第1章 2020年 8月10日
第1話 帰省と夏祭り①
「……あー、暑すぎるだろ、これ」
蒸し暑い部屋に閉じこもり、俺は持ってきたノートパソコンを開いたままベッドの上で寝転がって動画サイトで適当な動画を見ながらダラダラと時を過ごしていた。
着ているシャツは汗まみれで気持ち悪く、ブオオッとうるさい音を立てながら送ってくる扇風機の風も、焼き石に水状態でほとんど効果はない。
すぐにでもシャワーを浴びてすっきりしたいが、二階のこの部屋から浴室へ向かうことすら面倒くさい。
このまま干からびそうになる俺だったが、ギィギィ、と階段を上る人の足音がこちらに近づいてくることに気付いて身体を起こす。
「
そして、ノックもせずに開けられた扉の先には、三日月形に切ったスイカと麦茶の入ったコップのお盆を乗せた母の姿があった。
「……はぁ、呆れた。あんた、大学のレポートやるからって部屋に行ったんじゃなかったの? ゴロゴロしてるだけなら、叔父ちゃんたちと一緒にいればいいじゃない」
「休憩してただけだよ。つーか、なんでクーラー壊れてるんだよ?」
すかさず俺がこんな状況になっている原因について言及すると、母はあっさりと言い返してきた。
「仕方ないでしょ。あんたがいなくなってから全然使ってなかったんだから。扇風機も出してあげたんだから、今はそれで我慢しなさい」
なぜ俺が怒られなければならないのかと不満を漏らしたくもなるが、そんなことをしても壊れたクーラーが直るわけでもないので、それ以上は何も言わないことにした。
しかし、母はどうやら違ったようで、俺に対しての不満をこれでもかとぶつけてきた。
「だいたい、大学に行ってから全然連絡してこないし、お父さんと二人で心配してたのよ。あんた、お母さんが連絡しなかったら、今年も帰ってこないつもりだったでしょ?」
「それは……」
図星だったので、何も言い返せなかった。
今頃は大学の近くで借りたアパートで、夏季休暇の間に来期で必要なゼミのレポートをまとめているはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
「全く……
最後まで口うるさく小言を挟んでいった母は、また親戚たちが集まっているリビングへと戻っていった。
俺は特にそんな母にお礼をいうことなく、持ってきた麦茶を一気飲みする。
つい先ほどまで冷蔵庫に入っていたのか、冷えた麦茶は乾いた喉を潤すことに一役買ってくれた。その勢いでスイカにも手を伸ばしたが、残念ながらこちらはそれほど冷えていなかったので、微妙ではあったものの、ちゃんと全部食べることにした。
だが、一時間ほど経過しても、食べ終わったお盆を母が取りに来る様子はなく、下のリビングからは昼から酒を飲んでいる親戚たちの笑い声がここまで届いていた。
「……今降りても、絶対めんどくせーよな」
別に叔父さんたちが嫌いだというわけではないが、俺も酒が飲める年齢になってしまったせいなのか、叔父さんたちはやたらと俺と一緒に飲もうとしたがった。こんな何の面白みもない俺と一緒に酒を飲んで楽しいのか、甚だ疑問である。
さっきは大学のレポートが残っているから、と上手くあしらったものの、もうすぐ始まるであろう夜の宴会が始まってしまえばそうもいかないだろう。
元々、人と話すことが得意じゃないので、どうしても気持ちは沈んでしまうものだ。
「……ん?」
だが、そんな俺の心境とは裏腹に、窓の外から軽やかな祭囃子の音頭が聞こえてきた。
いつの間にか、外の景色も夕暮れに近いものになっていた。
「……ああ、そうか。今日って神社の祭りがある日だったっけ」
太鼓の音で、俺の古い記憶が浮かび上がってきたようだ。
別段珍しくないことだが、この町でも近くの神社の境内で縁日の祭りがおこなわれる。田舎らしい小さな規模の祭りだが、それなりに人も集まって打ち上げ花火なんかも上がったりする。
