第20話 夏の少女の夢⑤
結局、二人の弟子ができてしまった
どうやら、その子たちは地元の小学生だったらしく、週末はよく友達同士でショッピングモールに遊びに来ているらしい。俺が田舎で育ったということもあるだろうが、最近の小学生は公園で鬼ごっことかしないみたいだ。
「師匠! コーハイ! また遊びに来てくれよ!」
それが、ゲームセンターから去っていくときに言われた少年からの一言だった。
もちろん、師匠とは紗季先輩のことで、コーハイとは俺のことだ。
紗季先輩が俺の素上について色々と言ったそうだが、なんだか悪意のある切り取られ方をされているのは、先輩の意図なのか子供たちの無邪気さ故なのか、最後まで結局分からず仕舞いだった。
ま、相手は子供なのでとやかく言うつもりはこれっぽっちもないけれど。
「ふむ、結構時間を費やしてしまったね」
俺もスマホで確認すると、もう時刻は夜の六時を回っていた。
それに、子供たち相手に遊んだということもあって、それなりに俺も披露している。
もちろん、楽しくなかったわけではないから別に構わないのだが、やっぱり小学生を相手にするとなると、文科系の人間では少々力不足だったようだ。
まさか、高校生の俺でも小学生の体力に負けてしまうのか、と落ち込んだりもしたけれど、それは考えても仕方がないので気にしないことにする。
夏の季節ということで、まだ外は日が出ていたけれど、時間を考えればもうすぐ夜になってしまう。
電車の移動時間を考慮すれば、そろそろ家に帰ったほうがいいかもしれない。
「……先輩、そろそろ帰りましょうか」
なので、先輩にもそう提案すると、彼女も「そうだね……」と了承してくれた。
今日も一日、特に何事もなく終わろうとしている。
最初は『デート』なんて言われて狼狽えてしまったが、終わってしまえばなんでもない、いつも図書室で過ごす先輩との時間と何も変わらなかった。
こんな日常が、ずっと続くだけでいいんだ。
俺は、そんな風に思っていた。
――だが、紗季先輩は、違ったのだ。
「……
前を進む俺を、紗季先輩が引き留めた。
人が交差する駅の改札口の近く、紗季先輩は俺の袖をそっと掴む。
その力は弱弱しくて、俺が動いてしまえば、すぐに離れてしまうほどに頼りない。
だけど、俺から離れたくないという想いが、先輩の手から伝わってきていた。
「……慎太郎くん」
もう一度、俺の名前を呼ぶ紗季先輩。
そして、かすかに零れてしまった声が、聞こえた。
「……帰りたくない」
確かに、紗季先輩はそう言った。
いつもの余裕のある笑顔はなく、何かに怯えるような表情が、そこには浮かんでいた。
「私……帰りたくないよ」
もう一度、先輩は同じ台詞を繰り返す。
「先輩……うっ!」
それを聞いた瞬間、俺の頭の中で金属音のような音が響き、目の前が暗闇に包まれた。
何だ、これ……。
気持ち悪い。
まるで、頭の中に不協和音が流れるような、そんな感覚。
だが、その感覚を、俺は一度味わったことがある。
それも、つい最近のことだ。
どこだ……。
俺は一体、どこでこの感覚を経験したんだ?
■■■くん!
……誰かが、俺を呼んでいるのだろうか?
……でも、一体誰が?
■■■くん!
■■■くん!
「慎太郎くんっ!!」
はっ、と意識が戻ると、俺は駅の改札口近くにいた。
視界も少しずつ元に戻ると、周りにいた人間は全員、俺に怪訝なものを見るような視線を向けていて、そこでようやく、俺は自分が膝をついてしまっていることに気が付いた。
「慎太郎くんっ!!」
「せん……ぱい……?」
そして、紗季先輩がうずくまった俺の肩を支えるようにしてしゃがんでいた。
いつものような余裕を見せる雰囲気はどこにもなく、俺が口を開くと同時に、心底安心したような顔を浮かべた。
「良かった……なんともないかい?」
「えっ……俺……どうしたんですか?」
「急に頭を抱えて倒れてしまったんだよ。慎太郎くん、こっちを見てくれ。いま私が指で示している数字を答えられるかい?」
先輩は、三本の指を立てながら、俺にそう問いかけてきた。
「えっと……三……でいいんですよね?」
「うん。ちゃんと意識はあるようだね。ちなみに、持病を持っていたり、昔からこういうことが起きるということは?」
「……ない、です」
混乱する俺とは対照的に、紗季先輩は冷静に俺の身体や意識に異常がないことを確認していて、その間に俺に集まっていた注目も徐々に解けていく。
また、そのあとすぐに目撃した人が呼んできてくれたのか、駅員さんも様子を見に来たけれど、俺の様子を見て大丈夫だと判断したのか、すぐに自分の業務へと戻っていった。
「すみません……心配をかけてしまって……」
俺は、迷惑をかけてしまった先輩に頭を下げる。
こんなこと今までなかったのに、一体、俺の身体に何が起きたというのだろうか?
