第7話

アイは、モレノとシンシアから受けた説明でこれからやることの概略を把握し、中央制御室の片隅に設けられたガラス張りの別室に入った。そこはせいぜいベッドルーム程度の大きさで、中には歯医者の診療用のような大きなチェア・ユニットが一つだけ置かれ、周囲はびっしりと無影灯やワークテーブル、アーム類やセンサー類に取り巻かれている。


アイは靴を脱いで肌着だけの姿になり、ゴム紐を巻いて髪をまとめ、斜めになったチェアに身を横たえた。目を瞑ったアイの頭部に、シンシアと他数名のスタッフが手早くヘッドセットを装着し、身体のあちこちにいくつかのセンサーパッチを取り付けた。しかし基本的にアイの四肢は自由で、不自由さは一切なかった。


すでに、アイはよく似たシミュレーターで何度も非公式な任務をこなしており、この手の装置には慣れていた。今回は特に、宇宙空間を飛翔する性能を持ちながら、基本的にはヒューマノイド型の金属構造物をコントロールする。それは単に「従属体スレイヴ」と呼ばれ、このコクピットの中でのアイの動き通りに四肢を動かし、全てアイの脳波による指令通りに行動する。


スレイヴは頑丈で、宇宙の真空にも、金星の高温や硫酸の雨にも、木星のガス雲中の高圧にも、そして冥王星の極低温にも耐える。鋭敏な視力や聴力をもち、その他各種のセンサーや分析ユニットを通して周囲の状況を的確に把握しビジュアライズして、瞬時に中央制御室にフィードバックする。すなわちアイはここで思う通りに、みずからの分身としてスレイヴを動かすことができるのだが、やりとりされるデータ量があまりにも膨大なため、リアルタイムの連動は不可能である。何しろ、相互の距離は48億キロメートルにもなるのだ。


だがアイには、際立った思念波の送達力がある。それはほぼ「感覚転移」といってもいい思念波同期能力で、静かな環境で邪魔されずに精神集中すれば、自分の感覚や意識、思考能力のすべてを、遥か彼方の受容体へと、一切の時間のロスなく送り込むことができるのだ。その思念波は、現地近くを周回するD.C.号の思念波同期ユニットを通じ、すでにカロンの地表近くにまで降下しているスレイヴへと移送される。ここでわずかばかりの時間差が生じるが、それはほんのゼロコンマ数秒の差であり、慣れてしまえば気になることもない。


すなわちアイは、地球に居ながらにして、思うがまま冥王星系のスレイヴを動かし、その無機質の強靭な体躯を駆使し、あたかも無敵の神の如くに現地を探査することができる。


ただし、アイの受容した感覚をそのままリアルタイムに再構成して他の誰かに伝えることはできない。アイはただ、見たまま、聞いたままをあとから口頭で報告するしかない。あくまでアイは探査計画の尖兵、偵察斥候であるに過ぎず、詳細の把握は数日遅れで届く各種のデータ類を分析してからだ。


しかしそれでも、融通が利かず、物理的な損傷や不具合や暴走がつきもののAI探査ドローンなどには望み得ないほどのきめ細やかな探査行動を、この有機的な思念波同期ユニットには期待することができる。


準備が完了すると、アイは片手を上げ、ガラス越しに見守る全てのスタッフたちに微笑みかけた。そして、ヘッドセットに接続されているマイクを通して、皆に言った。

「じゃ、みなさん。ひとあしお先に!」

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