第2話 帰省と夏祭り②
蒸し暑い熱気にさらされながら、俺は
田舎の一軒家らしい平屋のチャイムを鳴らすと「ブブー」という、これまたいかにも壊れそうな音が響いた。
そして「はいはい~」と家の中から聞こえて引き戸が開かれると、一人の中年の女性が姿を現した。
「あら、
「ええ……まあ」
「そう! 全く、あの子ったらいっつも慎太郎くんに甘えてばかりねぇ~。そうだ、あの子、大学でもちゃんとやってる? 昔からせっかちな子だから、家を出るって言った時も本当に心配で……」
おばちゃんは、困惑する俺をよそに次々と質問を投げかけてくる。
翠のおばちゃんとは、自分の両親たちと同じように会うのはもう四年ぶりだったけれど、全然変わっていないな、と、心の中で呟いておいた。
「って、話してばっかりじゃ駄目よね。あの子すぐに呼んでくるからちょっと待っててね。あっ、それとも上がっていく? 丁度、スイカを貰ったところなのよ」
「あー、いえ。大丈夫です」
生憎、スイカは食べたところだったし、そんなことをしたら翠にまた小言を言われそうだ。
俺が丁寧に断ると、おばさんも事情を理解していたのか、すぐに翠を呼んできてくれた。
そして、俺を呼び出した張本人は、にんまりと笑いながら俺の前に姿を現した。
「おっ、慎太郎にしては早いじゃん。偉い偉い」
ただ、その笑みの理由は、俺がちゃんと言われた通りに迎えに来たからだけではないことはすぐに分かった。
「じゃじゃーん。どうよ? 慎太郎、この浴衣、まだ見てないでしょう~」
玄関の前で下駄を履いた翠は、軽やかにくるんと一回転する。
大学生になってから染めた茶色の長い髪がふわっと宙に浮き、甘い香りが漂う。
そして、白を基調とした生地の上に藍色の花模様が描かれた浴衣姿は、いつもの大雑把な翠の性格とは相反するもので、非常に落ち着いた雰囲気を身にまとっていた。
「……ねえ、こういうときは感想くらい言って欲しいんだけどー」
むぅ、とあからさまに口を膨らませる翠に対して、俺は素直な言葉を彼女に告げた。
「うん、似合ってんじゃね?」
「わー、出たよ。慎太郎のそのテキトー発言。全く、これだから慎太郎は……」
はぁ~、と大袈裟にため息をついて首を振る翠。どうやら俺の感想はお気に召さなかったようだ。
「まぁ、いいや。最初から慎太郎にそんなの期待してなかったしね」
そういうと、翠は玄関に用意してあった下駄に足を通した。
「ほら、行くわよ。今日は慎太郎にいっぱい屋台で奢ってもらうんだから」
「いや、そんな約束してないだろ?」
「してなくてもいいの。慎太郎はこんなに可愛くて美人な幼なじみと一緒にお祭りに行けるんだよ? それくらいやって当然だと思うけどなー」
「お前な……」
誘ってきたのはそっちだろ……と言いたいところだが、長い付き合いであるがゆえに、逆らっても仕方がないことも知っているので、俺は大きなため息を吐くだけだった。
「お母さんー、それじゃあ、行ってくるねー」
リビングから「気を付けるのよー」というおばさんの声を聞くと、翠は俺の手を引いて「そんじゃ、行こ」と自分の家の玄関を後にした。
田舎町とは言っても、神社までの道のりには翠と同じように浴衣を着た人たちを何人か見かける。それが神社に近づけば近づくほど、人数も増えていく。
「慎太郎は浴衣とか持ってなかったの?」
「ねえよ。あったとしても、面倒だから着ない」
「ほんっと、そういうところは全然変わんないんだから。もっとこう、風情とかを大事にしないと嫌われるわよ」
「誰にだよ」
「そりゃあ、あたしに……かな?」
「だったら別にいい」
「だー! このすっとこどっこい!!」
えいっ! と思いっきり肩を叩かれた俺が翠を睨むと、フンッと鼻息を荒らしてご立腹の表情が浮かんでいた。
昔からこういう奴なので慣れてはいるのだが、いざ相手をするとなると面倒くさくて、非常に疲れる。
大体、今どきの女の子は『すっとこどっこい』なんて言葉使わねーだろ。
「あんたもさぁ、久々に帰ってきたっていうんなら、もう少し懐かしむとかないの? 祭りに参加するのだって久しぶりでしょ?」
「……別に、たかだか五年くらいだろ、ここを離れたのって。それに、お前だって俺と一緒だし、普段と変わらないからな」
俺と翠の腐れ縁は今でも継続しており、俺が都会の大学へ進学したというのに、まさか翠まで同じ大学に進学するとは予想外だった。
ま、学部も全然違うのでキャンパス内で顔を合わせることはそれほどないのだが、勝手に俺の下宿先に来たりすることもあるので、若干被害を被っているのは事実だ。
それに、今回の帰省のことだって、母親だけじゃなく翠からも口うるさく言われてしまったせいで八方ふさがりになってしまったところもある。
まさか、この祭りの為だけに俺を呼んだわけじゃないよな?
「そんな訳ないじゃん。あたし、慎太郎と違ってこっちにも友達たくさんいるし」
「だったら、そいつらと行けば良かっただろ」
「そういう問題じゃないんだって……。ああ、もういい。慎太郎に言っても分かってくれないだろうから」
翠はますますご立腹になったのか、俺から距離を一歩先へと進んでしまい。顔を合わせようとしてくれなかった。
そんな翠の後ろ姿をみながら、俺は感慨にふける。
昔、といっても高校生の頃だが、翠は当然、今のように髪を染めることもなく、黒色の髪を後ろで結わえるだけのシンプルな髪型だった。
それが都会の美容院で髪をセットしてもらうようになってから、肩甲骨あたりまで伸ばすようになった。就職活動の際は、もう少し大人しめの髪の色をしていた気もするが、内定を既に貰ったからなのか、また髪型は戻ってしまっていた。
ちなみに、俺は絶賛就職活動中である。いくつかの企業との面談は行ったものの、どこの企業からも未だにいい返事をもらっていない。
ずっと俺と同じように子供だと思っていた翠も、どんどんと大人になっていくような感じがして、俺は今の翠と一緒にいることで自分に劣等感を抱いてしまう。
もちろん、本人にそんなことを言う資格など俺にあるはずもないので、ただ黙ってみているだけだ。
それでも、今の浴衣姿は、正直に言えば昔の翠の姿のほうが似合っていた気がする。
「おっ、やってるやってる! まだあんまり混んでないからちょうどいいや」
しかし、そんな俺の心情など露知らず、いつの間にか機嫌が元に戻っていた翠は俺の手を引っ張って小走りする。
そして、最初の屋台の列が見えたところで、翠は俺のほうへと振り返った。
「よ~し、慎太郎。ちゃんとお金の用意しといてよね」
宣言通り、どうやら俺は完全に翠の財布として機能しなくてはならないらしい。
幸か不幸か、帰省する前にバイト代が振り込まれていたのでそれなりに潤沢な資金を持っているが、俺に何の得もない投資をこれから始めなければいけないのかと思うと、気持ちが沈んでしまうものだ。
――だから、俺は余計なことを考えてしまった。
――もし、俺の隣にいるのが翠じゃなくて、あの人だったら。
――俺たちは、どんなことを話していたのだろうか、と。
「おじさ~ん、かき氷、二つね! あっ、慎太郎! あたしもあんたのやつ食べたいから、違う味選びなさいよ」
そんな注文をつけられながら、俺は渋々と自分の財布から二人分の料金を支払うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます