第30話 夏の終わりは花火の音と共に②


「……はぁ、はぁ」


 全速力で向かった結果、俺はフラフラになった状態で賀郭がかく神社に到着する。


 そのときにはもう日が落ちてしまい、辺りはすっかり暗くなってしまっていて、提灯の灯りがゆらゆらと揺らめいていた。


 鳥居をくぐって中に行こうとする人たちは、一体何事かと息切れする俺のことを怪訝な目で見つめるが、そんなことを気にしている暇はない。


 早く、紗季先輩を、捜さなくては。


「白石くん!」


 俺を呼ぶ声が聞こえて振り返ると、そこには空也くうやさんがいた。


 急いで来たのか、Tシャツにジーンズ姿は同じであるものの、髪の毛は整えておらず少し乱れてしまっていた。


「紗季は、見つかったかい?」


 そう聞いてくる空也さんに向かって、俺は首を横に振る。


「いえ……俺も……まだ……来たばかり……ですから……」


「そうか」


 空也さんは、少し残念そうにしながらも、すぐに気持ちを切り替えたのか、真剣な表情に戻っていた。


「白石くん。一緒に紗季を捜そう」


「……はい」


 俺は、空也さんに頷いて、鳥居をくぐって境内までの道のりを歩く。


 まだ、祭りは始まったばかりだろうが、人はそれなりに多く、屋台からはお腹を空かせるような匂いが立ち上っている。


 ここから紗季先輩を捜し出すのは少々骨が折れそうな気がしたが、捜すしかない。


 そして、俺と空也さんは一緒になって紗季先輩を捜すが、境内の道を歩きながら目視しても、紗季先輩らしい人は見つけることができなかった。


「はぁ……はぁ……」


 俺は、ここまで来るときに走ってきた疲労や、紗季先輩がいないことに焦りなどが混ざって、身体が鉛のように重くなってしまっていた。


「大丈夫かい、白石くん?」


 空也さんも、俺の顔色を見ながら心配そうに声をかけてくれる。


 大丈夫だと言いたいところだったけど、正直、今にも倒れそうなくらい身体が辛かった。


「すみません……少し、休んできます……」


 そう言って、俺は人混みを避けながら境内から少し離れたところで、未来の俺が翠と来たときに見つけた茂みに隠れたベンチのことを思い出す。


 そこで少し休憩しようと、俺は祭りの喧騒から離れて、その場所へ向かった。


 だが、俺は結局、そのベンチに座って、休むことなどできなかった。



 彼女は、ポツンと一人、ベンチに座っていた。



 祭りの光が届かない、暗い場所にも関わらず、俺はその姿を見た瞬間、息が止まりそうになってしまった。



 そして、ベンチに座っていた彼女もまた、誰かが近づいてくる音で気付いたのが、俯いていた顔をそっと上げて、俺の姿を見た。



「あっ……」



 わずかに、彼女の口が震えているのが、声で分かった。



「慎太郎くん」



 そして、彼女はゆっくりと、俺の名前を呼んだあと、呟く。



「……きて、くれたんだね」



 にっこりと、微笑んだ彼女の表情は、今までに見たことがないくらい、とても綺麗だった。



「……紗季、先輩」


 俺も、彼女の名前を呼ぶ。


 そうすると、彼女はまた、嬉しそうにゆっくりとほほ笑むのだった。


 俺は、何を話せばいいのか分からず、黙って先輩のことを見つめることしかできなかった。


 今の先輩は白いワンピースにサンダルという、とてもシンプルな服装だった。きっと、浴衣の人たちが多い境内にいたならば、その異質さで目立ってすぐに見つけることができただろう。


「……紗季先輩。栞の内容、読みました」


 俺は荒くなる呼吸を整えて、彼女に伝えた。


「遅くなりましたが、ちゃんと先輩のことを、迎えに来ました」


 五年もの年月を経て、俺はようやく、先輩を迎えに行くことができたのだ。


「……慎太郎くん。私は……」


 そして、紗季先輩が俺に近づこうとした――そのときだった。


「えっ……?」


 紗季先輩の顔が、一気に青ざめたものへと変わってしまう。


 だが、俺はその反応を、この前に一度見たことがあった。



「見つけたよ、紗季」



 そして、その人物……空也さんもまた、依然と同じ台詞を、紗季先輩に告げた。


「……どうして、兄さんがここに……?」


「白石くんが教えてくれたんだよ。さっきまで、僕と一緒に紗季を捜していたんだよ。ねえ、白石くん?」


 空也さんは、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら、俺にそんな確認をしてきた。


「ええ、まあ……」


「慎太郎くん……どういう、ことなの?」


 俺は、素直に空也さんの話に相槌を打とうとしたところで、紗季先輩が間に入って来て、俺に質問してくる。


 その声には焦りや不安のようなものが滲んでいた。


 だが、俺はその理由に対して思い当たる節があったので、きちんと説明をしようとした。


「紗季先輩……空也さんは、本当に紗季先輩のことを心配してくれてるんです。それに、先輩の味方にもなってくれるって、そう言ってくれて……」


 紗季先輩は、空也さんのことを誤解している。


 この人は、その背景にどんな事情があったにせよ、紗季先輩の兄として妹を守ってくれる存在になると、そう言ってくれた人なのだ。


「……違う。違うんだよ、慎太郎くん! この人は……!」


 そう紗季先輩が悲痛の声を上げた、瞬間だった。



「黙れ、紗季。お前は、僕の物だ」



 俺の背中が、ゾワッと得体の知れない悪寒が走った。


「紗季。全く、お前は僕に従っていればいいのに……部屋から逃げ出すなんて酷いじゃないか? あんなに可愛がってあげたのに」


 空也さんの表情は、もう俺の知っている彼の顔ではなかった。


 まるで、快楽を楽しむ獣のような、悪意に満ちた視線を紗季先輩に向けている。


「白石くん。きみも協力してくれて助かったよ。でも、君の役目はもう終わりだ。さっさと帰りたまえ」


 空也さんは、そう言って俺を邪魔者扱いするように睥睨する。


 もう、俺の知っている空也さんは、どこにもいなかった。


「さあ、紗季。家へ帰ろうか? ただし、部屋を抜け出した罰は、帰ったらたっぷりとしてあげるから、覚悟しておけよ」


 そして、空也さんが、紗季先輩に近づき、手を伸ばそうとした。



 ――駄目だ。

 ――空也さんに……こんな奴に、絶対に紗季先輩を渡しちゃいけないっ!



「――なっ!」


 気が付けば、俺は紗季先輩へと手を伸ばす空也さんの手を、全力で払いのけていた。


「し、慎太郎くんっ……!」


「先輩っ!」


 俺は、紗季先輩の手を掴み、走り出す。


 紗季先輩は驚いた様子だったけど、ちゃんと俺と一緒に走り出してくれた。


「……待てっ!!」


 そんな声と共に、後ろから空也さんが追いかけてくる気配を感じた。


 俺は、すぐに境内へと戻って人混みをかき分けて前に進む。ぶつかった人たちは多種多様に苛立ちや戸惑いを露わにしていたが、そんなことを気にしている暇はない。


 俺は絶対に紗季先輩の手を離さないように、しっかりと彼女の手を握っていた。


 そして、境内を抜けたあとは、ただひたすら必死で、紗季先輩と一緒に走り続けた。

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