第24話 そして彼女は消えていく④
「あたし、あの人に謝りに行くから
日陰になっている休憩所のベンチにて、しばらく夏の日差しから隠れていた俺たちだったが、
翠の言い分は多少捻くれてはいるものの、暴力を振るってしまったことについては反省しているのか、謝罪はちゃんとすることに決めたらしい。
「それに……噂のことだって、まだちゃんと聞いてないしね」
どうやら、そのことに関しても、まだ話を聞くことを諦めていないようだった。
実は、俺も少し気になってはいたのだ。
先輩は肯定しなかったとはいえ、あのとき、翠の質問に対して謝罪の言葉のようなことを述べていた。それで、翠がそれを先輩が噂の内容を認めたと思って、あのような行動に出てしまったのだが、俺にはまだ判断がついていないというのが正直なところだ。
翠も、自分で早とちりをしてしまったことは素直に認めて、今度はじっくりと話を聞き出すと言い張っている。
「慎太郎。あたしがまた手を出しそうになったら絶対止めなさいよ。じゃないと、あたしが負けた気がするから」
その理屈はどうかと思うが、俺も問題沙汰をこれ以上は起こしたくないので、やむなくその申し出を受け入れることにした。
「ってか、翠。どうしてそこまで、あの噂に拘るんだよ。その、先輩が……」
「男引っ掛けまわして遊んでるってこと?」
もう隠す気がないのか、堂々と学校の廊下でそんなことを口にする翠。
ああ、本当に今が夏休みで良かったと、心の底から俺は思った。人影がないとはいえ、誰かが聞いていたらどうするつもりなんだ。
だが、そんな心配している俺に向かって、翠ははっきりと言った。
「だって、そんな人にあたしの大事な友達を渡すわけにはいかないもの」
それは……俺のことを考えてくれている行動であることは間違いないかもしれないが、その発言があまりにもストレートすぎて、聞いているこっちのほうが恥ずかしくなってしまう。
だけど、それが
「だから、慎太郎。あんたももし、
わかった? と、俺に対しても念押ししてくる翠に圧倒されて、俺は思わず首を縦に動かしてしまった。
まあ、翠には俺の
「なあ、翠。さっき話したことなんだけどさ……」
ただ、念のために翠には釘を刺しておこうとしたのだが、翠は話の途中で若干呆れた顔をしてため息を吐いた。
「言うわけないでしょ。あたしだって、そんな趣味の悪いことはしないわよ。まあ、あんたが黒崎先輩にちゃんと自分で告白するなんて、何年かかるかわかったもんじゃないけどね」
それを聞いて、俺は胸をなで下ろすが、その様子を見ていた翠はちょっとだけ不満そうに腕組みをして「まったく……」と声を漏らした。
そして、そんなことを言っている内に図書室の前まで到着して、扉を開ける。
「……あれ?」
翠が素っ頓狂な声を上げたと同時に、俺は全身に冷や汗が流れ始める。
――そこに紗季先輩の姿はなかった。
俺の嫌な記憶が、蘇ってしまう。
紗季先輩のいない、空虚な場所になってしまった図書室で過ごす時間。
俺が過ごしてしまった、思い出したくもない時間。
まさか、こんなタイミングで……。
「……いないわね、黒崎先輩」
しかし、俺とは正反対に翠はどこか暢気な様子で辺りを見回す。
「準備室にでも行ったのかしらね?」
あっけらかんとそう言った翠のおかげで、俺はすぐに動いて図書準備室へと向かう。
……そうだ、俺は、何を焦っているんだ。
いきなり、紗季先輩がいなくなるなんてことが、あるわけないじゃないか。
そんな期待を込めて、図書準備室の扉を開けるが、部屋の中には誰もいなかった。
――俺の心臓の鼓動が、どんどんと早くなる。
準備室から出てきた俺を、翠が怪訝そうな顔で見つめてくる。
「……慎太郎。あんた、顔色悪いわよ?」
俺の顔を覗き込むようにして、翠が心配そうに声を掛けてくる。俺の様子がおかしいことに、翠も気付いてしまったようだ。
俺は、そんな翠の肩を持ちながら、必死に呼びかける。
「頼む、翠っ! 紗季先輩を一緒に捜してくれ……!」
「ちょ、どうしたのよ!」
「いいから早く! じゃないと先輩が……!」
この世界でも、いなくなってしまうかもしれない!
そんな焦りから、俺は翠の身体に縋り付くように握ってしまう。
「慎太郎……あっ」
と、そこで翠が何かに気付いたようだった。
「ねえ、慎太郎。あれ……カウンターの机に何か置いてない? 鍵、かな?」
そう言われて、俺もカウンターの机に視線を向けると、確かに翠の言う通りキーリングが置いてあって、そのリングには二本の鍵が付いてあった。
それは、紗季先輩が持っていた図書室の鍵だ。二つ付いているのは、図書準備室の鍵も付けられているからだ。
そして、その隣にはメモ用紙が置いてある。
俺は、すぐにメモ用紙を手に取ってみると、そこには俺に向けた紗季先輩からのメッセージが書いてあった。
慎太郎くんへ。
すまないが、今日は先に帰らせてもらうことにしたので、鍵の管理を任せることにしたよ。
それと、もしかしたら私は、しばらくここに来られないかもしれない。
だから、これからの図書室の開放については、できればきみに任せたい。
色々と頼んでしまうことになるけど、あとは頼んだよ。
P.S.
