第23話 そして彼女は消えていく③


 走って去ってしまったみどりを捜し始めて数十分後。


 俺よりも何倍も体力がある翠を捜し出すのは、少々骨が折れることだと覚悟していた俺だったが、結果は実にあっさりとしたもので、翠は渡り廊下に設置されている休憩所のような場所に設置されているベンチに、体操座りをしたまま自分の膝に顔をうずめるような姿勢で座っていた。


 見つけた時は「ダンゴムシみたいだな」と思ったが、本人に言ったら絶対に機嫌を損ねるような気がしたので自重しておくことにする。


 ただ、その休憩所は学校内ではそんなに目立つ場所でもなく、まだ朝の時間帯だからなのか部活の生徒たちの姿も見当たらなかった。


 おまけに、ちゃんと屋根もついていて日陰になっているので、ゆっくりと話をするのには適している場所だ。


 翠はまだ、俺の存在には気付いていない。


 ゆっくりと近づいていくと、「……ひくっ」と、鼻を啜るような音が聞こえてきた。


 それでも、俺は彼女の傍まで行って声をかける。


「……なぁ、翠」


 すると、うさぎが飛び起きるようにビクッ! と、身体を震わせて埋めていた顔を上げる。


 俺の予想通り、翠は目と鼻を真っ赤にさせて、頬には涙が流れた後が残っていた。


 だが、俺の顔を見ると、翠はゴシゴシと自分の目を擦ったのち、不貞腐れたような顔を見せたと思ったら、またさっきまでと同じ姿勢をとって顔を隠してしまった。


「……何よ。あたしを笑いにでも来たの……」


「そんな訳ないだろ。お前がいきなり飛び出すから、心配で追いかけてきたんだよ」


 きっかけは紗季先輩の一言だったが、俺だって翠の様子が心配だったのは事実だったので、そのまま素直にその気持ちを口にするが、翠からはなんの反応も返ってこなかった。


「……隣、座るぞ」


 一応、許可を取ってから隣に座る。


 このときも、翠は何も言わなかったので、許可が下りたと勝手に解釈して腰を下ろした。


 だが、隣に座ったのはいいものの、肝心の話したい内容を全く考えていなかったことに今更気付いて、ただお互いが黙る時間が流れてしまうという事態に陥ってしまった。


「……なんか、飲み物でも買うか?」


 重い空気をなんとか払拭しようとそんな提案をしたところで、俺は財布を自分の鞄ごと図書室に置いてきたことを思い出して頭をかかえる。


「……すまん、財布置いてきたんだった」


 素直に謝罪の言葉を口にすると、今までずっと黙っていた翠が、顔をあげて俺のほうを呆れた顔で見た後、小さくため息をついた。


「…………ほんと、馬鹿なんだから」


 それからは、俺とは視線を合わせなかったものの、顔をあげてぽつぽつと翠は話し始めた。


「ねえ、慎太郎しんたろう……。言っとくけどさ、あたし、別にあんたのことが好きとか、そういうのじゃないからね」


 しかし、その内容はあまりにも突拍子だったので、やはり俺は黙ったままでどう反応するのが正解なのか分からないままだった。


「だけど、もしあんたに恋人とかできたら、ちょっとムカつく」


「……なんでだよ?」


 さすがに、それは理不尽すぎないだろうか?


「あたしにも分かんないわよ。でも、多分、慎太郎がどこか遠くに行っちゃうような気がして嫌なんだと思う。あたしの知ってるあんたじゃなくなるのが、あたしは少し怖い……。特に……あんたが黒崎くろさき先輩と関わり始めてから、慎太郎がどんどん変わっていくのが怖かった……」


