第11話 二人だけの時間②


 その後、図書室では紗季さき先輩は本当に付きっ切りで俺の勉強の面倒をみてくれた。


 その間は近くに紗季先輩の存在を感じ取ることができたのだが、俺はなんともむず痒い思いをしてしまった。


 だが、そのことを先輩が気にしている素振りなんて全くなくて、それがほんの少しだけ不満と思ってしまうのは俺のエゴなのだろうか?


 それはさておき、先輩の指導のおかげで学校から出された課題の問題はほとんど自力で解けるようになった。それに、このペースで進めていけば、夏休みの前半で俺の課題は全て終わってしまうことになるだろう。どちらかといえば、嫌なことは後にとっておくタイプの俺にとっては非常に珍しいことかもしれない。


「……いや、そんなこと気にしてる場合じゃないか」


 そう呟くと、お昼ご飯のお弁当を食べていた先輩が首をかしげたので、俺は「なんでもないです」とだけ言って、自分が持ってきた総菜のパンを頬張る。


 今は午後になったので、紗季先輩と図書室の中にある図書準備室という場所に移動して昼食を一緒に食べていた。


 ここは主に図書委員会の会議などで使用する部屋なのだが、この学校の図書委員は俺と先輩くらいしかいないので、資料の棚が並んである以外は取り立てて特徴のない場所になっている。


 念のため、不在のカウンターには受付ベルが設置されているのだが、今のところ鳴る気配は全くない。というか、この夏休み中、今まで訪問者による昼食の妨害は一度もなかった。


 さて、また脱線してしまったので話を戻すが、俺が今気にしなくてはいけないことは、夏休みの課題などではなく、紗季先輩のことだ。



 俺の知っている彼女は、この夏の間に消息を絶ってしまう。



 二学期に俺が登校すると、紗季先輩の姿はどこにもなく、先生たちに聞いても何も答えてくれなかった。


 そして、後から知ったことだが、紗季先輩の両親があまり大ごとにはしてほしくないと言って、消息した紗季先輩は自主退学をしたという話で、学校側と話を合わせたそうだ。


 だけど、俺はそんな話が信用できなくて何度も先輩に連絡を取ろうとしたけれど、結局、どんな通信手段をとっても返事が返ってこなくて、痺れを切らした俺は、直接紗季先輩の家を訪問した。


 こんな田舎町なので、紗季先輩の家なんて調べればすぐに分かって、俺は彼女の両親たちに話を聞こうとしたけれど、あっけなく拒否されて、それでもしつこく通った俺に、紗季先輩の母親だという人物から「紗季は家出をして帰ってこない」とだけ説明された。


 もちろん、そんな答えを知りたかったわけじゃない俺は、さらに詳しい話を聞こうとしたのだけれど「これ以上、紗季とは関わらないで」と言われてしまい、結局、先輩がいつ頃いなくなってしまったのかすら教えてもらえず、最後には警察沙汰にまで発展して、俺との面会は拒絶されてしまった。


 その行動が原因で、俺は停学処分を受けてしまったし、自分の両親にもかなり叱責を受けた。翠だけは心配して殆ど毎日俺の様子を見に来てくれていたけれど、正直そんな翠に気を遣えるほど、俺の精神は安定していなかった。


 それに、紗季先輩については変な噂が飛び交い、彼女は神隠しにあっていなくなったのだの、殺人事件に巻き込まれただの、挙句の果てには、男と駆け落ちして逃げただの、妙な噂が立つようになった。


