第3話 帰省と夏祭り③
「……はぁ、疲れた」
俺は境内に並ぶ屋台の列から少し離れて、茂みの奥まった場所に設置されていた古いベンチに腰掛けていた。
軽い気持ちで
おまけに、その翠とは逸れてしまって別行動になっている。一応、スマホにメッセージは送っておいたが、未だに返信はない。
返信は返さず童心に返っているんだろうな……なんて面白くもない冗談が頭に浮かぶあたり、俺の思考も絶賛盆休みを迎えているみたいだ。
ま、その内気付いて翠のほうからやってくるだろうと思って、俺は遭難者の鉄則を忠実に再現するが如く、ここから一歩も動かないことにした。
唯一、今の状況で良かったことといえば、外の景色はすっかり夜になってしまい、あんなに蒸し暑かった気温も少しはマシになってきたことくらいだ。
人混みから離れても、祭りの喧騒とほのかな灯りが暗闇を照らす。
ここにいる人たちは、俺が先ほどまでその灯りの中に混ざっていたことなど、露ほども気にしていないだろう。
――この町だってそうだ。
――あの人がこの町から消えても、平然と彼らは暮らしている。
まるで、最初からあの人がいなかったかのように、彼らは生き続けている。
そんなの、俺が勝手に頭の中でこの町の人たちに八つ当たりをしているに過ぎないし、勝手な被害妄想だってことも自分でわかっている。
それでも俺は、この町にいると、あの人のことばかり思い出してしまうことに気付いてしまった。
「ほれっ!」
と、そんなことを考えていると、不意に頬のあたりに何かをぶつけられたような感覚に襲われた。
「つめたっ!?」
思わず声が出てしまった俺が首だけ後ろに動かすと、そこにラムネ瓶を持った翠が立っていた。
「な~に難しい顔してんのよ。せっかくの祭りなんだから楽しみなさいよね」
そういうと、俺の座っていたベンチの空席に翠も腰掛けた。
そして「はい」と言って、先ほど俺の頬に密着させたであろうラムネ瓶を手渡してくる。
「……貰っていいのか?」
「その為に買ってきたのよ。ま、あんたが勝手に帰ってたら自分で飲むつもりだったけど」
本人がくれるというのなら、素直に受け取っておくのが吉だろう。
それに、ちょうど喉が渇いていたところだ。
「サンキュ」
俺は素直にお礼を言って、ラムネ瓶に口をつけた。中に入っているビー玉のせいで多少の飲みにくさはあったけれど、冷えたラムネは俺の喉を潤すには十分な役割を担ってくれた。
「ってか、俺とはぐれてからもずっと屋台回ってたのか? 結構な時間、俺、ここにいたと思うんだけど」
正確な時間は分からないが、それでも翠とはぐれてから二、三十分は経過しているはずだ。万が一、その間、俺をずっと捜していたというのなら、ちょっと罪悪感が芽生えてしまう。
しかし、翠から返ってきた答えは意外なものだった。
「違うわよ。ちょっとね、人助けしてたのよ」
「人助け?」
「うん、男の人がね、指輪を落としたみたいだったから一緒に探してあげたの。大事な指輪なんだってさ」
「指輪……か。結婚指輪とかか?」
何気なく口に出した台詞だったけれど、翠は視線を落としながら、独り言を呟くように俺に告げた。
「……分かんない。でも、その人あんたと同じ顔してた」
「……は? なんだよ、それ?」
翠から発せられた言葉の意味が分からず、思わず問い返すと、今度は真剣な表情で俺を見つめながら答えた。
「あのね、指輪……ちゃんと見つかったんだよ。でも、その人、最初は喜んでたのに、その後すぐに悲しそうな表情になったの。理由を聞いたら、その指輪をくれた人とは、もう会えないんだってさ」
そして、翠は俺から視線を外して、呟く。
「もしかしたら、その人もあんたと同じなのかもって、勝手に想像しちゃったんだ。あんたと同じで……その指輪の持ち主のこと、忘れられないんじゃないか、ってさ。だから……」
と、翠が俺に何かを伝えようとした瞬間、空で光が弾ける音が響き渡った。
「……あっ」
その音に気付いた翠は、空を見上げていて、その視線の先には夜空を彩る花火が次々と上がっていた。
何度も何度も打ちあがる花火を、翠は純粋な眼差しで、子供の頃と変わらない表情で眺めていた。
だけど、多分俺は、その花火を昔と同じように見ることはできなくなっているのだろう。
どんなに鮮やかで、綺麗なものを見ても、今の俺の心を彩ることはない。
「……ねえ、
そして、翠は花火を見ながら、俺に囁く。
「もうさ……忘れなよ。黒崎先輩のことは……」
それは、俺を慰めるために言ってくれた、翠なりの優しさなのだろう。
翠は昔から、こういう奴なのだ。
ずっと気付かない振りをしていたけれど、翠が俺と同じ大学を選んだのも、現実から逃げ続けようとする俺を繋ぎ止める為だった。
一人になろうとする俺を、翠は決して許してくれなかったから。
「あんたが先輩にずっと縛られる必要なんてないよ。慎太郎には慎太郎の人生があるんだから」
どこまでもお節介で、自分勝手で、優しい幼なじみ。
だけど俺にとっては、そんな翠の優しさすら、残酷なのだ。
「お前には、関係のないことだよ……」
だから俺には、そんな言葉しか吐き出せなかった。
「慎太郎……」
翠は震える声で、俺の名前を呼ぶ。
「悪い……俺、先に帰る」
そういって、俺は座っていたベンチから立ち上がって、翠に背を向けたまま立ち去っていく。
空では未だに花火の音が響いていたが、俺は振り返ることなくその場を後にした。
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