 紗季さき先輩の名前が出たことで、俺は少し身構えて答えた。


「別に、俺はそんな風には思わないけど……」


「変わったよ。少なくとも、ずっと一緒にいたあたしから見たらね」


 だから……と、翠は一息ついてから、目の前を見つめ続けながら呟く。


「多分、悔しかったんだよ。あたしの知らない慎太郎にしていく黒崎先輩の存在が、本当に悔しかった。あの人といるときはさ、あんた、自然に笑ってるのよ」


 どうせ、気づいてないだろうけどさ……と、翠は不満そうに付け加える。


「それを見てるとさ、あたしはきっと、本当に慎太郎のことを理解してあげられないんだろうなって、いつも思い知らされた。そういう意味じゃあ、あたし、あの人に嫉妬してたんだろうね……」


 ぐすっ、と鼻をすすった翠だったが、もう彼女の瞳に涙は浮かんでいなかった。


 俺には、翠の気持ちに口を挟む権利などないし、今回のことだって、翠を責めるつもりはなかった。


「なあ、翠……」


 だが、どうしても、伝えておきたいことがあった。


「俺、お前のこと、ずっと凄いって思ってたんだ」


「……えっ?」


 そう伝えると、翠は一瞬息をのんで、俺のほうへ視線を向けた。不思議そうな顔を浮かべている翠に対して、俺は今の自分の気持ちを、ありのまま伝える。


「翠はさ、ずっと俺の友達でいてくれたんだ。多分俺は、そうじゃなかったらとっくに自分が壊れていたはずなんだ。だけど、もう駄目だって思った時、それを見計らったように翠が構ってくれてさ……。なんでいつもこのタイミングで? って思ってたけど、その答えがやっとわかった気がする」


 ずっと、俺は翠に支えられてきた。


 特に、紗季先輩がいなくなってからの日常は、俺にとってはただただ虚無の世界を彷徨っているような感覚で、生きている実感すら遠のいていきそうになったときだってあった。


 だけど、そんなときに限って、翠はいつも俺を馬鹿みたいにしつこく構ってきた。

 大学生になっても、翠は堂々と俺のことを「あたしの友達」だと、そう周りに言っていたことを、俺は知っている。


 俺のことなんてほっとけばいいのに、翠はずっと俺の存在を消さなかった。


 あの日、夏祭りに誘う相手がいなかったというのも、おそらく嘘だ。


 翠なりに、俺に気を遣ってくれて、俺を誘ってくれたんだろう。


 そして、俺を前に進ませようとした。


 残念ながら、そのときの俺は、翠のそんな気持ちに応えることができなかったけど、多分、翠なら何度も、俺が変わるまでずっと、相手をしてくるだろう。


「翠……ずっと俺を、見てくれてありがとな」


 今、俺が伝えられることはこれで精一杯だけど、それでも、ほんの少しでも翠には俺の気持ちを伝えたかった。



 ――翠が俺に、ちゃんと自分の気持ちを伝えてくれたように。



「ねえ、慎太郎。あのさ……」


 そして、翠はぽつりと、自然な口調で俺に問いかける。



「あたしのこと、好き?」



 いつもの強気な様子とは違う翠の声色に、思わずドキリとさせられて、また俺の知らない翠の一面を垣間見た気がした。


 そんなことを考えている間も、翠は辛抱強く俺の解答を待っていた。


 だから俺は、ひと呼吸おいて、翠に伝えた。



「……好きだよ。だけど、それは友達として、だな」



「……そう」


 まるで、予想していたかのようにあっさりと翠は返事をする。


「……じゃあさ」


 そして、翠は続けて、別の質問を投げかけてきた。



「黒崎先輩のことは、好き?」



 俺は、その質問に対して、考えることもなく、解答を述べた。



「好きだよ」



 ああ、そうか。

 認めてしまえば、こんなにも楽に、言葉にできるのか。



「今も昔も、ずっと……忘れられないくらい、あの人のことが、好きだったんだ」



 きっと、今の翠には、この言葉の本当の意味は伝わっていないと思う。


「……そう」


 だけど、翠は興味なさそうに、そう頷いただけで、あとはたった一言だけ、俺に告げた。


「なんか、ムカつく」


 翠は、子供のように不貞腐れて、俺から視線を逸らした。


 それが、とても翠らしい反応だと思った俺は、思わず笑みをこぼしてしまうのだった。


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