 最後に至っては、一体いつの時代だよ、と反論したくなる。


 だが、そんな噂もせいぜい一ヶ月程度で静まり、気が付けば紗季先輩のことなど最初からいなかったように、誰も口にすることはなくなった。


 そして、そんな環境に取り残された俺は、自分の中で認めてしまったのだ。



 ――もう、紗季先輩は俺の前から消えてしまったのだと。



 だから、もう二度と、あのような思いをするのはごめんだ。


 せめて、今目の前にいる紗季先輩は、いなくなって欲しくない。


 そのために、俺がやらなくてはいけないことを、探さなくてはいけないのだ。


「そうだ、慎太郎しんたろうくんに伝えなくてはいけないことがあったんだ」


 すると、持参してきたお弁当を食べ終わったらしい先輩が、少し言いづらそうに口を開いた。


「悪いけど、明日は図書室の開放を止めようと思うんだ。ちょっと、私に用事があってね」


「用事……ですか?」


「兄さんが帰ってくるんだ。それで、私も家にいなくちゃいけないんでね」


「お兄さん……ですか」


 紗季先輩に兄がいるとは初耳だった。家に押しかけてしまった時も、俺は結局母親だという人以外には会っていないので、家族構成は知らなかったし先輩から直接聞いたこともなかった。


「その……仲が良いんですね。お兄さんと」


「……どうしてだい?」


 すると、先輩は無表情のまま、僕にそう問い返してきた。


 咄嗟のことで、俺は上手く反応できなかったのだが、紗季先輩はそのまま話を続けた。


「どうして、私と兄さんの仲がいいと、慎太郎くんは思ったのかな?」


「いや、えっと……」


 何故、と言われても、正直そこまで意味のあった発言ではない。


 だが、先輩にとっては引っ掛かった台詞だったようで、その真意を俺に問いかけようとしていた。


「なんとなく、そう思ったんです……。お兄さんが帰ってくる日に、ちゃんと予定を空けておくくらいですから……」


「そうか……」


 紗季先輩は、僕の回答を聞いても険しい表情を崩さなかった。


 もしかして、聞いてはいけないことを聞いたのかと危惧したのだが、結局、その答えを聞けないまま、話は中断される。


 何故なら、図書室から受付カウンターに置いたベルが鳴る音が聴こえてきたからだ。


「……誰か来たようだね。行ってくるよ」


 そういうと、先輩は食べ終わった弁当箱を机に置いて、席を立ったので、俺も先輩に倣って慌てて準備室から出て行く。


 今から思えば、別に本の貸し出しくらいなら先輩一人で十分事足りるので、俺が出て行かなくても良かったのだが、結果的に、俺が出て行って正解だった。


「……翠?」


 受付カウンターの前にいた人物は、俺の幼なじみである水菜みなみどりだった。


「お前、どうしてこんなところに……」


「……何、居たら悪いの?」


 今の翠は、赤いジャージ姿だった。ということは、部活中にわざわざこの図書室に来たのだろうか?


