Order5 カラウス商会
逃げるように家を出て行ったラキアは、再び馬車を使い【セミドルサンド王国】の北地区へと向かった。
ラキアの目的は、コーヒー豆や食品の調達。
中でも喫茶店には欠かせないコーヒー豆は、人々の認知度が低く、あまり市場に出回っていない。そんな中、唯一コーヒー豆の販売を行っている所があった。その場所の名前は【カラウス商会】。
【カラウス商会】は、貴族である『アントラル=カラウス伯爵』が
その理由は、会長であるアントラルのカリスマ性と性格の良さ、それに彼のルックスの良さも関係していた。
淡い水色で眉辺りまである前髪。透きとおるように美しい青い瞳。程よく鍛えられたスリムな体型。
ハンサムな男の特徴すべてを兼ね備えた彼が、女性から好かれないわけがない。
加えて彼は、自身の衣服ブランドを持っていて、そのモデルを自身がしている。彼を映写機で撮った写真が新聞記事や張り紙などに掲載されているため、彼の世界的認知度は高い。さらに、彼は人当たりもよく、周囲からの評判もとても高いのだ。
店を開業する前、コーヒー豆を仕入れ場所に困っていたラキアは、彼の存在に知り、どうにか話ができないかと、彼のもとへ直談判しに行った。
しかし、相手は身分の高い貴族様。そんな人相手だから、たかが平民の話なんて聞いてもらえないだろう。
そう思いながらも、賭け事をする勢いで挑んだラキアだったが、いい意味で予想は外れた。
突如押し掛けたラキアを、アントラルは優しく迎え入れ、ラキアの相談を親身になって聞いてくれたのだ。さらに運が良く、カラウス商会でコーヒー豆を取り扱っていて、さらに、種類も複数あった。
ラキアはアントラルに買わせてほしいと
──あの日から約一年たった現在。
アントラルに気に入られたのか、ラキアは彼の意向で彼の邸宅へ訪れ、取引ついでにコーヒーを振る舞うようになっていた。
彼の豪邸は北地区にある貴族街の中でも異彩を放つほど大きい。
何より驚くべきは、彼の部屋の広さだ。
部屋全体の色相は大体淡青色で統一され、その中にキングサイズのベッドや華やかなテーブル、それを囲むように置かれた大きなソファーが二つと一人用のソファ―が一つ。加えて自身が作業するデスクも置かれているが、それでもまだ、人が十人以上は入ることができる。
そんな巨大な部屋の中でラキアは、アントラルが座る大きなソファーの隣に立ち、
「いやぁ~、それにしても珍しいね。君が喧嘩をするなんて」
アントラルは、自身の大きなソファに手と足を組んで、ケタケタと楽しそうな表情を浮かべながら言う。
「はい。できれば争いはしたくなかったんですけど……」
と言って、ラキアは自分の頬に触れた。
ここに来るまでにノエルに冷やしてもらったが、やはりまだ腫れていた。
しかし、アントラルはなぜかこの状態のラキアを見て、嬉しそうにしていた。
「まぁ無事だからよかったよ。もしそれで死んだりしたら、君との楽しい楽しい商売ができなくなってしまう」
「心配してくださるんですね。ありがとうございます」
「いまさら何だい? 僕と君の仲だろ? 水臭いこと言わないでよー」
「あ、ありがとうございます」
そんな与太話をしている間に、ラキアはアントラルのコーヒーを作りあげ、彼の前に淹れたコーヒーをコトン、と置いた。
彼はコーヒーカップを手にとり、少し飲んで「おいしい」と呟くと、再び話を始めた。
「……けど、なんで君はそんな体になっているか不思議だよ。君がもっと本気になれば、こんな傷追うことはなかっただろうし、相手も軽傷ではすまないはずだよね」
「何をおっしゃって──」
「もう隠しても無駄だよ。名誉冒険者『
「っ……⁉」
ラキアは、
「あれっ? これは当たりってことでいいのかな?」
アントラルはわざとらしく、鎌をかけたセリフを言う。
アントラルの言うとおり、ラキアは『ソティラス』のメンバーだ。
別に彼自身、知られて嫌というわけでもないし、隠しているつもりもなかった。だが、ただ一つの疑問が彼の頭に引っかかっていた。
『ソティラス』が解散して約九年半。『ソティラス』の足取りを掴むものは、いなかった。なぜなら、人界軍内では『ソティラス』のメンバー名をコードネームで呼ぶため、彼らの本名を知る人は少なかったからだ。
もちろんラキアもそのはずなのに、アントラルはどこでその情報を知ったのだろうか……?
