第19話 夏の少女の夢④


 喫茶店では随分とゆっくりさせてもらったと思っていたのだが、スマホの時計を見ると、まだ時刻は三時を過ぎたくらいだった。


 今から地元に帰るというのは少し早い気がするが、かといって、どこかに行く予定があるかと言われれば、素直に肯けないので判断が難しい。


 そう思って、最初に来たときと同様、紗季さき先輩に「どこか行きたいところはないですか?」という質問をしてみた。


 しかし、質問しておいてなんだが、先輩からどこかに行きたいと言われることは殆ど期待していなかった。


 それは最初に、今日は俺と『デート』という体裁を取っており、エスコートも完全に俺に任せるという指令が先輩から下されていたからに他ならない。


 だから、先輩が「どこでもいいよ」と言ったら、俺は図書委員らしく近場の本屋さんにでも行こうと思ったのだが、先輩からは意外な返答が来たのだった。


「ゲームセンター」


「……はい?」


 今、紗季先輩には似合わない言葉が出てきたような……。


「ゲームセンターというところに行ってみたいのだが、慎太郎くんは嫌いなのかい?」


 いや、別に嫌いというわけじゃないんだけど、先輩らしくない場所の選定だと思ったので面食らってしまったというのが本音だ。


「先輩……そういうところ、好きなんですか?」


「いや、好きという話以前に、行ったことすらないよ」


 それがどうかしたのかい? と言わんばかりに小首をかしげて問いかけてくる先輩。その純粋な眼差しが、逆に俺がおかしなことを言っているんじゃないかと錯覚させる。


 しかし、先輩も俺が疑問を抱いていることをなんとなく察したのか、口角を上げてゆっくりと答える。


「だからこそ、だね。やっていないことを経験するというのも人生では必要なことかと思ったんだ」


 そんな大掛かりな話になっていたのか……。となると、俺と『デート』しようと思ったのも、ただの『経験』の為なのだろうか?


「もちろん、選択権は慎太郎しんたろうくんに委ねるから断ってくれてもいいのだよ?」


 ふふっ、と不敵な笑みを浮かべる先輩だったけれど、残念ながら俺は選択権を与えられたところで、拒否するなどとは全く考えてもいなかった。


 第一、俺にもこれからのプランなんて存在しないのだ。


「わかりました。じゃあ、行きましょうか。ゲームセンターに」


 幸い、このショッピングモール内にもゲームセンターは存在している。実は映画館に行くまでに目には入っていたし、もしかしたら紗季先輩もそれを見て行きたくなったかもしれない。



 ということで、数分も経たないうちに目的地に到着した。


 俺もあまり詳しくはないのだが、印象だけで話すと、このゲームセンターは家族向けに設計されているような感じだった。実際、俺たちみたいな学生より子供が多いし、UFOキャッチャーの景品に置かれている人形は可愛らしいものが多かった。


