?」

「変えた方がいいものだってあるんじゃない?」

「たとえば?」


 尋ねてみたが、明日海は人差し指を唇にあてて「内緒。考えてみて」と言ってふふっと笑うだけ。


「どんなのがあるかなあ……」


 明日海の方に向けていた顔を正面へと戻して考えるが、思い浮かばない。

 

 そうして考えているとふわりといい香りがして、俺の頬にやわらかなものが触れた。

 驚いて明日海に視線を向けると、少しだけ頬を染めた明日海が照れ笑いを浮かべていた。


「さっくんは鈍いなあ」


 明日海の唇が触れた自分の頬に手を当てながら「どういう意味?」と尋ねたが、「内緒っ」と唇に指を添えた彼女は穏やかに笑うのみだった。

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