「どこで、そのことを……?」
ラキアは恐る恐る聞き返すと、アントラルはふと笑みを零す。
「……まぁ商人ってのはね、『情報』が命なんだよ。今、人々が求めているものに沿って商売をしないといけないからね。だから僕は情報網を無数に張り巡らせているんだよ。世間話や裏のことまですべてすぐに手に入る」
アントラルはラキアの問いをはぐらかした。
けど、ラキアにとってその回答は十分すぎるもので、彼の話を聞いてから、ずっと背筋が凍る感覚を覚えた。どこまで知られているのか、不安になったからだ。
アントラルは話をやめずに、話題を掘り下げる。
「君の素体の能力は『
「…………」
ラキアは口を開かなかった。開いてはいけないと感じたからだ。
アントラルの話した内容は一言一句すべてあっている。
──『
現在の魔法学ですら解明しきれていない未知の魔術師。
今解明されていることは、彼らは、自身の体に《
彼ら『
そして、ラキアが口を開かなかった理由はそこにある。
もし、ここで『
大げさに考えすぎていると思うが、可能性として低くない。
アントラルは、もはや世界の顔。彼がそのことを話でもすれば、世界中にその情報が一気に広がってもおかしくない。
ラキアはアントラルのことを信用している。そんなことする人ではないと思っているが、やっぱり心のどこかで、裏切られた時の保険をかけてしまっている。
ラキアが閉口を続ける中、アントラルは首をかしげながら、ある疑問を述べた。
「しかし、おかしなことが何個かあるんだ。まず容姿が情報とかけ離れている。君のコードネーム『黒狼』は黒い髪に赤い瞳をしている。けど、今の君はそんな見た目じゃない。一番の気がかりは、冒険者のとき……っでいいのかな? そのときには、炎の魔法を使うと名が通っていたらしいけど、その全員が口をそろえて、『黒い炎を使っているところは誰も見たことがない』って言うんだ。それはどうしてなのか……」
アントラルはそう語りながら、ラキアを観察するようにまじまじと見つめていた。ラキアは彼と目線を合わせることなく、ずっと床を見つめていた。
しばらく閉口し続けたラキアが、ついに口を開く。
「……僕のことを知って、何が狙いなんです?」
ラキアは
「そう怖い顔しないでよ。大丈夫。君を売ったりはしないさ。覚えているかい? 君と商売する時に言ったこと。『ある程度時間をかけて君を見定めて、正式に契約するかどうか決める』って」
「そういえば……おっしゃられていましたね」
「そうだよ。君、なかなか自分の事話さないから、結局、自分で調べるしかなくてさ。一年近くかかったよ。その過程でその話を知っただけなんだよね」
それにしては知りすぎている気もするな……と、ラキアの中で、まだ
ラキアは固唾を飲み、恐る恐るアントラルに
「そうなんですか。それで、僕を見定めて、どうでしたか?」
──沈黙が訪れる。
ドクン、ドクン、とうるさく音を立てる心臓。ラキアは初めて、自分の胸の鼓動が腹立たしいと感じた。それも束の間。アントラルが口を開く。
「……合格だよ。安心して」
ラキアは、きつく締められた縄を
「だって、こんな面白い人手放すわけないじゃん! それにラキア君もコーヒー豆なんてレアな品、うち以外で買うの難しいんでしょ?」
「お、おっしゃるとおりです……」
苦しそうなラキアの顔を見て、アントラルはさらに爆笑する。
「あはははっ‼ ……まぁ、安心してよ。君の情報をべらべらと話さないから!」
「あぁ、ありがたいです……」
「あ、そういえばね……」
と、アントラルが口を開いた途端、バンっと勢いよく部屋の扉が開いた。
その奥から、疲弊しきって背筋が曲がった人影が現れる。その人影の
黒い短髪。張りのある肌。まだ二十にも満たないような、若々しい男が腰を曲げていただけだった。
男が部屋に入ると、死にそうな声をもらした。
「ただいまー。アントラル、仕事終わったでー……?」
──これが、ラキアとある少年『リクト』との最初の出会いだった。
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