 だが、先輩はそういったものに興味はないのか、入り口に置かれていたUFOキャッチャーの台を通り過ぎ、奥のビデオゲームコーナーへと足を運んだ。


 そして、興味深そうにとある筐体の前で足を止めた。


「慎太郎くん、これはなんだい?」


 先輩が立ち止まったのは、シューティングゲームの筐体だった。一応、俺は最低限の知識を持っていたので、一通りどんなゲームなのか説明することにした。


 紗季先輩は、俺の説明を聞き終えると、顎に手を乗せながら考えたのち、その筐体の前まで近づいていく。


「……ふむ、ではこれにしよう」


 そして、先輩は設置されていたゲーム用の銃を二つ持って、一つを俺に渡してきた。


「俺も一緒にやるんですか?」


「当たり前じゃないか。もしかして、怖いのは苦手かい?」


 念のためなのか、そんな確認をしてくる先輩。


 その間にも、デモ画面にはゾンビが次々と襲ってくる映像が流されていた。


「別に、パニックホラーは苦手じゃないですけど……」


「そうかい。では、始めよう」


 紗季先輩は、財布からコインを取り出して投入口に入れる。そのときに俺の分のコインまで入れてしまったので、その料金は後でちゃんと返すことを忘れないようにしておこう。


 コインを入れたことで、流れていたデモ画面が切り替わり、ゲームが開始される。


 最初はゲーム説明も含めたデモンストレーションプレイが始まり、一体のゾンビが俺たちに襲ってくる。


 そんなゾンビを、紗季先輩は説明テキストの指示通りに銃弾を撃ち込んだのだが、初めてとは思えない見事なヘッドショットを決め、ゾンビは一瞬で消滅した。


 そして、デモンストレーションも終わり、いよいよ本番が始まるのだが、先輩は微動だにせず次々とゾンビに弾丸をお見舞いして消滅させていく。その華麗なプレイスタイルは、さながら熟練者のような見事なものだった。横から見ても、まるでどこかのエージェントかと思わせるくらい銃を構えた立ち姿が凛々しく様になっていた。


 むしろ、俺のほうが次々と現れるゾンビに苦戦して、最初のボスに到着するまでに体力が削られ瀕死状態になってしまう。


 そして、ボスの大型ゾンビが現れても、先輩は怯むことなく連続で銃弾を撃ち込み、あっさりと倒してしまう。


 そのころには、何人かの子供たちが俺たちの後ろに立って目を輝かせながら先輩のことを見ていた。


 そして、情けないことに次のステージでゲームオーバーになってしまった俺とは違い、紗季先輩はどんどんとステージをクリアしていく。

難易度が上がっていこうとも、そんなことはお構いなしにゾンビたちを殲滅する先輩のことを「この人、初心者ですよ」と暴露したところで、一体どれくらいの人が信じてくれるだろうか。


 今では後ろの子供たちから「お姉ちゃん、がんばれー」と声援が送られてくるほど現場は盛り上がっている。


 だが、先輩はそんな子供の声も届いていないのが、画面から出てくるゾンビたちと戦うことに全集中力を注いでいた。もしかしたら、俺がすでにゲームから離脱したことも気付いていないかもしれない。


 そして、ついに最終ステージへと到達し、紗季先輩はラスボスと対面する。赤い月が空に浮かぶ不気味な不夜城を舞台に、二十メートルはあろうかという巨大なデーモンが、ただの人間である先輩を襲う。


 だが、そんな化物が相手だろうが、先輩はたった一丁の銃だけで立ち向かっていく。おそらく相手の弱点であろう部位を次々と破壊していき、最終的に崩れたデーモンの頭を狙って、一発の弾丸を撃ち込んだ。


 すると、デーモンは悲痛な叫びをあげながら、黒い炎に包まれ燃え尽きてしまった。


 その後、ゲームの背景では夜が明け、太陽の光で世界が包まれた映像が流されると同時に『GAME CLEAR!』と派手なフォントが表示され、エンドクレジットが流れ出した。


 そこで、やっと先輩は一呼吸して、隣にいた俺に笑顔を向けてきた。


「なかなか楽しかったよ。しかし、二百円でこれほど楽しめるとは、ゲームとは凄いものだね」


「……いや、先輩が凄いんですよ。普通、一クレジットでクリアできるように設計されていませんし……ましてや初心者の人は尚更です」


「ん? そうなのかい?」


 不思議そうに、先ほどまで愛用していた銃を見つめている。


「まぁ、先輩が楽しかったのならよかったと思いますよ」


「……ああ。そうだね」


 素直に感心する紗季先輩だったが、銃を元の場所に戻すときにぽつりと呟いた言葉を、僕は聞き逃さなかった。



「……現実も、こんな簡単だったらいいんだけどね」



 その瞬間、俺の身体に悪寒が走った。


 ゲームを終えた先輩の表情は、とても世界を救った英雄とは思えないほど、くらく陰鬱とした表情だった。


「……ん? 慎太郎くん。ここにはこんなに人が集まっていたかな?」


 だが、先輩はここでようやく自分の周りの状況が変化していることに気付いたようで、羨望の眼差しを向けてくる子供たちの様子に疑問を抱いているようだった。


 そして、ゲームが終わったことで、子供たちは世界を救った英雄との対面を我先にと押し寄せてくる。


「ねえねえ、どうやったらお姉ちゃんみたいに上手になるの!! このゲームすっげー難しいのに!!」


「馬鹿っ! オレが先に聞こうと思ってたのにずりーぞ!?」


「なんだよ!! 先に声かけたのはボクだぞ!?」


 先輩のゲームプレイを見てすっかりファンになってしまったのか、先輩に駆け寄ろうとする二人の男の子たちだったが、ちょっとトラブルになってしまっているみたいだった。


 子供の喧嘩とはいえ、このままではちょっと面倒くさいことになりそうだと思ったそのとき、紗季先輩は言い争いをしている二人のところでしゃがむと、同時に彼らの頭を撫で始めた。


