第27話 そして彼女は消えていく⑦
そして、俺は一人で学校からの帰路につく。
今までは、
そして、家の前に見覚えのない黒い車が一台止まっていることに気付く。
こんなところに路上駐車なんて珍しいな、なんて暢気なことを思っていると、運転席のドアが開いた。
「……あっ」
思わず声を出してしまった俺に対して、その人物は軽く手をあげる。
「やあ、昨日振りだね。
その男性、
昨日とは少しデザインが違う白シャツに、ジーンズ姿。そして、頭にサングラスを乗せていた。
「お兄さん……どうしたんですか?」
偶然……ではないだろう。どう考えても、明らかに俺を待っていたとしか思えないその態度に、案の定、空也さんは俺に告げる。
「ちょっときみと話がしたくてね。どうだい、今から少し僕とドライブにでもいかないか?」
「ドライブ……ですか?」
「そう。紗季のことで、ちょっとね」
咄嗟のことで顔に出てしまったのだろう。紗季先輩の名前で反応してしまった俺を見て、空也さんは笑みを浮かべた。
「……知らない人を乗せると怒られるんじゃなかったでしたっけ?」
「ははっ、そんなこと、よく覚えていたね。でも、大丈夫だよ。あれは単なる口実さ。昨日は紗季と二人っきりになって、きみのことについて聞きたかったからね」
呆気らかんとそう言った
「……わかりました。でも、自転車を置いてくるので少し待っててくれませんか?」
「ああ、もちろんだとも」
こうして、俺は空也さんからの誘いを承諾して、ドライブに向かうことになった。
自転車を家に置いていくときに制服も着替えたほうがいいかと思ったけど、これ以上相手を待たせるのも憚られるので、俺は家に鞄だけ置いて空也さんのところへ向かうことにした。
一応、帰るのが遅くなることも考慮して、台所にいた母に声を掛けると「晩御飯までには戻ってきなさいよ」とだけ言われて、特に何も追及されることなく家をあとにすることができた。
そして、律儀に車の外で待っていた空也さんに促されて、俺は助手席に腰を下ろす。
車の中は、蒸し暑い外とは違って冷房が効いていて快適な空間になっていた。
そして、空也さんは頭にかけていたサングラスを下ろし、車を発進させる。
「昨日といい、今日といい、紗季がきみに迷惑をかけて悪かったね」
「いえ、別に俺は……迷惑だなんて思っていません」
見慣れた景色が流れていく中、俺は自分の本心を告げた。
先輩のことで、何か迷惑をかけられた覚えは俺にはない。
ただ、少し棘のある返事をしてしまった気がしたので、俺は話を変えようと空也さんにある質問を投げかける。
「あの……空也さん……って呼べばいいですか?」
自分の頭ではすでにそう呼んでいたのだが、念のため本人の許可も取っておこうと思ったのだ。
「ああ、好きに呼んでくれて構わないよ。それで、他に何か言いたそうだけど?」
空也さんは、すぐに今のが本題ではないと気づいたようだ。
なので、俺は単刀直入に聞いてみることにした。
「なんで、俺の家の場所が分かったんですか?」
すると、空也さんは人差し指でハンドルをコンコンと叩きながら答える。
「んー、そうだね。紗季から聞いたって言ったら、納得してくれるかな?」
「……紗季先輩も、俺の家の場所は知らないはずです」
実際、俺は今まで紗季先輩に住所などは教えていないから、それは嘘ということになる。
「ふーん、そうか。きみと紗季は、もっと親しい間柄だと思っていたんだけど、そういうわけではないのか」
まるで、俺と紗季先輩の関係性を冷笑するかのような物言いに、俺は少しだけ不満を抱いてしまった。
だが、空也さんはそんな俺の心情を知ってか知らずか、話を続ける。
「じゃあ、答えを教えるけど、これは至ってシンプルなことなんだが、こっそりきみの鞄から財布を取り出して保険証を確認させてもらったのさ。紗季を学校に迎えに行ったときにね」
堂々とそんなことを言う空也さんに、俺は咎めるように告げる。
「……犯罪ですよ、それ」
「ああ、バレないように隠れて見ようとしたんだが、結局、紗季には見つかって怒られてしまったよ。あ、もちろんお金とかは抜いてないし、紗季が責任を持って白石くんの鞄の中身は元に戻しておいたから安心してくれ。ほら、紗季は几帳面だから、誰かが触ったって分からないくらい、中身は綺麗だっただろ?」
そう言いつつも、全く反省している素振りを見せない空也さん。
綺麗も何も、俺は朝から鞄の中身なんて一度も確認していないので分からない。
もし、空也さんの言うことが本当なら、その犯行自体は多分可能だ。俺と翠が中庭で話している間に、空也さんは先生に案内されて図書室にいる紗季先輩を迎えに行って、そのときに俺の置いてあった鞄を見つけて、中身を確認したというわけか。
空也さんの行動を改めて整理すると、ますます犯罪の匂いが強くなった気がした。
「ただ、信じてほしいんだが、きみを不快にさせるためにそんなことをした訳じゃないんだ」
まさに、俺の中で絶賛空也さんの株が急下落中だったところで、それをストップさせようと空也さんが反論する。
「紗季に聞いても、きみのことを全然話してくれなくてね。いやいや、兄として情けない限りだよ。妹に信用されていないなんてね」