「慎太郎くん、駄目だよ。きみたちは幼なじみなんだろう? そんな冷たい態度をとっていたら嫌われるよ?」


 紗季先輩は、子供を叱るような調子で俺を注意した。


 それを聞いた翠は、不機嫌そうに眉間に皺を寄せて険しい表情になっている。


 しかし、紗季先輩はそれに気づいていないようだった。


「それで、水菜さん。ベルを鳴らしたということは、私か慎太郎くんに用事があったんじゃないのかい?」


「……課題図書を借りにきたんです。あるでしょ、図書室なんだから」


 やや棘のある言い方に、俺は一瞬ムッとなりそうだったが、紗季先輩は気にした素振りも見せずに「ああ」と言って、親切な対応をする。


「課題図書なら、入ってすぐの棚に置いてあるから好きなのを選んでくれたまえ。そうしたら、私か慎太郎くんが貸し出しの手続きを済ませるよ」


 そう言って、紗季先輩は柔らかい笑みを浮かべる。


「そうですか。じゃあ、適当に取ってきます」


 一方、翠は不貞腐れた表情のまま、課題図書が置いてある本棚まで行くと、吟味することもなく、一冊の本を手に取って先輩に渡した。


「これでいいです」


 まともにあらすじすら確認していなかったが、紗季先輩は何も言わず、翠から本を受け取って手続きを済ます。


「はい、どうぞ。返却は夏休みが終わってからで構わないよ」


 紗季先輩が本を渡すと、翠はそれを受け取ったのに、今度は俺を見ながら口を開いた。


「ねえ、あたしが来るまで二人は奥の部屋にいたようだけど……何かしてたの?」


 その口調は、明らかに何かを咎めるような物言いだった。


「いや、何ってお前……飯食ってただけだよ」


 どうしてそんなことを翠が気にしているのか、俺には全く理解できなかった。


 まさか、自分が来たときに誰もいなくて対応してくれなかったことに怒っているわけではないだろう。さすがに、そんなことで怒るような奴じゃない。


「……ああ、なるほど」


 だが、紗季先輩はまるで翠の言っていることを理解したかのように、優しく微笑んでいた。


「水菜さん。きみが心配しているようなことはないよ。だから安心したまえ。しかし、本当にきみはいい子だね」


「はぁ!?」


「そして、慎太郎くん。きみはもっと彼女に感謝しなくてはいけないよ」


 紗季先輩の発言の意味が分からず困惑していると、翠は顔を紅潮させてますます怒り心頭と言った様子で声を発した。


「な、なんであなたにそんなことを言われないといけないんですか!?」


「おや、違ったかい? 私はてっきり……」


「もういいですっ! あたし、帰ります!!」


 そう言って、翠は本当に俺たちに背を向けて立ち去ってしまった。


 最後に、扉を開ける際に振り返った翠の顔は、まるで羞恥心を隠すような複雑な表情をしていて、あんな翠の顔を見るのは、俺も初めてだった。


 そして、翠が立ち去ったあと、紗季先輩は顎に手をつけながら、呟いた。


「ふむ、どうやら怒らせてしまったようだね。すまないが、フォローは慎太郎くんに任せるとしよう」


「えっ? なんで俺なんですか?」


 今の様子だと、明らかに俺に対して怒っているようだったので、あまり関わりたくはないのだが……。


「きみにしかできないからだよ。だから、頑張りたまえ」


 紗季先輩は、フフッと笑みを浮かべると、どこか楽しそうに俺のことを見つめるのだった。


 結局、この出来事のせいで、俺は紗季先輩の家族について聞くタイミングを失ってしまい、その後はいつものように、課題をしたり、適当に本の整理をして時間を過ごしたのだった。


 そして、いつものように先輩と別れる時間がやってくる。


「それじゃあ、そろそろ閉めようか。慎太郎くん、明日はゆっくり自分の時間を過ごすといい」


 そういって帰宅する準備をしていた先輩に向かって、俺は告げた。


「あの、先輩……。また、ここに来てくれるって約束してください」


 明日一日、先輩に会えないことが、俺にはどうしようもなく不安で、ついついそんなことを口走ってしまった。


 俺がまた目を離した隙に、先輩がどこかに行ってしまいそうで、怖かったのだ。


「ふふっ、なんだい、それは?」


 しかし、先輩はくすくすと笑うだけで、俺の言葉を真剣に受け止めてくれていないようだった。


 だけど、俺が欲しかった答えが先輩の口から発せられる。


「大丈夫だよ。ちゃんと明後日も、ここに来るから」


 そう言った先輩の表情は、とても嘘をついているようには見えなかった。


「また会おうね、慎太郎くん」


 その言葉だけで、俺の不安は、どこかへ消えてしまったのだった。






 しかし、その日帰宅してスマホを確認すると、一件のメールが入っていた。


「翠……?」


 入っていたメールの差出人は、翠からだった。


 そして、メールにはこう書かれてあった。


『あんたと話したいことがあるから、明日、予定あけておきなさいよ』


 俺はその文面を見た瞬間、紗季先輩から言われた言葉を思い出した。



「きみにしかできないからだよ。だから、頑張りたまえ」



「……さて、何を頑張ればいいのやら」


 俺は早速、紗季先輩から出された指令を遂行しなくてはいけないようだ。


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