「コラ、駄目だぞ、きみたち。喧嘩は良くないことだ」


 優しい口調ではあったものの、紗季先輩の雰囲気を察したのか、言い争いをしていた子供たちは大人しくなり、周りにいた子供たちからも喧騒が消えてしまう。


 だが、先輩は子供たちに対して優しい笑みを浮かべたのち、自分のほうへ抱きしめるようにして二人の子供を腕の中へと包み込んだ。


「いいかい? どんな些細なことでも、相手に嫌われてしまうというのはとても怖いことなんだ。だから、ちゃんと自分が悪いことを言ったと思ったらごめんなさいを言える子になりなさい」


 そして、腕を解いた先輩は、また子供たちの頭を撫でながら彼らに眼差しを向ける。


「言葉は時に暴力にもなるけれど、人と人を繋ぐ大切な役割を果たすことだってある。だから……やることは私の口から言わなくても分かるだろ?」


 その瞬間の先輩の様子は、慈愛に満ちた聖母のように、優しく、そして見ているこの場全員を温かい気持ちにさせるものだった。


 しばらくは呆然としていた子供たちだったけれど、最後はお互い向き合って頭を下げながら「ごめんなさい」と言った。


 それに満足したのか、紗季先輩も朗らかな笑みを浮かべる。


「うん、よろしい。それで、私に教えてほしいことがあるということだが、どういう用件なのかな?」


 立ち上がって子供たちを見下ろすような形になった先輩が、俺に話しかけるときと同じような感じで彼らにも質問を投げかける。


 子供たちには些か難しい単語が混じっていたこともあって、戸惑いながらではあったものの、彼らは紗季先輩を見上げながらお願いを申し出た。


「あの! オレたちもお姉ちゃんみたいにゲーム上手くなりたいんだ! だから、弟子にしてください!」


「……弟子?」


「はいっ! お願いします! 師匠!!」


 キラキラと、純粋な眼差しを向けてくる子供たち。


 一方、先輩は珍しく焦った様子で俺を見る。助けを求めているようだが、その様子が新鮮で俺から助け舟を出さずに、アイコンタクトで「先輩がなんとかしてください」と伝える。


 そして、ちゃんと俺の意見が伝わったのかどうかはさておき、困った様子の先輩だったが、


「……そういうことなら、一緒に遊んでみるかい?」


 と、最終的には子供たちと遊ぶことを選択したようで、弟子を志願した二人の子供も非常に嬉しそうにしていたのだった。


 そんな訳で、俺は完全に除け者になってしまったのだが、子供たちと遊ぶ先輩の姿と言うのはなんとも貴重なものだったので、しっかりと目に焼き付けておくことにしよう。


「なんだか……私の今の状況をきみが一番楽しんでいるように見えるのだが……」


「いえいえ、そんなことないですよ」


 勘のいい先輩には、すぐに俺の心情を読み取られてしまったけれど、子供たちに囲まれた先輩は俺の心情を言及する時間など与えてはもらえず、引っ張られたまま、一緒に子供たちとゲームに興じることになってしまった。


 俺はそんな彼女の背中を見ながら、また新しい先輩の一面を知ることができて、なんだか心が穏やかになっていくようだった。



 ――本当は昔の俺にも、紗季先輩のことを少しずつ知っていく時間があったのに、それを手放してしまっていたのだ。



 ――それを取り戻すように、今こうして一緒にいることが、何よりの幸福であることを実感してしまう。


 知れば知るほど、失ってしまったものの大きさに気付かされる。


 俺は、子供たちと話す紗季先輩を見ながら、ある言葉を口にした。



「……俺はもう、二度と紗季先輩を失ったりしませんからね」



 だが、残念ながらその声は、紗季先輩が放った弾丸を喰らったゾンビの叫び声に消されてしまい、彼女の耳に届くことはなかった。


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