俺も子供の頃は屋台を回ったりしていたものだけど、中学になった辺りで行く相手もいなくなったので疎遠になっていた。
それこそ、今のように外から聞こえてくる音を聞きながら、図書室で借りてきた本を読んでいて――。
「……別に、もう関係ねえよ」
俺は、取れそうになってしまった記憶の蓋がまた開かないようにそっと閉じようとする。
思い出したくもない記憶。
きっと、それはどんな人間にもあって、この俺も例外なくそんな記憶を持っている。
そして、それが俺をこの町から出て行こうとした理由でもあった。
俺は夏が嫌いだし、この町が嫌いだ。
今年は爺さんの七回忌だからと母に説得されて帰って来たものの、今ではそのことも後悔している始末だ。
もうレポートの続きをする気力も起きず、もう一度ベッドで横になろうとしたその時、放り投げていたスマホの画面が光っていることに気が付いた。どうやら誰かから電話が掛かってきているらしい。
そして、画面の表示には、俺のよく知る人物の名前が表示されていた。
俺はすぐにスマホを手に取って、電話に出る。
『あー、やっと出た。ねえ、慎太郎。あんたちゃんと準備できてんの? あたし、もう着替え終わったからいつでもいいわよ?』
電話越しでもよく通る声に、溌溂とした物言い。
だが、俺は首を傾げながら、そいつに質問を投げかける。
「えっと、翠。何のこと言ってんだ?」
『……はぁ。そんなことだろうと思った。どうせ、あたしの言ったことなんて覚えてないか……』
電話越しで、翠がわざとらしいため息をついた。
どうやら俺は、翠に呆れられるようなことをしてしまったらしいが、あいにく心当たりがありすぎて一つに絞れない。
こういうとき、自分の記憶能力の無さに辟易してしまうが、今更反省したところで状況が変化するわけでもないので、俺は素直に翠が何のことを言っているのか教えてもらうことにした。
そのことで、もっと憤慨するだろうと思っていたのだが、翠は素直に口を走らせた。
『夏祭り。一緒に行くって約束したでしょ?』
「あー」
そういえば、そんな約束もしていたっけ。
『それじゃあ、あと十分だけ待ってあげる。その間にあたしの家まで来なさいよ。そんじゃ』
そう言って、翠は一方的に俺に制限時間を与え、電話を切ってしまった。
「……勝手な奴」
それだけ呟いて、俺は渋々汗だくのシャツを脱いで着替えを箪笥から引っ張りだす。
翠……
両親とも仲が良く、母や父も翠を自分の娘のように可愛がっている。むしろ、先ほどの母の態度から、俺より翠のほうを可愛がっている傾向がある気がする。
まぁ、それに対して不満を抱くような子供でもない俺だが、翠が何かと優等生であるがゆえに、比べられてしまう俺は何度も小言を言われる羽目になっている状況が生まれてからずっと続いているのだ。
やれやれ、と自虐をするだけしたところで、俺は着替えを終えて部屋から出て行く。荷物も簡素なバッグに財布を入れただけの軽装だ。
「あら、あんたどこか行くの?」
リビングから俺が通り過ぎるところが見えたのか、靴を履こうとした俺のところまで母がやってきた。
その表情は、やや呆れと怒りが混じったように眉間に皺が寄っていた。
「……翠と一緒に夏祭り行きたいっつーから付いていくことになった。飯は適当に置いてくれてたら食べるから」
「あら、翠ちゃんと! なんだ、あんた。結構いいところあるじゃない」
翠の名前を出した途端、明らかに上機嫌になる母を無視しながら、俺は玄関の扉を開ける。
「じゃ、行ってくる」
「はーい、翠ちゃんに宜しくって伝えといてねー」
はいはい、と適当に相槌を打った俺は、外に出る。
そして、夕方になっても熱気に包まれた夏の匂いは、また俺を不快な気持ちにさせるのだった。
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