感じ取ってほしいものは何だろうか。ぱっと私の脳裏に浮かんだのは「尊厳死」という言葉だったが、何か違和感を感じる。
主人公は非常に誠実な青年だった。体の大きさを持って偉ぶるでもなく、おじいさん、おばあさんにきつく当たることもしなかった。六尺、二十五貫という重さを初めて調べ、その巨漢さを実感したからだろうか、私は主人公が非常に強面で堅気ではないような質の人間なのだろう、と勝手に想像していた。だからこそ、想像の中の人物像とと描かれていた人物像とのギャップを第一に感じた。
「いのち」とはどういうものだろうか。誰しも考えたことがある答えのない問いだ。死後人間はどうなっていくのか興味がある。
バラモン教の教えのように輪廻転生をする「魂」が存在し、肉体とは別物として考えるものなのか。それともいのちが尽きれば、無の世界へ誘われ自我、いやこの世のすべてのものを感じ取れなくなってしまうのか。
作者様は魔法の泉とはどのようなものとして捉え、描いたのだろうか。
作品内には、魔法の泉は鬱蒼とした神聖な森の中にある、簡単にはたどり着けないというような描写があった。簡単には立ち入れないと掟が存在し、主人公も初めてたどり着いた。そこで予感はあったものの、おばあさんの死が唐突に起こる。
もし、死に近づいている、苦しんでいる状態になったら自分も同じようにここまで連れてきてほしい。続け様におじいさんも言う。
まだ一緒に暮らしたい。そう願う主人公とは裏腹におじいさんまで、早く現世を去りたいかのような言葉を言う。
どこからともなく現われる喪失感、虚無感。
この感情をなんと言い表せばよいのだろう。