「いいんだよ。きみに何もなくて本当によかった」
先輩は、いつもの優しい口調で俺にそう告げる。その声が、不安を覚える俺の心を包み込んでくれるようで、少しだけ気持ちが楽になった。
「……ただ、今日は私に色々と付き合わせてしまったせいで、身体に疲労がたまってしまったんだろう」
すまない、と、先輩は俺と顔を合わすことなく、そんな言葉を漏らした。
「……慎太郎くん。今日は帰ったらゆっくりするといい。それに、明日の図書室も無理をせず休んだほうがいいかもしれないね」
「そんな! 俺は……」
俺は先輩の意見をすぐに否定した。もちろん、それは明日のこともあるけれど、意識が遠のいていく直前、確かに先輩は俺に「帰りたくない」と言ったのだ。
あの言葉を聞いた瞬間、俺は何か見えない恐怖を確かに感じたいのだ。
もしかしたら、その言葉を真意こそが、紗季先輩が消えてしまった理由なのだとしたら、今ここで、俺は絶対に先輩から話を聞かなくては……。
「見つけたよ、紗季」
だが、その声を聞いた瞬間、紗季先輩の顔が凍り付いた。
「全く、捜すこっちも一苦労だったよ」
そう呟きながら、俺たちの前に突如現れた男性は、身長は百七十センチある俺よりもあと十センチは高いくらいの人物で、髪の毛を少し茶色く染めた中肉中背の男性だった。
おそらく、年齢は二十代前半で、大学生くらいだと思う。
よくこういう雰囲気の男は大学内でもすれ違うことはあったが、俺との接点などなさそうな感じの人物だ。
顔はかなり整っており、英語がプリントされた黒シャツにジーパン姿というシンプルな着こなしにも関わらず、どこか清潔感もあって好青年のような印象を与える。
それなのに、声を掛けられた紗季先輩の表情は、怯えているような、そんな雰囲気が放たれていた。
そして、彼の姿を確認すると、先輩は震える声を絞り出した。
「兄……さん……」
兄さん?
……ということは、この人が、紗季先輩のお兄さんなのか。
そういえば、確か以前にお兄さんが家に帰ってくるという話を聞いたことがあった。
だが、今の紗季先輩は明らかに、兄妹としての振舞いではない。
「どうして、兄さんがこんなところにいるの?」
「そんなことは後でいいだろ。それより、紗季の隣にいる男の子は誰かな?」
ここで、ようやく紗季先輩の兄と名乗る男性は、俺に視線を向けた。
じっくりと、俺のことを値踏みするような目に少したじろいでしまう。
「……図書委員の後輩。今日は色々と付き合って貰っただけだよ」
淡々とした口調で話す先輩に倣って、俺も自分の名前をお兄さんに伝えた。
「白石慎太郎くん……か。初めまして。僕は
そういって、紗季先輩のお兄さんは軽く僕に会釈をする。
紗季先輩の後輩、という僕の素性が分かったからなのか、俺に対して若干抱いていたであろう警戒が和らいでいる様子だった。
だが、俺への挨拶をすませたところで、お兄さんの意識は再び紗季先輩のほうへと戻る。
「紗季、何も言わずに家を出て行っちゃ駄目じゃないか。母さんたちも心配していたよ」
「……えっ?」
思わず反応してしまったが、隣の紗季先輩は悔しそうに唇をかみながら身体を震わせる。
「別に……わざわざ、あの人に言わなくていいでしょ? 遊びに行くだけなんだから……」
「紗季……。全く、困ったものだよ」
反論する紗季先輩に対して、お兄さんは頭をかきながらため息を吐く。
「なら、せめてお兄ちゃんには言って欲しかったな」
やれやれ、と首を振った後、真剣な表情になった紗季先輩のお兄さんは、今までとは打って変わって、厳しい目つきをして紗季先輩を見つめた。
「紗季。母さんや父さん、それに僕だって紗季のことを心配して言ってるんだ。じゃなきゃあ、わざわざ僕がこうして捜しに来たりはしないよ」
お兄さんの言葉に、紗季先輩は何も反応しなかった。
それでも、お兄さんは厳しい表情を解いて、紗季先輩へと近づいていく。
「紗季、今日は僕と一緒に家に帰ろう。そりゃあ、母さんたちも怒っているけど、素直に謝れば許してくれるさ。そうだ、母さんたちにはお土産も買っていったほうがいいかもしれないね。一緒に選びに行こうか」
そういうと、今まで全く会話に入っていなかった俺の存在を思い出したかのように、彼は微笑を浮かべた。
「えっと、白石くん。すまないがこのまま妹を預かってもいいかな? 車で来ているからきみのことも送ってあげたいんだけど、親の車だから知らない人間を乗せたことがバレたらちょっと面倒なんだ」
きっと、悪意はないのだろうが『知らない人間』と言われたことに対して、やや疎外感を感じてしまう。
だが、紗季先輩の家族にとって俺はまさに『知らない人間』にカテゴライズされて当然だ。それに、従来通りにいけば俺は紗季先輩の母親から厄介者扱いされることになっている。
「いえ、俺は別に……電車に乗って一人で帰れますから」
とにかく、今の俺には、紗季先輩のお兄さんの意見に口出しできる立場にはない、ということだけは、はっきりと分かってしまった。
「ありがとう。このお詫びはいつか必ずどこかでさせてもらうよ。それじゃあ、紗季」
お兄さんは口元に笑みを浮かべると、そっと紗季先輩に手を伸ばす。
だが、その手をじっと見つめた紗季先輩は、その手に自分の手を重ねることなくお兄さんのほうへと足を運んだ。
「慎太郎くん……」
そして、俺から離れようとした瞬間、わずかに聞こえる声で、言った。
「ごめんね」
その声は、今まで聞いたどんな紗季先輩の声よりも、儚くて、壊れてしまいそうなものだった。
こうして、俺と紗季先輩のデートは終わった。
帰りの電車に揺られ、一人で帰っていく中、俺は隣に紗季先輩がいないことに、どうしようもない孤独感を味わうのだった。
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