三菜さんには悪いことをしてしまったと、きみからも謝っておいてくれると嬉しい。
本当は、私が直接謝るべきなんだろうけどね。
「何、これ? あの人……もう帰っちゃったってこと?」
後ろからメモの内容を見ていたらしい翠は、不満そうな声を漏らしながらも、張り詰めた空気を感じ取ったのか、不安そうに俺に尋ねる。
「……でもこれって、もしかして、あたしのせい……かな?」
翠からすれば、自分のせいで紗季先輩がいなくなってしまった、と思っているのだろう。
「いや、違うと……思う。ほら、ちゃんと翠に対してもメモを残しているから……」
断言はできないが、この文面からは翠のことを紗季先輩が気にしているのが伺える。普段の様子からじゃあ想像しにくいかもしれないけれど、あの人は『後輩』というものに対して非常に甘い。
実際、翠のことだって普段からあれこれと聞いてきて、気にしているようだったし、本人の口から「あの子はいい子だね」と、普段から翠のことを随分と気に入っていた素振りをみせていた。
それよりも、俺にはこのメモに残された文章に、どうしようもない不安感を募らせてしまっていた。
「しばらくここに来られないって……どういうことなんだ?」
なぜ、急にそんなことを言いだしたのか、全く俺には分からない。
それに、『全部任せることになる』とまで書いてある。
もし、本当にそんなことになったら、また、俺は――。
「……慎太郎!」
すると、呆然とメモ用紙を握りしめていた俺の手を、翠は引っ張った。
「追いかけるわよ!」
そういうと、翠は無理やり引っ張って連れて行こうとする。
突然のことで狼狽える俺とは対照的に、はっきりとした口調で翠は俺に言った。
「なんか分かんないけど、あたしは今あの人と話したい! じゃないと、全然スッキリしないもん!」
俺は、流されるままに翠に連れられて、廊下を走る。
「あんた。図書室を離れてた時間ってどれくらいか分かる? あと、黒崎先輩の家がどこにあるのかも、あんた知ってる?」
走りながら、翠が俺に質問する。
俺が翠と話していたのは、せいぜい十分くらいだろう。翠を捜している時間を入れても、三十分も図書室から離れていないはずだ。それに、彼女の家は(この世界では未来の出来事になるが)何度も行ったことがある。先輩の歩くスピードを考えたら、それこそ三十分くらいで家に到着するはずだ。
「だとしても、メモ残したりしてるわけだから、出て行くのだってそれなりに時間が掛かったはずよ。だから、絶対に追い付ける! あんた、今日は自転車持ってきてるわよね?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、行くわよ!」
翠がそう言ったのと同時に、校舎から飛び出した俺たちは学校の駐輪所へと向かった。
ちょうど部活が始まる時間なのか、何人かの生徒が走っている俺たちを見て怪訝そうな顔を向けてくる。
「あれ? みーちゃん、どうしたの?」
そして、その中に一人、翠に声を掛けてくる人物がいた。
制服に大きな学生鞄とテニスラケットを持ったその女子生徒は、俺と翠を交互に見ながら不思議そうに首を傾げていた。
俺はその女子生徒に見覚えがあった。この前、終業式の日に翠と話していたクラスメイトだ。髪の毛を団子に結んでいる特徴的な髪型だったので、ちゃんと俺の記憶にも留まっていた。
「ねえ、
「う、うん……。そうだけど……」
そして、礼奈、と呼ばれた女子生徒は、戸惑いつつも返事をする。
「礼奈、ここに来る途中に黒崎先輩を見なかった?」
そう問いかける翠に対して、そのお団子頭の女子生徒……礼奈さんは考え込むように視線を彷徨わせる。
「黒崎さん……って、図書委員の人、だよね? ごめん、見てないけど……」
「わかった。ありがとう! あっ、そうだ。あたし、今日部活休むから適当に先生に言い訳作っておいて!」
「ええっ、ちょっと、みーちゃん!」
翠は引き留める礼奈さんのことは振り返らず、また俺の身体を引っ張って駐輪場へ向かわせる。
そして、俺の自転車を発見すると、俺に運転しろと言わんばかりに「早く早く!」と急かしてくる。
俺は、そんな指示を忠実に従うようにして、ロックを外してペダルに力を入れる。翠もいつの間にか後ろの荷物置きの場所に腰掛けて、がっちりと俺の腰に手をまわしていた。
勢いよく飛び出した俺たちは、部活で登校していた生徒たちの視線も関係なく、学校を後にする。
途中、ポカンとした顔で立ち止まっていた礼奈さんに、翠は「それじゃあ、よろしくー」と伝言を残す。
「みーちゃん! 危ないよ! さっきも急に車が飛び出してきたりして危なかったんだよ!?」
「うん、わかってるー!」
「絶対分かってないって!?」
そんな礼奈さんのツッコミも空しく、俺たちは二人乗りのまま颯爽と彼女の前を通り過ぎて行った。
果たして、ちゃんと礼奈さんが翠のサボりをフォローしてくれるのかは俺には分からなかった。
学校の門を出ると、しばらくは下り坂だ。
俺は、せっかくの礼奈さんからの忠告に耳を傾けようと、スピードが出すぎないようにブレーキを調整しつつ、事故を起こさないように細心の注意を払って前へ進んでいく。
「そういや、二人乗りするの久しぶりだっけ?」
そう呟く翠に、つい先日も別の女性を後ろに乗せたことを言いそうになってしまったのだが、それは余計なことだと思いとどまって、俺は「そうだな」とだけ返事をしたのだった。
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