明るい口調ではありつつも、空也さんはそのことを本当に恥じているようだった。
「ねえ、白石くん。正直に答えてほしいんだか、きみは紗季と僕たちの関係のことを、どれくらい知っているのかな?」
サングラスで表情はよく見えなかったが、その質問が先ほどまでとは違う真剣なものであることは、俺にも伝わってきた。
「紗季先輩からは……本当の母親が亡くなっていることを聞きました」
それも、俺は今日知ったばかりのことで、元の世界ではそのことすら、俺は聞かされていなかった。
「そうか……じゃあ、母さんや僕が、紗季にとっては本当の家族じゃないっていうことも、すでに知っているんだね」
空也さんと紗季先輩との関係性については、紗季先輩からは直接話されたことではなかったけれど、推測すればおおよその検討はついていた。
だが、次に空也さんが話した内容は、俺に衝撃を与えるのには十分な内容だった。
「まあ、正確には、僕と紗季はちゃんと血が繋がっている兄妹なんだけどね。母親が違うってだけでさ」
「……えっ?」
「……ああ、その反応を見ると、これは知らないことだったか。まあ、いいけどね。知らない場合は、最初から全部話すつもりだったし」
前の信号が赤になったので車を停車させると、空也さんはなんて事のないような口調で、話を続ける。
「紗季は、父さんの幼なじみの女性との間に出来た子どもなんだ。ただ、父さんもその人が亡くなるまでは、紗季の存在を知らなかったらしい。まあ、父さんと母さんは恋愛結婚じゃなくて、ほとんど親たちが決めた結婚だったみたいだから、色々あったんだろうね」
まるで他人事のように話す空也さんは、ワイドショーで流れるニュース原稿を読み上げるような、そんな気軽さで自分たちの出生について語る。
「で、その女性と父さんは母さんと結婚してからも会ってたらしいんだけど、ある日からその女性……まぁ、紗季の母親なんだけど、その人が姿を眩ませちゃったんだ。原因は今になって分かったことだけど、紗季を身ごもってしまったから、父さんに迷惑をかけないようにしたんだろうね」
そう言い終えると、丁度信号が青に変わったので、空也さんはアクセルを踏んで車を発進させる。
気が付けば、もう俺の知っている町の風景ではなく、知らない場所に迷い込んでしまったような感覚を味わっていた。
「でも、その女性が死んだことを、どこかから聞いた父さんが紗季を引き取ることになってね」
「そんな……」
そんな、身勝手なことに、紗季先輩は巻き込まれたっていうのだろうか?
「もちろん。母さんがいい顔をするわけなかったけど、それでも父さんは引き取ると言って聞かなかった。表向きは、知り合いの子供を引き取ったってことになっているけれど、不倫してた女性の子供を引き取るなんて、父さんも責任は感じてしまったんだろうね。いわゆる贖罪というやつなのか、それともやっぱり愛してた女性の子供だったから見捨てることができなかったのか……ま、僕は後者だと思うけどね」
「……どうして」
俺は、耐え切れなくなって、空也さんを問いただした。
「……どうして、そんな平気な顔で喋れるんですか? そのせいで……紗季先輩は……!」
「僕には関係ないからさ」
俺は、その言葉を聞いた瞬間、思わず空也さんを睨んでしまった。
だが、それでも空也さんは冷静な口調のまま、俺に言った。
「紗季が僕の妹であることに、変わりはない」
それは、俺が想像していなかった言葉だった。
そして、空也さんは淡々と話し続ける。
「初めて紗季を見た時にね、直感したんだよ。僕は、この子を守らないといけない、ってね。でも、悲しいことに紗季はまだ僕のことを母さん寄りの人間だと思っているのさ。兄として、もう少し信頼を寄せて欲しいんだけど、これがまた難しくてね」
「じゃあ、空也さんは……」
「もちろん、僕は紗季の味方だよ。だから、きみと話がしたかったんだよ。紗季が今、最も信頼を寄せている、きみとね」
車は住宅街を抜け、車幅の広い道路を走っていて、少しずつ日が傾き始めたからなのか、空也さんは目に掛けていたサングラスを取ってしまった。そのおかげで、空也さんの表情がよく見えるようになった。
彼は、とても穏やかな顔をしていて、その雰囲気はどこか紗季先輩に似ているものがあった。
「白石慎太郎くん。僕からもお願いするよ。きみが、これからも紗季の心の支えになってくれ。きっと、それは僕にはできないことだ」
空也さんのハンドルを握る手に、少し力が入ったような気がした。
紗季先輩の心の支えになること。
それが、俺のやるべき役目なのだとしたら。
「……はい。俺も……空也さんと同じ気持ちですから」
俺なんかが、どこまでその役割を担えるのかは分からないけれど、それでも俺は、紗季先輩の隣で、一緒に過ごしたいのだ。
――いつの日か、あの人が心の底から笑ってくれる日が来るまで。
「ありがとう。妹も……きっと喜ぶよ」
そう言った空也さんは、満足したように笑みを浮かべたのだった。
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