第18話 夏の少女の夢③


 二時間後、俺と紗季さき先輩はショッピングモールの喫茶店に入って昼食を摂っていた。


「なかなか面白い映画だったね。一見子供向けに作られた作品だったけれど、大人が共感できるシーンも押さえていて、退屈しなかったよ」


 そう言いながら、先輩は運ばれてきたアイスコーヒーをストローでかき混ぜている。勝手なイメージで紗季先輩はブラックを好むのかと思っていたけれど、シロップとミルクをたっぷり入れていたのにはちょっと驚いた。


 そして、さらに店員さんが俺たちの前にやってきて、紗季先輩が頼んだパンケーキ(ダブル)を笑顔でテーブルを置いていく。


 紗季先輩、どうやら甘党らしい。もしかしたら、味覚的なものではみどりと馬が合うかもしれない。


 しかし、翠とは違ってその喜びを表情に出すことはなく、俺に映画の感想を言ったときと同じ様子でパンケーキをフォークで一口サイズにして口に運ぶ。


 その仕草は、まるで優雅な朝食を嗜む英国貴族のようだった。


 俺は先輩とは違い、特に食べ物を頼んではいなかったので、先輩が退屈しないよう会話を繋げることにした。


「先輩って自分で話とか考えたりしないんですか?」


 そう聞くと、先輩は次のパンケーキを切り分けながら返答する。


「ん? どうしたんだい、急に?」


 少し唐突だったからなのか、不思議そうに先輩は首を傾げる。


「いえ……紗季先輩って、なんとなくそういう創作者っぽい感じがしますから」


 たとえば、紗季先輩が将来小説家になりたいと言ったとして、それを信じる人はおそらく一定数いると思う。もちろん、俺もその中の一人だ。


 しかし、先輩は俺の発言に対して、やや眉を寄せながら不満そうに呟いた。


「なんだい、慎太郎しんたろうくんは作品と作者を結びつけるタイプなのかい?」


「えっと、そういう訳じゃないですけど……」


「じゃあ、どういう意味だい?」


 珍しく、先輩が反抗的な態度を取っていることに多少の驚きがあった。


 もしかして、地雷を踏んでしまったのだろうか?


 ただ、俺が焦点の当てたい箇所はもっと別なので、なんとか軌道を修正させる。


「先輩が書く小説とか、きっと面白いんだろうなって思ったんです。俺なんかより色んな作品を読んでますし……」


 すると、先輩は眉間に寄せていた皺を緩めて答える。


「いや、私は創作者には向いていないよ」


 はっきりと、紗季先輩はそう告げた。


「確かに、私はそれなりに作品には触れてきたし、人が残してきた創作物というものには敬意を持って接しているが、それはあくまで『読者』や『視聴者』としての立場からだよ」


 そして、紗季先輩は両手で握っていたナイフとフォークを一度置いて、口を開いた。


「さて、慎太郎くん。ここで一つきみに答えてもらいたいんだが、創作者に絶対的に必要なものとはなんだと思う?」


「絶対的に必要なもの……ですか?」


「そう。但し、これはあくまで私の持論であって世間一般の解答にはならないと思うがね。さあ、どうだろう?」


 先輩は、柔和な笑みを浮かべながら、俺の解答を待つ。


 その様子は、どこか俺を試しているようにも見えた。


「えっと、技術とか……知識……ですかね?」


 俺は必死に考えてみたが、出てきたのは至って平凡な解答だった。


 しかし、先輩は否定の言葉を述べるでもなく、むしろ納得したような口調で返事をした。


「ふむ、確かにそれも重要かな。ただ、そこはスキルの面といえばいいのかな? 多分だけど、きっとそういうものは大なり小なりどんな人でも持っているものだよ。だって、日本人のほぼ全員が文字を書くことができるだろう? これは当たり前だと思っているようだけど、海外だとそうはいかないんだよ」


 義務教育の賜物だね、と先輩は特に関心を持っている様子もなく呟いた。


「そういう意味では、誰でもスタートラインに立つ権利は既に持ち合わせている」


 もちろん、私や慎太郎くんにもね、と紗季先輩は付け足した。


「それなら、紗季先輩が考える創作者に必要なものって、なんなんですか?」


 結論を急ぐ俺に、紗季先輩はもっと勿体ぶると思っていたのだが、意外にもあっさりと答えを口にした。


「自分の気持ちに正直な人間だよ」


 その答えを聞いて、今度は俺が首を傾げる番になった。


「……すみません、俺にはいまいちよく分からないんですが」


「だから言っただろう。世間一般の解答じゃないって」


 確かにそうなのだが、あまりにも象徴的すぎて俺の中で上手く消化できずモヤモヤしてしまう……。


 すると、そんな様子を見かねたのか、再びパンケーキを口に運び始めた先輩が解説を付け加えた。


「もっと簡単に言えば、何かを伝えたいという感情の問題だよ。その気持ちに正直に向き合えた人間が創作者になるんだよ。だけど、殆どの人はそこで色々な理由を並べて実行には移さないのさ」


 そして、先輩はじっと俺の顔を見つめながら、話を続ける。


「そうだね、さっきの慎太郎くんの言葉を例にあげようか? たとえば、私が小説を書こうと思ったとする。だけど、私は絶対にそれを実現させることはない。どうしてだと思う?」


 またしても、俺に質問を投げかける紗季先輩。


「えっと……すみません……。やっぱり、俺には分かりません」


 一考したものの、残念ながら俺に明確な答えなど出てくるはずもなく、俺は「参りました」と言わんばかりに、首を横に振る。


 すると、先輩は笑みを作りながら、そっと囁くように解答を述べた。



「それはね、恥ずかしいからに決まってるじゃないか」



 ……一瞬、座っている椅子からずっこけそうになった。

いや、実際にそんなことをしたらお店の人に迷惑がかかるので、なんとか我慢したのだが……。


「ふふっ」


 だが、そんな俺の心境を察したのか、先輩は声を漏らして笑っていた。


「まあ、そんなものだよ。特に小説なんて自分の性癖を暴露するようなものじゃないか。私は自分の性癖を公開して興奮するような人間ではないということさ。もちろん、そういう人ばかりじゃないと言っておかないと、職業で人格差別をすることになってしまうから付け加えておくけどね」


 性癖とか興奮とか、おおよそ普段の先輩から出てくることのないような言葉の羅列に思わず戸惑ってしまう。それを変な意味に捕えてしまうのは、果たして俺が悪いのだろうか?


「だから、私は楽しむ側が向いているんだよ。どうやら私は、人の性癖を見て楽しめるタイプだからね」


 そう締めくくって、先輩の創作論についての講義は幕を閉じた。


 結局、先輩が言ったことのほとんどは理解できなかったけれど、つまりは先輩に創作意欲がないということだけは、決定事項のようだ。


「ただ、そうだね……」


 しかし、先輩は話の最後に、俺の顔をじぃーと見つめながら、こんなことを言ってきた。


「慎太郎くんがどんな小説を書くのかは、少し興味があるけどね」


「……俺も、自分の性癖を暴露するような人間じゃないんですけど」


「案外、そうでもない気がするけどね」


 にんまりと笑ってそう告げた先輩の顔を見て、俺は確信した。


 やっぱり、この人は俺をからかう為にわざと言葉を選んでいるのだと。


 そして、おそらく反応に困っている俺の様子に満足したのか、含みのある笑顔を浮かべていた。



 でも、そんな意地悪な笑みのはずなのに、その笑顔がどうしようもなく可愛らしく見えてしまうのは、この人の悪いところだと思った。

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